2018月02月25日

青木牛之助に感銘

HYさん(男性) 久留米市在住

「大河を遡る」読了しました。こんな郷土の大先輩がおられたのか、と感無量です。また、姉が九重町に在住していることも、不思議な縁だと思うようになりました。
 「大河を遡る」の中で、青木牛之助が何度も何度も筑後と大分を徒歩で往復したところ、郡や県の役人がなかなか首を縦に振ってくれないところなど、胸をかきむしられるような思いで読みました。失業武士がこんなに駆けずり回るための旅費はどこから出たのか、妻の算段にしてもこれは凄い出費ではなかったのか、など余計なことまで心配してしまいました。今ではとてもこのような人間の出現は望めません。(私の仕事が)「まちづくり」と立派な団体名はあっても町民のために何を成し得ているのか、と我が身に振り返ってとてもとても恥ずかしい限りです。十分の一でも良いので何か成さねば・・・と思います。
 とにかく季節が良くなったら姉のところを基点にして千町無田関係の遺跡を巡る旅をしたいと思います。高速道路ではなく210号線を走ってみるか、とか夢が広がります。
(文中登場の)大善寺の光山亀吉は、後に筑邦町ができる直前の大善寺町長 光山吉範氏の先祖ではないか、またその子孫は久留米市教育長だった光山利雄先生ではないのかとかいろいろと想像しております。清水龍太郎は大善寺の料亭「清水館」と関係ないのか、赤司米之助は大善寺の傘橋の西にある喫茶「赤司」と関係ないのか、とか思います。

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