両親とのお手紙往復

雑誌に見つけた同僚の手記

 朝の連続ドラマ「とと姉ちゃん」(NHK)が、絶好調の内に9月で終了した。戦前戦中、更に戦後の混乱期から高度経済成長期まで、私より少しばかり年上の主人公たちが、消費者の味方たらんと、雑誌編集に奮闘する様子が、多くの支持者を集めたようだ。
その雑誌とは、ご存知「暮らしの手帖」である。
偶然とはいえ、暮らしの手帖と私の身近に居た人物との接点を見つけた。放送の終盤で鬼の編集長が、自らの命を削って仕上げた「特集 戦争中の暮らしの記録」(昭和43(1968)年発行)がそれである。


 改めて、「暮らしの手帖」(放送では「あなたの暮らし」)の、当時と今と変わらない巻頭文を紹介しておこう。

あなたの毎日を豊かに、美しくする「暮らし提案誌」。これは あなたの手帖です。いろいろのことがここには書きつけてある。この中のどれか一つ二つはすぐ今日あなたの暮しに役立ち、せめてどれかもう一つ二つはすぐには役に立たないように見えてもやがてこころの底ふかく沈んでいつかあなたの暮し方を変えてしまうそんなふうなこれはあなたの暮しの手帖です。

「筆者の身近な人物」とは、昭和35年から二十数年間、東京の職場で一緒に働いた一つ年上の女性である。
彼女(大和田一子)は、暮らしの手帖社が募集した「戦争中の暮らし」の体験に応募した。信州長野に学童疎開し、小学校に入学したばかりであったが、疎開先から両親に手紙を送り続けた。お母さんもまた、戦時の中で、遠く離れた幼な子に手紙で励まし続けた。切手も便箋もままならない時代である。この手記がまた、多くの読者に感動を与えたことは、本人からことあるごとに聞かされた。
生まれつき体の弱かった一子さんは、私が東京を離れて(昭和59年)間もなく亡くなったと知らされた。


 雑誌掲載から30年がたって、長野冬季オリンピック見物に出かけたおり、一子さんの疎開先であった長野の山之内温泉宿で、当時の仲良しだったお方に会うことが出来た。私と同年代だから、既に宿屋の女将さんも退いておられた。
「九州からおいでのお方が、あの一子ちゃんの知り合いだとはね」と、涙ながらに私の手を握ってくれた。部外者にはわからない、あの忌まわしい戦争時の出来事を、子供ながらに覚えていて、蘇ったのかもしれない。
志賀高原スキー場や猿の温泉が近い宿に降り続く雪は、あたりを更に暗くしていた。

 「暮らしの手帖96号」の「特集 戦争中の暮らしの記録」の大和田一子さんの手紙のさわりを少しだけ抜粋させてもらう。ドラマによると、この号の編集長で、表紙・装画を製作した花森(ドラマでは花山)安治さんは、発行と同時に亡くなったことになっている。

 おてがみ

昭和25年5月
(お母さんより)一子ちゃん、しばらくごぶさたしました。みんな元気でいますから安心して下さい。堀内さんのおばさまにおねがいして、ぜひいり用なものだけおとどけします。
今は小包も送れないから、がまんして、あるものだけで間に合うようにしなさい。横山さんもこの間いらっしゃったそうですね。堀内さんや横山さんは特別にキップが買えたので、この間のお父様のお手紙に書いてあった通り、戦争に運ぶため、大して用事のない人は汽車などえんりょしなくてはならないし、またキップも買ってもらえないのです。・・・・・・

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