【2019年05月05日】

 九州・筑後で生を受けてのち、日本各地をウロウロしているうちに早や80歳。
ボクのふるさとは、九州一の筑後川沿いにあった。サラリーマン稼業にのめり込んだ宿命で、転勤・転居は黙って受け入れるしかない。今では、筑後川から少しばかり離れた福岡市の片隅で、連れ合いと二人で細々と暮らしている。
せっかくだから、ふるさとは一つだけに決めるのももったいない。そこで、勝手に第二のふるさとをつくりあげてしまった次第。そこは、かつて長期間過ごした東京と、土地の人情に惚れこんだ大阪であった。(2019年03月)

関東・東京

  福岡の民間放送に入社して3年目。東京転勤を命じられたため、弱冠21歳にして行ったこともない東京へ。夜汽車に乗って夜が明けて、初めて見上げた東京タワーに感動しきり。それが、「転勤族」を実感する長旅の始まりであった。昭和35年の春だった。中野区の沼袋の独身寮で3年間過ごした。
 通勤は、西武戦で新宿に出て、地下鉄に乗り換えて赤坂見附経由で京橋まで。休日は、練馬辺りから路面電車に乗って浅草へ出かけた。お芝居や大人のショーを観るためである。この時期が、独身生活を思いっきり満喫した時だった。ベテラン先輩女史には、憧れの銀座を案内してもらった。そう会社の近くには、東京駅や有楽町駅があったし、映画の大映や東映・松竹・東宝などガキの頃から憧れてきた会社の本社がが軒を連ねていて、お昼時間にお馴染の社長さんなんかにもよく会ったもんだ。
 
通勤コースだった新宿歌舞伎町のコマ劇場(2008年)
   
かつての京橋に立つ田舎者・25歳のボクです。(1960年)
 
赤坂見附は通勤途中の立ち寄り場(2008年)
   
写真でしか知らなかった東京駅だった(2004年)
     
     

関西・大阪

  大阪暮らしは、定年を10年後に控えた頃の3年足らず。だが、ここは東京に次ぐ第二のふるさとだ。大阪を起点に歩きまわった関西一円と、その時期受けた人々の情けをどうしても忘れられない。京都や奈良など有名な個所を巡りながら、生まれ故郷と重ね合わせた。
 福岡に帰って、生まれ故郷の筑後川を見直し、ラジオドラマの制作や本サイト「筑紫次郎の世界」のたち上げたのは、名所旧跡を歩き回りながら目に焼き付けたことが基礎をなしている。
 
勤務先の窓から見える大阪市役所(2009年)
   
自宅から近い蓑面公園(1991年)
 
まずは京都のお馴染さんになる(1992年金閣寺)
   
奈良の鹿さんにご挨拶(2011年)
 
御堂筋は会社のそば(2009年)
   
御堂筋から道頓堀へ、退社後の散策コース(2009年)
     

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