九州の城


2016年06月19日

  「一国一城」だったはずが、わが郷土では、一国に複数のお城がいくつも見られる。それはそれとして、財政的にも困難だったはずの各藩が、よくもこれだけの豪華なお城を築いたものだ。
 明治維新とともに、大部分が取り壊されたが、いずれも石垣だけは残されている。改めてその石垣を見つめると、コンピュータのない時代に、よくもこのような緻密な計算ができたものだと感心する。敵の来襲があろうが無かろうが、城の周りには防御用の濠がほられ、その向こうにそっくりかえった石垣が築かれている。その様がなんとも美しい。「舞鶴城」とか「白鷺城」なんて名前をつけて、各大名がその美を競ったことがよくわかる。
 そんなことを考えながら、本企画に及んでいると、この度の熊本大地震である。天下の名城とうたわれた熊本城が、見るも無残な姿になってしまった。過去を懐かしむということではなく、一日も早くもとの美しい姿に戻ってくれることを願いながら、九州各地のお城の現在を伝えたい。

福岡・秋月城   小倉城  中津城 久留米・松崎城 
柳川城   唐津・佐賀城 島原・原城   
       
       

福岡城・秋月城


本丸天守の石垣から福岡の町を望む 2010年10月撮影


秋月城杉の馬場(2007年2月撮影)

  
左:城下を流れる野鳥川 右:秋月城石垣

福岡城には天守閣があったとかなかったとか。いずれにせよ、勝手な理屈でもって、鉄筋コンクリートの見せかけお城を「再建」しないでほしい。
地元の人も含めて、郷土の財産を共有できる環境を築きたいものだ。

秋月城(朝倉市)は、福岡城(福岡市)の支城である。お城と城下の関係を観察するには、絶好の規模である。狭い道が曲がりくねっているところは、江戸時代にスリップするのにてっとり早い。

小倉城

   
小倉城天守閣 2011年4月11日撮影
 
小倉城庭園 2011年4月11日撮影
   
城内八坂神社 2011年4月11日撮影

 
  100万都市を象徴する小倉城は、行政主導で保存と観光のバランスをとるのに苦労しているように見える。石垣の足元にまで忍び寄るビル群のあり方を一工夫する必要があるのでは。でも、市民には欠かせない憩いの場であり、祇園太鼓の音と溶け合うところは、掛け値なしに気持ちがいい。

中津城

   
姿が美しい中津城
   
  福岡県には馴染み深いお城である。つまり、福岡城の開祖黒田官兵衛が一時代を過ごした場所として、大河ドラマなどで記憶に新しい。
我が「伝説紀行」でも「後藤又兵衛の墓」、「龍門の滝」にも登場する、由緒正しいお城なのである。長年かけて築いただけあって、現地で目視すると面白い発見もある。
 
後藤又兵衛の墓
   
龍門の滝

久留米城・松崎城

 
本丸を囲む石垣  
 
桜並木の二の丸
 
維新直後取り壊し前の本丸櫓 
 
松崎城跡
   
 本サイト「筑紫次郎の世界」の本丸ともいえる久留米城である。明治維新後、石垣もろとも取り壊しに遭いそうだったものを、街の有志の働きで今日の姿を残したという。
藩主有馬豊氏から始まって、11代頼威の代で版籍奉還に及ぶ。その間地方大名として、幕府という大波に揉まれながら生き延びたお城であった。支城の松崎城は、現在三井高校として若き青年たちの学びの場となっている。

柳川城

   
   
  関ヶ原の戦い後、田中善政によって築かれた城である。善政は、城から眺める有明海を、農地に変える計画をたてた。これが有明干拓の始まりである。田中家は3代で血筋が絶えて、立花宗茂が治めることに。
松を配置した庭園「松濤園」は、仙台から嫁に来た伊達政宗の孫娘を労うために、名勝松島を模して造ったものとか。伝説紀行の「鍋子姫の墓」に詳しく書いている。
柳川城は、現在、高校テニスで有名な柳川高校が使用している。
 
鍋子姫の墓
   
柳川の飾り雛

唐津城・佐賀城

   
   
 唐津城跡と佐賀城跡は、我が筑紫次郎の親戚ともいえる近しい仲である。海に突き出た唐津城は、自然との融合を計算したように美しい。本丸から見下ろす虹の松原は、「絶景」の代名詞を与えたいほど。
佐賀城は、竜造寺から引き継いだ鍋島家が治めた城である。竜造寺と鍋島の権力闘争を描いた「鍋島怪猫伝」「新鍋島怪猫伝」を真面目に読んだら、ほんまに身の毛がよだつ。
     

島原城・原城

   
     
     
 島原城と原城は、380年前の島原の乱以降、因縁の関係にあると言っても過言ではあるまい。分不相応の島原城を築いた藩主松倉重政の圧政に怒った農民や浪人が、一揆を起こした事件である。江戸時代初期でもあり、幕府は維新を駆けて九州全域の藩に動員を駆け、潰しにかかった。
原城跡は、少年天草四郎を頭に立てて籠城した跡である。その後、明治維新まで、島原半島では、キリシタン弾圧の嵐が吹きまくることになる。
島原半島のもう一つの悲劇は、普賢岳の噴火による被害である。平成3年5月の溶岩ドームの崩壊と溶岩土石流は、半島全体を悲しみのどん底に突き落とした。普賢岳は、有明海まで流れ落ちる土石流を、どんな気持ちで見下ろしていたんだろう。
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