2016年12月11日

 鹿児島本線の鳥栖駅は、私にとって忘れられない思い出の詰まったステーションである。東京勤務時代(20代から30代)には、20時間以上かかって夜行列車に揺られて九州にたどりつき、鳥栖のホームに降り立って立ち食いうどんにくらいついた。そのホームから、久しぶりのふるさとに「ただいま」と挨拶をした。
うどんをすすりながら眺める先は、十重二十重と遥か彼方まで引き込み線が続いている。もちろん、現在J1で活躍中のさがん鳥栖のグラウンドも、当時は線路の中にあった。
あの時のホームや駅舎はむかしのまんま。ホームで食べるうどん屋さんや駅弁屋も、昔からの中央軒である。それが嬉しい。
むかし話じゃあるまいし「むかし」「むかし」ばかり言って恐縮です。でもね、この駅九州で初めて鉄道が走った明治22年(1889年)から、形を変えずに年輪を重ねているのだから、胸を張ってもいいんじゃない。特に長崎線が開通する頃から、あらゆる客車と貨物列車の要ともなっていたのだから。資料によれば、昭和30年代には約700人の労働者が駅構内で働いていて、50両の機関車が配置されていたんだと。
ホームに降り立つだけで鼻の穴が煤(すす)だらけになるくらい煤煙が蔓延していたから、そこで働く人や駅近くに住んでいる方々のご苦労はいかばかりであったろう。
若松駅・折尾駅・直方駅・門司港駅などレトロっぽい駅舎が消えていく今、各時代の激動を目撃してきた鳥栖駅舎にだけは、なんとかいまのままの姿で生き残っていて欲しいと願うのは、我が儘なことなのだろうか。
 
降りたってホームで食べるうどんは格別だった
   
目の前にはさがん鳥栖のグラウンドが
  
 

   
折り重なるホームには、鹿児島線・久大線・長崎線など、あらゆる列車が停車する

 

 
ホームから線路を見渡す
   
駅舎から乗り場に向かう通路

 

   
空気はきれいになって、面影を探すのも一苦労

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