2016年10月09日

 サラリーマンなり立ての頃から慣れ親しんできた福岡空港第1ターミナルが閉鎖された。閉鎖前日の2016年10月3日、同ターミナルを訪ねた。なんでも記録する「筑紫次郎の世界」の記者魂である。(誰一人そんなこと認めてくれる人はいないが)
西日本新聞記事によれば、この地に初めて滑走路が敷かれたのは1945年5月。つまり、敗戦の3ヵ月前のことで、旧日本陸軍が泥縄式に建設したのだろう。終戦直後に、アメリカ軍が接収して、「席田飛行場」が「板付飛行場」として軍用専用米軍基地となった。
鮮明に記憶に残る出来事は、それから12年後である。1951年(昭和26年)10月には、福岡空港に日本航空が就航している。米軍基地の片隅をお借りしての民間航空のスタートであった。1970年3月31日には、歴史に残る赤軍派によるハイジャック事件が勃発した。その時日本中の耳目が板付空港に釘づけになった。
1968年6月、米軍のジェット戦闘機が九州大学工学部構内に突っ込み炎上。危険な化学棟であり、一つ間違えば大惨事を引き起こすところだった。
更に大事故は続く。1996年6月のインドネシア航空機の離陸失敗である。滑走路南側が真っ黒の煙と真っ赤な炎に包まれた光景をいまだに忘れることはできない。
暗い話ばかりではない。1969年には、それまで木造建築のターミナルが、近代的第1ターミナルに衣替えする。また、日本で最初のポーティングブリッジが導入される(1969年)など、楽しい話題も尽きなかった。
滑走路完成から70年。日本一都心から近い福岡空港は、いつまでも人々の平和のためだけに発展してほしい。(2016年10月3日取材)
   
終戦後、米軍板付基地としてスタートした飛行場

 

 
(左)ターミナル建設 (中)初期の木造ターミナル (右)米軍機と同居する日本航空

 

 
日本初のポーティングブリッジが導入
   
初めて飛来した日航「もくせい号」

 

 
よど号ハイジャック事件で、テレビカメラの列

 

 
3年後に完成する新福岡空港  

 

   
3年後に完成する新福岡空港

 

   
第1ターミナル最終日の出発予告番

 

   
第1ターミナル最終日のロビー

 

   
第1ターミナル最終日の食堂

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