公式、カッパ論

漢字では「河童」と書く。「カハワッパ」の訳。

    想像上の動物。水陸両性。形は4~5歳の子供のようで、顔は虎に似て嘴(くちばし)は尖り、身に鱗甲あり。毛髪少なく、頭上に凹みがあって、少量の水を容れる。その水がある間は陸上でも力が強く、他の動物を水中に引き入れて血を吸う。河郎、河伯(かはく)、河太郎、旅の人、かわっぱなどとも呼ぶ。
    水泳の上手な人。
    頭髪のまん中を剃り、周りを残したもの。→おかっぱ。
    見世物などの木戸にいて観客を呼び込む者。合羽。
    川に舟を浮かべて客を呼ぶところから)江戸・柳原や本所の私娼。
    河童の好物であるからという)きゅうりの異称。

田主丸の河童伝説

 田主丸町には、古くから河童伝説が数多く残されています。また町のいたるところで河童に出会うことができます。
 田主丸を流れる九州一の大河筑後川は、昔から筑後平野という豊沃地帯を造ってきました。しかし、その反面大変な暴れ川で、一夜にして川底の流れが変わることから、一夜川という異名を持っています。大洪水に苦しめられていた人々は、これを神業、神の祟と考え、そこで神に対する深い信仰が生まれ、水神信仰となったのです。その後、世の中が次第に複雑化するにつれて、水神の信仰も分割化し、河童の信仰が生まれ育ったものと思われます。田主丸町には、昔から荒五郎大明神をはじめとする様々な河童の信仰が生まれ、各所で祭るようになりました。上半身は裸で、フンドシをつけて、頭の上にはへこみ(頭の皿)がある九千防河童や、えんどう河童など大洪水を伏せる神として信仰を重ねてきました。
 田主丸の河童の由来には二説あり、一つは、中国大陸出身の九千坊が家来を率いて、熊本県八代市の球磨川に移り住んだが、肥後藩主の加藤清正の討伐に遭い、筑後川に逃げ込んだとする説。もう一つは、壇ノ浦の合戦に敗れた平家一族が筑後川流域に逃れ、その怨念の化身が河童になったとする説で、平清盛の化身は巨瀬入道としてまつられています。
 現在では、河童は町のイメージキャラクターにもなっています。
田主丸町の宣伝物から

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