2016年1月8日

 福岡県から排出した力士は多い。中でも、あさくらの梅ヶ谷と並び称される雲龍久吉は、ずば抜けた力量と相撲会への貢献度で傑出した力士であった。
雲龍を語る時、江戸初期の有明海大開拓と切り離すことはできない。久吉少年は、両親を早く失った後、干拓事業に出ていき家計を支えた。その頃から、彼の相撲取りになる体が造られていったと言えるからである。
雲龍久吉は、苦難を乗り越えて横綱まで上り詰めた。彼が柳川に凱旋して興業をうったとき、海童神社に通じる実家近くの村道に寄贈した鳥居が現存している。平成の合併で柳川市に吸収された旧大和町が大切に守る宝なのである。
本サイト伝説紀行の第85話「雲龍型の雲龍久吉伝」をご覧ください。

 
雲龍実家周辺の集落と鳥居

 

 
鳥居の額
   
雲龍顕彰碑

 

 
雲龍の錦絵
   
雲龍を祭る神社

 

   
開拓期の江越海岸灯台
   

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