中世期の

小郡・大刀洗周辺年表

青字 は参考年表  南北朝時代の年号上段は【南朝】、下段は【北朝】

西暦 和年号 月日 出来事
7世紀 小郡官衙遺跡(郡役所)
1293 永仁01 鎮西探題設置。幕府、北条兼時を任ずる。
1317 文保01 4/ 幕府、大覚寺・持明院両統の相互即位を朝廷に提案。
1318 文保02 後醍醐天皇、即位。
1324 正中01 10/ 正中の変(後醍醐天皇の倒幕計画漏れる)。
1331 元弘01
元徳03
05/ 元弘の変(後醍醐天皇、隠岐に配流)。幕府、光厳天皇を擁立。
09/ 楠正成、河内千早城で挙兵。幕府、光厳天皇をたてる。
1332 元弘02
正慶01
03/ 護良親王、大和の山間部で挙兵。
1333 元弘03
正慶02
後醍醐天皇、隠岐脱出。足利尊氏、六波羅を破る。
北条高時自殺、鎌倉幕府滅亡。
3/13 菊池武時、大友定宗らとともに探題を攻めて火を放つが、一党敗死する。
5/25 大友定宗、少弐貞経ら探題を攻めて滅ぼす。
05/25 建武の新政
1335 建武02 12/23 太宰少弐頼尚、足利直義が新田義貞を討つとの檄に応じる。
1336 延元01
建武03
01/ 足利尊氏、入京。その後、北畠顕家に敗れて九州へ。少弐頼尚、赤間関で迎える。
03/02 尊氏、菊池武敏らと筑前多々良浜で戦い、破る。菊池は筑後に逃れる。
03/03 尊氏、大宰府に入る。
03/11 菊池・三原勢、菊池域に立て籠もる。尊氏、仁木義長に攻略を命じる。
03/11 尊氏、菊池域・黒木城を攻めさせる。菊池武敏、豊後に逃げる。
04/03 尊氏・直義一行、太宰府を発って再び京都へ。
05/ 仁木、筑後床川等で菊池と戦闘。
05/ 湊川の戦。楠正成戦死。尊氏、入京。後醍醐天皇を廃す。
11/07 室町幕府成立。
12/21 後醍醐天皇、吉野に朝廷。南北朝時代へ。
1338 延元03
暦応01
足利尊氏、征夷大将軍に。
09/ 大友氏時、筑後高良山に陣す。菊池武重、これを攻め、氏時は竹野に退く。
10/ 鎮西探題一色範氏、菊池討伐のため瀬高荘に発向し、高良山に在陣する。
懐良親王(8歳)、征西将軍宮として九州に向かう。5年後薩摩に到着。
1339 延元04 08/ 後醍醐天皇、没。
1340 興国01
暦応03
07/26 一色道猷、耳納山地の南軍を攻撃。
1342 興国03
康永01
6/19 征西将軍懐良親王、薩摩の津に着く。
1348 正平03
貞和04
01/14 懐良親王、肥後菊池に入る。菊池・阿蘇氏に迎えられる。
1349 正平04
貞和05
09/ 足利直冬、尊氏と対立し九州に逃れて少弐頼尚と提携。
正平7年まで、宮方・探題方・直冬方と別れて争う。
一色範氏・少弐頼尚分裂。
1350 正平05
観応01
10/27 直冬、三原太郎左衛門を味方に。
1351 正平06
観応02
03/ 直冬、鎮西探題に。一色道猷、征西府に降る。
09/25 懐良親王、菊池武光とともに筑後に侵攻。10/25頃、筑後国府に入る。
09/29 一色道猷、筑後の床川・河北庄で少弐頼尚軍に敗れ、日田に逃れる。
1352 正平07
文和01
11/ 鎮西探題足利直冬、大宰府を追われ、長門国豊田城に逃れる。
少弐頼尚は征西府に降る。
1353 正平08
文和02
01/上 一色直氏、鎮西探題に。
02/02 菊池武光、針摺原で一色軍を破り、少弐氏を救う。
04/05 懐良親王、筑後高良山に移る。
1354 正平09
文和03
11/ 懐良親王、善導寺より大保・大宰府を経て豊前方面に遠征。
1355 正平10
文和04
10/ 懐良親王、豊後を経て博多に入る。
鎮西探題意識父子、長門国に逃げる。
1358 正平13
延文03
04/30 足利尊氏没(53歳)。義詮、二代目将軍に。
1359 正平14
延文04
07/ 少弐頼尚、征西府軍・新田一族の大宰府侵攻に備えて、筑後川北岸の鯵坂庄に布陣。その数都合6万騎。
07/ 菊池武光、懐良親王を高良山に奉ず。肥・筑の宮方勢、高良山・柳坂・耳納に布陣。
07/19 菊池武光ほか、5000騎にて筑後川を渡り、少弐の陣に押し寄せる。頼尚、軍を引き大原(大保原)に布陣して菊池軍と対峙。
08/06 夜半より翌朝にかけて、征西府軍と少弐勢が大保原一帯で激しく戦う。
少弐頼尚、花立山山頂に山隈城を築く。
1360 正平15
延文05
04/11 肥後・筑後の宮方、大宰府を攻める。
斯波氏経、九州探題になる。
1361 正平16
康安01
08/ 菊池武光、少弐頼国を破り、懐良親王大宰府に入る。
1365 正平20
貞治04
08/ 渋川義行、九州探題に。
1369 正平24
応安02
12/30 足利義満、第三代将軍に。
明の洪武帝、懐良親王に倭寇の禁圧を要求。
1371 建徳02
応安04
02/ 今川了俊、九州探題として下向。
1372 文中01
応安05
08/ 南北両軍、河北庄内で戦う。
今川了俊、大宰府を掌握。征西府は高良山に撤退。
1373 文中02
応安06
02/14 菊池勢、筑後川を渡り、今川了俊と対陣する。
11/16 菊池武光、高良山中で死去。
1374 文中03
応安07
福童原の戦い
05/26 菊池武政、高良山中で没す。
09/07 菊池武朝、高良山の陣を撤収して肥後に帰る。
11/12 今川了俊、水縄山kら上妻郡一帯の宮方を制圧する。
1375 天授01
永和01
懐良親王、征西将軍職を良成親王に譲る。
1383 康和02
永徳02
懐良親王、死去。
1391 元中08
明徳02
良成親王、五条氏を頼り、肥後より矢部山中に移る。
1392 元中09
明徳03
南北朝の合一。

江戸期の
小郡史
西暦 和年号 月日 出来事
1624 石井堰築造(干潟)
1647 正保04 稲吉石堰築く。690町歩灌漑。
1655 明暦01 03/20 久留米藩二代目有馬忠頼、参勤途上備前海上で近侍に殺される。
三代目頼利(3歳)、襲封。(継嗣松千代逝去。お家断絶の危機で、御原郡大庄屋高松氏の幼子を身代わりに。
1656 明暦02 03/ 藩主頼利幼少のため、幕府目付け2人来久。
1659 万治01 4/ 飢饉。
1668 寛文08 06/24 久留米藩主頼利、江戸で死去。
08/21 有馬頼元(先代の異母弟・14歳)、四代目藩主襲封。
義兄豊範に、御原郡19ヶ村1万石の分知が許される。
12/ 松崎藩領成立。1万石。
1673 寛文12 6/ 豊範、発入りし横隈館に入る。後に、松崎館に移る。
1678 延宝03 御井郡平方村から分岐し、松崎経由して筑前国境乙隈村に行く街道(新筑前)街道できる。
1684 貞享01 07/29 松崎城主有馬豊範、改易。子息・采女とも本藩にお預けとなり、江戸から到着する。
1685 貞和02 11/ 旧松崎藩領代官、服部六左衛門下着する。
1697 元禄10 05/ 松崎藩、久留米藩に返還。
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