2018月07月15日

倉田雲平と先祖の接点を求めて

エス・ワイさん(女性) 埼玉県在住

たび屋の雲平

古賀勝様

小説「たびやの雲平」を読ませていただきました。雲平氏の生き様、江戸から明治に変わる久留米の街の様子など細かな描写に感銘いたしました。
私は家系図を作成するために先祖探しをしております。我が家の言い伝えによると、キワは初代倉田雲平夫人モト様の妹ということでした。
曽祖母キワの息子は戦前米屋町でカステラ屋を経営していました。その店名は母キワの姉の夫の屋号の「つちやたび」にあやかり、「つち勘」とし、商標は打ち 出の小槌でした。
しかし、先日、曽祖母キワの父の名前を戸籍で調べたところ、名は三谷松太郎でした。そして古賀様の小説から、モト夫人の父は本村八郎兵衛とわかりました。
姉妹で父の名前の違うのを不思議に思い、現在の久留米月星商事に問い合わせたところ、現在の会長様から、三谷松太郎は御用長物師で雲平氏が最初に弟子入りした家であるが、二人の関係については詳しいことはわからないとのことでした。
モト夫人と曽祖母キワは父の名前が違いますが、なんらかの血縁関係があったのではないかと私は推測しています。
古賀様は久留米の歴史に精通されているので何かご存知ではないでしょうか。
突然お願いをしまして申し訳ありません。久留米の市役所等に尋ねましても、それに関する情報は全く持っていないとのことで、もう他に謎を解明する手立てがありません。
もし何かご存知でしたらどうか教えていただけないでしょうか。
お忙しいところ誠に申し訳ありません。よろしくお願いいたします。

古賀勝様

 お忙しいところお時間をさいていただいて誠に申し訳ありません。
前回のメールでは長くなってしまうので省略しましたが、久留米月星商事の会長様より、三谷松太郎は久留米藩の御用絵師の三谷家の家系である、と教えていただきました。
また、倉田様は、以前、三谷氏の掛け軸を見た時に倉田様の大叔父様が「あれは母モトの実家のものだ」と、述べておられたのを記憶されていましたが、三谷松太郎と本村八郎兵衛の関係は詳しくははわからないとのことでした。
もし、何かわかりましたらご連絡をいただけると幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

                                 

古賀 勝より返信

 貴重な家系図作成にお役にたちたかったのですが、力不足で十分に応えられませんでした。後々気がついたら送ります。
気がついたことと、手元にあった資料をコピーして、郵送しました。押しつけがましいですが、倉田雲平伝と合わせて「小川トク伝」も同封しました。明治維新前後の地方の城下町を知りたくて調べたものです。特に、武蔵国(さいたま市宮ヶ谷塔)から江戸に出て、久留米にたどり着いた主人公が、倉田など商人仲間やからくり儀右ヱ門などの知恵も借りて、革命的な織物産業を産み出す話は、意外と知られていません。
お時間があったら、ぜひお目を通して下さい。
御成功をお祈りいたします。

古賀 勝

古賀勝様

 昨日、資料と「小川トク伝」と「たび屋雲平」を受け取りました。貴重な昔の地図と現在のマップをありがとうございました。
以前、久留米市役所や法務局に問い合わせたのですが正確な情報は全く得られなかったです。ありがとうございます。
小川トク伝を一気に読ませていただきました。苦難に負けずに機織りをするトクの人生にとても感動しました。
最後のお孫さんに迎えられるところでは思わず涙してしまいました。
また、たびやの雲平と同様に江戸時代から明治にかけての社会が変貌する様子がとても良くわかって面白かったです。
たびやの雲平と小川トク伝を読んで、改めて久留米で商売をされていた方々の逞しさには感動しました。
私の母が若い時に久留米から東京に出たせいで、私自身はあまり久留米になじみがなかったのですが、先祖を調べていくと、久留米は江戸の昔からかなりの勢いがあった商業都市であるのがわかりました。
私の母方の祖父の兄は、大正時代ごろに通り町6丁目に玩具の卸店を経営していたのですが、「吹風琴」という音楽の授業に使う笛の特許を取ってかなりの収入を得ていました。
私の親族だけでなく、通り町は多くの商売をされていた方が集まってとても賑やかで皆かなりの財をなしていたと聞きました。
商業都市としての久留米の歴史を調べると、数えきれないほど興味深い話が出てきそうです。
「つち勘」の正確な情報と貴重な地図をありがとうございました。
お陰様で「つち勘」の場所がわかりました。送っていただいた明治時代の地図の細工町の角に「つち勘本店」もあるのを見つけました。
「つち勘」はキワの息子の石橋管藏が創業したと親戚から聞いたのですが、実は倉田雲平さんの叔父様がはじめられたのですね。
それをキワの夫か息子が、縁あってお店と屋号を継がせていただいたのかもしれません。
キワの子供たちは七人いましたが年長の五人が早くに亡くなったせいもあって、正しい「つち勘」の歴史が伝わらなかったようです。
先ほど電話で親戚に「つち勘」の始まりの話したところ、真実がわかってとても感激しておりました。
曽祖母キワと倉田モトさんの関係はわかりませんが、多くの情報を教えていただいたおかげで違った角度から家系図が書けそうです。
ご親切にしていただいて本当にありがとうございます。お忙しいのに多くの資料を作成していただいて申し訳ありません。
これから夏本番となり暑い日が続きます。お体にお気をつけてお過ごしください。                      

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