柳川藩、蒲池・立花史
939年〜1867年
西暦 | 年号 | 月日 | 出来事 |
939 | 天慶2年 | 藤原純乗、蒲池城を築く。 | |
940 | 天慶3年 | 橘公頼、柳河に寄る。 | |
1185 | 文治1年 | 平家の落武者6騎が沖ノ端に定着。 | |
1339 | 延元4年 | 足利尊氏、蒲池に崇久寺を再建。 | |
1394 | 明徳5年 | 蒲池治久、蒲池城を拡張。 | |
1501 | 文亀1年 | この頃、現在の日吉神社付近に豪族蒲池治久が蒲池城支城を築く。 | |
1557 | 弘治3年 | 大友宗麟、豊前・筑前・肥前3国を平定。豊後・肥後・筑後を加えて北部九州の覇者となる。 | |
1558 | 弘治4年 | 蒲池鑑盛、柳河城を従来の西南方に築城。 | |
1559 | 永禄2年 | 江上常種は少弐氏について探題渋川満直を討つ。のちに筑後より神埼に移る。 | |
大友宗麟、豊前・筑前の守護となる。宗麟、九州探題に。 | |||
1560 | 永禄3年 | 織田信長、桶狭間で今川義元を討ち天下をとる。 | |
1570 | 元亀1年 | 大友宗麟、戸次鑑連(立花道雪)を立花城督とする。 | |
1578 | 天正6年 | 龍造寺隆信、筑前へ侵入。 | |
1578 | 天正6年 | 大友、日向の耳川で薩摩の島津氏に壊滅的大敗を喫す。 | |
肥前の龍造寺隆信、筑後に進出。 | |||
1580 | 天正8年 | 蒲池鎮並、龍造寺軍に包囲される。のちに和議結ぶ。 | |
1581 | 天正9年 | 蒲池鎮並、龍造寺隆信に誘殺される。すぐに柳河城落城。なお鎮漣の嫡男の宗虎丸は殺され、姉の徳姫と弟宮童丸は柳河落城から逃れる。 |
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大友、彦山を焼き討ちする。 | |||
1584 | 天正12年 | 大友の高橋紹運・戸次道雪、筑後へ出陣。龍造寺家晴、柳河城に居城。 | |
1586 | 天正14年 | 島津氏、筑後国に攻め込み、岩屋城主高橋招運軍と戦う。 高橋紹運の息子立花宗茂、立花道雪の養子となり粕谷郡の立花城に。 |
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1587 | 天正15年 | 豊臣秀吉、九州に出陣。島津、降伏。九州、統一政権で平定。 | |
立花宗茂、柳川城主となる(1600年まで) | |||
立花宗茂、秀吉より島津攻めの褒賞で、蒲池氏後の柳河城主となる。山門.三池.下妻.三潴(大善寺川以南地)の4郡、総て13万2千200石を与えられる。夫人ァ千代姫(ぎんちよひめ)と入城し、二の丸を居館とする。 | |||
1590 | 天正18年 | 豊臣秀吉の天下統一成る | |
1592 | 文禄1年 | 文禄の役。立花宗茂、2350名を率いて秀吉に従軍する。 | |
1593 | 文禄2年 | 宗茂、朝鮮出兵時、蔚山で危地にあった加藤清正らを救う。 | |
1594 | 文禄3年 | 豊臣秀吉、病死。 | |
宗茂、朝鮮より持ち帰った松を矢部川に松を植える。(朝鮮松原) カササギ(朝鮮カラス)も放つ(天然記念物)。 朝鮮人参を山川村飯江人参山に植え薬用とする。 |
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1595 | 文禄4年 | 小早川秀秋、筑前一国と肥前の一部を領す。 | |
1600 | 慶長5年 | 9月 | 関ヶ原の戦い。 |
1601 | 10/14 |
佐賀の鍋島直茂、徳川の命で柳川を攻める。三潴郡で合戦(八院戦争)死者630人。 | |
1601 | 慶長6年 | 田中吉政、筑後国城主に。32万5千石に。柳河城に入る。 田中吉政、掘割を開削、五層の天守閣など構築に着手。柳川掘割り 城池を掘り、城の西に盛り土をして本丸とする。その南西方に5層の天守閣を築き城郭を固めた。 海岸埋立、荒地開墾、治水事業、を行う。 |
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1604 | 慶長9年 | 田中吉政、藩内に1里塚を築く。 | |
1606 | 慶長11年 | 立花宗茂、陸奥棚倉で1万石を与えられる。 | |
1609 | 慶長14年 | 田中吉政、江戸参勤交代の途中、伏見で病死。四男の忠政が跡を継ぐ。 忠政、兄康政と争いが起きる。 |
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1615 | 元和1年 | 大坂夏の陣。豊臣氏滅亡。立花宗茂、大坂夏の陣で手柄。 | |
「一国一城」の制で柳川藩の支城が取り壊される。 | |||
1620 | 元和6年 | 二代目田中忠政病死、世継ぎ無く断絶。 立花宗茂、再び柳河城主に。筑後国南部の10万9000石の大名。三池藩は弟の直次の子、種次が藩主に。 |
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1621 | 元和7年 | 立花宗茂、柳河城に入る(2月) |
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1637 | 寛永14年 | 島原の乱、久留米・柳川藩出兵。 | |
1639 | 寛永16年 | 立花忠茂、二代目柳河藩主に。 | |
1642 | 寛永19年 | 藩祖立花宗茂没、76歳。 | |
1644 | 正保元年 | 忠茂、仙台藩主の娘鍋子姫と婚儀 | |
1646 | 正保3年 | 柳川藩、キリスト教藩士83人を追放。 | |
1664 | 寛文4年 | 立花鑑虎(あきとら)、三代目柳河藩主に。 | |
1667 | 寛文7年 | 柳川の豪商江口吉右衛門、密貿易により死刑。 | |
1671 | 寛文11年 | 仙台、伊達騒動。 | |
1680 | 延宝8年 | 鍋子姫、他界 | |
1696 | 元禄9年 | 立花鑑任(あきたか)、四代目柳川藩主に。 | |
1697 | 元禄10年 | 立花鑑虎、御花を建設。松濤園完成。 | |
1703 | 元禄16年 | 柳河城の欄干橋が完成する。 | |
1721 | 享保6年 | 立花貞俶(さだとし)、五代目柳河藩主に。 | |
1733 | 享保27年 | 市街地の大半を焼失。楼門2箇所、待屋敷30戸、屋敷155戸、町屋443戸、社9焼失(3月)。 |
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大飢饉、餓死者123人、牛・馬300頭死滅。 | |||
1744 | 延享1年 | 立花貞則(さだのり)、六代目柳河藩主に。 | |
1746 | 延享3年 | 立花鑑通(あきみち)、七代目柳川藩主に。 | |
1751 | 宝暦1年 | 四ヶ所藤左衛門、水車を発明して領内で使用。 | |
1797 | 寛政9年 | 立花鑑寿(あきひさ)、八代目柳河藩主に。 | |
1816 | 文化3年 | 三池領を柳河藩預かりとする。 | |
1820 | 文政3年 | 立花鑑賢(あきかた)、九代目柳河藩主に。 | |
1824 | 文政7年 | 城内に藩学校伝習館が開校 | |
1830 | 天保1年 | 立花鑑広(あきひろ)、十代目柳河藩主に。 | |
1833 | 天保4年 | 立花鑑備(あきのぶ)、十一代目柳河藩主に。 | |
1846 | 弘化3年 | 立花鑑寛(あきとも)、十二代目柳河藩主に。 | |
1853 | 寛永6年 | 米鑑、浦賀に来る。 柳河藩は深川八幡(江戸)に陣地をかまえる。 |
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1862 | 文久2年 | 大和町出身雲龍久吉が横綱となる。 |
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1863 | 文久3年 | 柳河藩、大阪警備と京都守衛を命じられる。 | |
1867 | 慶応3年 | 王政復古宣言 |