2018年12月02日
2019年06月16日

おいししゃんってどんな人

  「おいししゃん」とは、明治32年に大宰府天満宮近くの連歌屋(地名)にある造り酒屋で生まれた娘江崎イシのことである。彼女は成人して母親が営む天満宮境内の茶店を引き継いだ後、自分の名前を屋号にして「お石茶屋」とした。客は「おいししゃんの店」と呼び合い、その内に、彼女の美貌に魅かれた有名人たちが押し寄せるようになった。
男どもの名前を列挙すると、彼女の評判が如何ばかりだったか想像もつこう。
明治・大正の代表的作家田山花袋は、「おいしさんは九州一の美人だ」と紀行文に書いている。
作家で政治家だった野田卯太郎は、中央の実業家や芸能人・文化人などに紹介した。そのせいもあって、高松宮殿下・詩人の野口雨情犬飼毅首相・外交官松岡洋右・実業家松永安左衛門緒方竹虎副総理・旧国鉄二日市駅長だった佐藤栄作元首相・俳優の長谷川一夫高峰三枝子など多くの有名人がおいししゃんに会いに来た。
中でも、自らの歌集「旅塵」に記した吉井勇の歌は有名だ。お石茶屋の向かい側に、歌碑として現在も大切に保存されている。
 大宰府のお石の茶屋に餅食えば 旅の愁ひもいつかわすれむ
は、多くの参拝者の目を引いた。「餅」とは、梅ヶ枝餅のこと。
 もう一つ忘れられないのが、お石茶屋の裏手から、天満宮境内の外に出る長さが30メートル足らずの赤レンガ造りのトンネルのことだ。もともとは、天満宮から裏手の竈神社(かまどじんじゃ)や宝満山登山に便利なように、炭鉱主の麻生太吉氏が掘ったものだとか。ところがいつの間にか、おいししゃんのために(店から自宅に通うため)、麻生氏が掘ってあげたことになってしまった。そこで、おイシしゃんトンネルと呼ばれるようになったんだって。
(以上は、お石茶屋店内に掲示されている古都大宰府を守る会の森弘子さんが書いた「お石茶屋のこと」という説明書を引用させてもらった。

 すっかりおいししゃんのファンになったボクも、ことある度に暖簾をくぐっている。先日もぼそっと入っていって上り口に座り込んだ。注文は、ビール1本に肉うどん、しめに梅ヶ枝餅1個と決っている。入り口に掲げるお石しゃんのパネルに「こんにちわ」と挨拶することを忘れない。帰りにも、「また来るね」は自然と口に出る。
年間詣では、初詣で、梅観、花しょうぶ観賞、紅葉の時期、それに国立博物館に出かけるついでのこと。(2019年6月5日)


昭和15年頃の江崎イシさん(左)と、大正10年頃尋ねてきた学生さんたちとの記念写真(右)

 
元国鉄職員の佐藤栄作氏(元首相)と
   
大正終わりの頃
 
野口雨情氏らと
   
昭和25年ごろ
 
おイシしゃんトンネル
   
現在のお石茶屋店内(11月27日)
   
風格あるお石茶屋

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