栗山大膳と黒田騒動

元和3(1617)年      栗山大膳、父備後(利安)の跡を継ぎ筆頭家老に。
              上座郡(朝倉)を中心に知行を与えられる。
元和9(1623)年 8月   福岡藩初代藩主黒田長政死去。嫡子忠之、22歳で跡を継ぐ。
              忠之、小姓上がりの倉八十太夫を家老に抜擢するなど、秩序お構いな              しの政策を強行して、古参家老などの不満を買い、ついに幕府が乗り              出すまでに。
寛永8(1631)年      父備後死去。
寛永9(1632)年      二代目藩主忠之、幕府より大膳討伐の了解を取り付ける。
              大膳、逆に忠之謀反の訴状を幕府に提出
寛永101633)年 3月   幕府評議。将軍家光お家とり潰しを免除。大膳を盛岡藩に預ける。

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