黒田藩年表

西暦 和年号 月日 九州・福岡・黒田家 日本
1546 天文15 11.29 黒田万吉(後の官兵衛・如水)、姫路城で誕生。
1556 弘治02 02. 大友宗麟秋月文種を討つ。
1559 永禄02 02. 反大友の兵、博多市街を破壊。
大友宗麟、九州探題に。
1560 永禄03 4.10 後藤又兵衛其次、播磨国で誕生。 桶狭間の戦い。
1562 永禄05 3. 大友軍、豊前を攻める。
黒田万吉、官兵衛の名前で初陣を果たし、名を孝高(よしたか)と改め。
1567 永禄10 黒田孝高、姫路城主に。
1568 永禄11 織田信長、入京。
1569 永禄12 小早川隆景、立花城を攻める。
黒田孝高、播州赤松氏を討って名を上げる。
1573 黒田孝高、羽柴秀吉につく。
1574 天正02 大友宗麟、九州6国大名に。
1578 天正06 又兵衛の主荒木村重、信長に謀反。
又兵衛一族追放され、仙石久秀につく
龍造寺隆信、筑前攻撃。
1579 天正07 黒田官兵衛、荒木村重により有岡城に幽閉さる。以後歩行困難に。
10. 官兵衛、栗山善助に救助される。秀吉の参謀に。
1582 天正10 本能寺の変。信長没。
1583 天正11 後藤又兵衛、讃岐高松城攻め。(初陣)
1585 又兵衛、仙石久重について四国攻め。
又兵衛、黒田に許されて長政に仕える
1586 天正14 島津勢、筑前侵入。 羽柴(豊臣)秀吉、関白になる。
1587 天正15 後藤又兵衛、秀吉九州征討に参陣。
秀吉、小早川隆景に筑前・筑後を与える。
秀吉、6郡を黒田孝高に12万3千石。
秀吉、博多町割り。
秀吉、九州征討。
1588 天正16 黒田、宇都宮鎮房を亡す。
1590 天正18 秀吉の天下統一成る。
1592 文禄01 後藤又兵衛、文禄・慶長の役に参戦。 文禄の役。(〜98)
1595 文禄04 小早川秀秋、筑前・筑後・豊前の一部領す。52万200石。
1597 慶長02 02. 小早川秀秋、越前北ノ庄に転封。 慶長の役。
1599 慶長04 02. 小早川秀秋、再び筑前・筑後を領す。
1600 慶長05 後藤又兵衛、関ヶ原の戦いで先鋒。
小早川秀秋、備前岡山に転封。
黒田長政、筑前に入封。如水は関ヶ原には参戦せず。
田中吉政、筑後に入封。
関ヶ原の戦い。
1601 慶長06 黒田長政、福岡城を築く。
又兵衛、大隈城主に。1万6000石。
1602 慶長07 長政、名島より福岡城に移る。
長政、領内検地に着手。
細川忠興、中津より小倉城に移る。
1603 慶長08 徳川家康、征夷大将軍に。江戸幕府開く。
1604 慶長09 3.20 黒田如水、没。58歳。
1606 慶長11 又兵衛、長政と不和生じ、出奔。
細川忠興に仕える。
細川・黒田の間が不穏になり、再び浪人。
1609 慶長14 幕府、大船建造を禁止。
1611 慶長16 又兵衛、故郷の池田輝政に仕える。
1613 慶長13 幕府、キリシタン禁教令。
1614 慶長18 又兵衛、大阪城に入城。
真田幸村らと「大坂城五人衆」。
大坂冬の陣。
1615 元和01 後藤又兵衛、道明寺の戦いで戦死。
伊達政宗の鉄砲隊に撃たれ、自害。
享年56歳。
大坂夏の陣。豊臣氏滅ぶ。
一国一城令。
1623 元和09 8.4 黒田長政、没。嫡子忠之、遺領相続。
三男長興に秋月5万石、四男高政に東蓮寺4万石。
1632 寛永09 栗山大膳、幕府に忠之謀反を訴える。
1635 寛永12 参勤交代制確立。
1637 寛永16 島原の乱。久留米・柳川に次いで福岡藩出兵。
黒田二十四騎
名簿

二十四騎氏名 生存期間 八虎 主な経歴
黒田兵庫助 1554〜96 長政の後見役
黒田修理助 1561〜612 1万2千石拝領
黒田図書助 1564〜609 秋月で1万2千石拝領。キリシタンを保護。
栗山四郎右衛門 1551〜631 15歳で黒田に仕え、官兵衛有岡幽閉から救出。
左右城を預り、1万5千石。
久野四郎兵衛 1545〜92 黒田家に小姓として仕える。5000石拝領。
井上九郎右衛門 1554〜1634 黒崎城を預り、1万6000石。
茂里太兵衛 1556〜615 常に黒田軍の先鋒を務める。鷹取城を預かり1万8000石。
民謡「黒田武士」のモデル。
後藤又兵衛 1560〜615 官兵衛幽閉の折伯父が反逆。黒田家を追われる。
筑前入国後は、大隈城を預かり、1万600石。
細川家と音信を交わして黒田家を去る。
秀頼について夏の陣で戦死。
黒田三左衛門 1571〜656 官兵衛の養子。筑前では下座郡三奈木に居館を構え、
1万600石。
野村太郎兵衛 1560〜97 豊前入国後2960国。
吉田太郎太夫 1547〜623 筑前入国後、隠居領1500石。
桐山孫兵衛 1554〜625 豊前入国後、965石。
古河伝右衛門 1554〜92 豊前入国後、5000石。
菅六之助 1567〜625 関ヶ原で、小早川に裏切りを勧める役。筑前では3000石。
三宅山太夫 1552〜623 筑前で3600石。船手頭を任される。
野口佐助 1559〜643 筑前では3000石。
益田与助 1542〜611 台所水汲みから出世。読み書き苦手で3000石とまり。
竹森新右衛門 1550〜621 秀吉から直々羽織をいただく。
林太郎右衛門 1569〜629 豊前で足軽大将。筑前では3000石。大組頭の筆頭。
原弥左衛門 1557〜639 秀吉の命で黒田家へ。筑前では2000石。
堀平右衛門 〜1636 筑前で2600石。長政三男秋月分封で5000石加算。家老に。
衣笠久右衛門 1552〜631 筑前入国後、3000石。中老並待遇。
毛屋主人 1554〜628 柴田勝家、前田利家、池田信輝、佐々成政に仕える。
渡り奉行。筑前では700石。
村田兵助 1565〜621 筑前入国後2000石。甘木宿代官職。

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