【2025年02月16日更新】

ウメはまだかいね〜

 年を重ねるほどに、四季を愛でる気持ちは膨らむばかり。特に寒すぎた冬から、春を待つ気持ちはなおさらである。春を象徴するのが、梅の花。さくらより早く目に飛び込むのだから、そうなるんだろうな。
2本しかない我が家の猫額庭の梅の木。膨らんだ蕾が、「もう少しだから、慌てずに待ってろ」と呼びかけている。(2025年02月16日)


凍てつく寒さいつまで

 今朝も早くから小雪が舞っている。もう何日目だろう。ここ10年間、こんなに寒くて、雪と付き合うこもなかったような気がする。左の写真が、牡丹雪降る福岡の住宅風景。右は、テレビに映し出される豪雪地帯の現在の様子だ。チラチラ降る雪を眺めていると、つい「ゆ〜しまとおれば、おもいだす・・・」なんて歌を、のんびり気分で口ずさむ。むかし舞台に仕掛けられた小雪舞う中でのラブストーリ-。お蔦・力の心意気だったかな。
そんなのんびりしたもんじゃないよ、裏日本の雪は。一日で2bも積もるって言うから。かく言うボクにも、野沢温泉スキー場で痛い目に遭った記憶が蘇る。ひとがやってるから俺にも出来るだろうと、山スキーに挑んだところ、足首をポッキリ。それから何十日か、松葉杖との共同生活を余儀なくされた。そしてその時の骨折が、とんでもない人生の分かれ道となってしまったのだ。
けっしてロマンチックなものっじゃないよ、豪雪って奴は。もうすぐ寒さの底も通過するはずだから、北陸や北海道の皆さん、怪我をしないようにして、頑張ってね。(2025年02月09日)


気になる読者欄

 最近新聞を読んでいて気になること。読者欄への投稿者年齢が偏りすぎていることだ。正確に数えたわけではないが、70歳を超えた人が多数を占めている。その次が60代。次が10代の若者。みなさんすばらしいご意見をおっしゃっています。気になるのは、その間の20代から50代の、所謂働き盛りの意見がなかなか出てこない。忙しいのか、投稿が面白くないから編集の段階ではじかれるのか、それはわからない。
子育てや働くことで、新聞投稿まで気が回らないのか、これもまたボクには分からない。でも働き盛りの壮年諸君のご意見を、もっと聞きたいな。かく言うボクは現在80代。負けじと、世間様と会話をしなければ、「やっぱり年寄りは・・・」と言われてしまいそう。(2025年02月02日)


遠くで汽笛が・・・

我が家のオーケストラ

 朝-昼-晩、一年で一番寒い時期の夜更け。外に出て立ちすくむ。何にも聞こえないような、静かな福岡の街の空。それでも、実は賑やかな人の営みが聞こえてくる。

 北と東が見通せる我が住処には、どこからかかすかな音が押し寄せてくる。耳を澄ますと、それはまるでオーケストラのようでもある。まずは、救急車のサイレンの音。大都市の隅っこにある我が家の立ち位置には、間違いなく、何種類かの「ピーポー、ピーポー」が飛び込んでくる。運ばれるのは病人なのかな、それとも怪我をした人か。かく言う我も、何年か以前にコロナ禍にやられて、お世話になった救急車だ。あの時も、福岡市内のかなり広範囲に、我が横たわる救急車の音が響き渡っていたのだな。
次は、坂道を上ってくる軽自動車のエンジンを吹かす音。頑張れ頑張れと、後押ししてあげたい気持ちにもなる。

そして夜が明ける。お隣のおかみさんは、にじり寄る猫との会話が楽しそう。「そうかいそうかい、お腹すいたんかい。もう少し待って。旦那さんの朝ご飯がすんだら、ご飯あげるからね」と、なんとも優しい猫なで声の音が伝わってくる。
そうこうするうちに、お日さまも高く上がる。登校する小学生たちの叫び声が賑やかだ。「きょうの給食は、なんだったっけ」と、黄色いランドセルを背負った男の子が、上級生の女の子にすり寄って聞く。

太陽が西に傾き、子供たちの下校時間も過ぎると、早くも夜の帳が下り始める。運良く、風向きが北東なのだろう。6キロ向こうの博多港から「ぼー〜」と、なんとも情けない汽笛の音が。負けてなるかと今度は東から。7キロ向こうの西鉄電車の、ガタガタ、プーと電車の車輪軋む音。走り始めなのか、そのうちにスピードが増して、スムーズな音に変わる。「何してんのよ、寒くて風邪ひくわよ」と、かみさんの怒り声、いいえ、優しい食卓へのお誘いの音でした。「はいはい」と機嫌良く家に入ろうとすと、今度は「ピーポー」と、とても大きな救急車の音が迫ってきた。ご近所さんらしい。たいしたことがなければ良いが。こうして、短い冬の一日は過ぎていきます。(2025年01月26日)


名医とは・・・

 年齢を重ねて、最近ときどき思うこと。それは、科学を重んじるお医者さんのことである。そして自分の寿命のことである。両親も祖父ちゃん・祖母ちゃんも、姉ちゃんたちも、とっくのむかしに天国に旅たっている。そして自分は、間もなく米寿を迎えようとしている。
むかしは60代で「年寄り」のレッテルを貼られたものが、最近では80歳になっても働いている人が多い。たった何十年かの間に、人間の寿命は30年くらい延びたのかな。その要因は、明らかに医学によるところが大きい。それも、身近な「町医者」の存在が、我が身の天国への路を妨害してくれているような気がしてならない。
一口に町医者と言っても、ピンからキリまで多様だ。何かと言えば「それは神のみぞ知ること」なんて言いながら、自身の責任を放棄しようとする医者。かと思えば患者のことを単なる金儲けの手段と考えているのか、「これは保険外のものですが、よく効きますよ」と戦後の街角の押し売りみたいなことを言う人もいた。かと思えば、じっとボクの意見を聞き、顔色を見定めた上で、親身になって病気の原因を探そうとしてくれるお医者さんもいる。
ボクの意見は、患者を教材として学ぼうとする医者こそ「名医の証明」だと思っている。皆さんの意見はどうだろうか。お断りしておくが、以上例に出した方々は、今お世話になっているお医者さんではない。生まれてこの方かかった無数の病院の中から思い出した事案のほんの一部に過ぎません。(2024年09月16日)


寝正月

 「寝正月」なるものを実感しました。老夫婦二人連れのお正月も、何度目になりますかね。なんとか日常とは違う時間を持ちたいと、おせちを頬張ったあとは、ひたすらうとうとを通すことに。やろうと思えば出来るものだ。
ふと、食台の上の年賀状を手に取る。「今年で年賀状やめます」の添え書きが、いくつも目に飛び込んできた。「お付き合いもこれまでにしましょう」の意味かと悲しくなる。「俺だけはいつまでも出し続けるよ!」と必死に抵抗してみる。そのうちにまた眠くなった。寝正月を心から実感した元日でした。(2025年01月05日)


ことしも頑張ろう!

 とうとう来ました、米寿の年が。まだ早いよと抗議したら、米寿の祝いは数え歳でやるんだって。日本国中がそうなら逆らってみたって仕方あるまい。同窓会名簿をめくっていたら、懐かしい名前が「死亡者」蘭に移動していることに気がつく。最近噂をしていたばっかりだったのにと、思わず肩を落としている自分がそこに居る。
2025年が始まっても、まだまだくたばってはいられない役割が、ずいぶん残っていることにも気がついた。「一喜一憂」を繰り返しながら、「三歩進んで二歩下がる」を、2025年も繰り返すことにしよう。絶対続けますからね、「筑紫次郎の世界」を毎週更新すること誓います。(2025年1月1日)

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