【2013年03月10日】

YMさん(男性)
千葉在住

古賀 勝様

 くるめんあきんど物語「倉田雲平」を拝見しました。
激動の時代に、足袋屋からシューズメーカーになっていく物語は、なかなか多くの人や時代の流れを感じさせ、とてもおもしろく拝見しています。
 ものづくりの魂をもう一度考え直す時代に来ているこの日本でとても参考になる伝記だと感じています。
さて、自分のふるさとは佐賀です。
実は、先祖は久留米でして、どうも蒲鉾屋の嘉助は私の曾祖父ではないかと父親が申しております。
父は、現在もひとりで佐賀に住んでおり、82歳になります。昨年、母を亡くした時に、久留米の妙泉寺でこのサイトの伝記が話題になりました。また、その関係もあり古い写真を整頓していた際に、曾祖父がやっていた青々館(旅館)の写真もでてきました。
またおそらく月星の幹部の方々との写真もでてきたので、今度月星歴史館に写真をもって訪ねてみようと言っています。
父によると昔はかまぼこやだったという話も聞いていますし、過去帳をたどると、最初に柳屋の名になっています。
祖父は、安永喜助。曾祖父は安永嘉助です。旅館の名前も同じですので、おそらくそうだと思います。
さて、前置きが長くなりました。
できましたら、父が元気な内に、曾祖父の時代の話をご存じな方にお会いして、お聞きしたいと考えています。
まず古賀様にお会いすることでもかまいません。もちろん、この伝記を参考にされている文献の紹介でもかまいません。
父は当時、小さかったので記憶があまり定かでない部分もありますが、当時、特にこの嘉助の最後のあたりの話は出来ると思います。
(伝記とは関係がないかもしれないのですが)
実は、自分が帰省し、(父と)一緒に久留米に行くことにしています。
少なくとも月星の歴史館にも訪ねる予定です。(予定は、23か24)。勝手を申しますが、もしもそのタイミングでお会いできればうれしいです。
いかがでしょうか。
メールでもかまいませんが、携帯を記載しておきます。
返信
 安永さま、返信が遅れて申し訳ありません。
 現在「倉田雲平伝」を執筆中で、重要な役回りに設定しました登場人物のご子孫にお便りを頂けるとは、こんなに幸せなことはありません。
 手元の資料によると、登場人物の安永嘉助は、安永嘉七の息子となっています。嘉七さん(江戸時代末期)は、細工町の「柳屋蒲鉾店」の店主だそうで、ご指摘の通りです。その後嘉七さんは「嘉助」と改名しています。当時は倉田家と同様に、親から子への襲名が当たり前だったようです。
 安永嘉助さんが子供の頃(蒲鉾店)は、雲平の家から200メートル以内の位置にあったと思いますが、現在位置を確認できていません。そちらでおわかりでしたら教えて下さい。
 お父上とお会いできれば、こちらこそお願いしたいと思います。その前に、メールで構いませんので、青々館の写真などを、よろしかったらご提供いただけませんでしおうか。
 参考資料は、可能な限りつくしましたが、まだまだ不足していることを自覚しています。お気になった点はぜひご指摘ください。
 3月24日・25日でしたら、都合がよろしいのですが、ぜひよろしくお願いいたします。お返事をお待ちします。


お便り目次へ   表紙へ