年を重ねるほどに、四季を愛でる気持ちは膨らむばかり。特に寒すぎた冬から、春を待つ気持ちはなおさらである。春を象徴するのが、梅の花。さくらより早く目に飛び込むのだから、そうなるんだろうな。
今朝も早くから小雪が舞っている。もう何日目だろう。ここ10年間、こんなに寒くて、雪と付き合うこもなかったような気がする。左の写真が、牡丹雪降る福岡の住宅風景。右は、テレビに映し出される豪雪地帯の現在の様子だ。チラチラ降る雪を眺めていると、つい「ゆ〜しまとおれば、おもいだす・・・」なんて歌を、のんびり気分で口ずさむ。むかし舞台に仕掛けられた小雪舞う中でのラブストーリ-。お蔦・力の心意気だったかな。 最近新聞を読んでいて気になること。読者欄への投稿者年齢が偏りすぎていることだ。正確に数えたわけではないが、70歳を超えた人が多数を占めている。その次が60代。次が10代の若者。みなさんすばらしいご意見をおっしゃっています。気になるのは、その間の20代から50代の、所謂働き盛りの意見がなかなか出てこない。忙しいのか、投稿が面白くないから編集の段階ではじかれるのか、それはわからない。 我が家のオーケストラ 朝-昼-晩、一年で一番寒い時期の夜更け。外に出て立ちすくむ。何にも聞こえないような、静かな福岡の街の空。それでも、実は賑やかな人の営みが聞こえてくる。 北と東が見通せる我が住処には、どこからかかすかな音が押し寄せてくる。耳を澄ますと、それはまるでオーケストラのようでもある。まずは、救急車のサイレンの音。大都市の隅っこにある我が家の立ち位置には、間違いなく、何種類かの「ピーポー、ピーポー」が飛び込んでくる。運ばれるのは病人なのかな、それとも怪我をした人か。かく言う我も、何年か以前にコロナ禍にやられて、お世話になった救急車だ。あの時も、福岡市内のかなり広範囲に、我が横たわる救急車の音が響き渡っていたのだな。 そして夜が明ける。お隣のおかみさんは、にじり寄る猫との会話が楽しそう。「そうかいそうかい、お腹すいたんかい。もう少し待って。旦那さんの朝ご飯がすんだら、ご飯あげるからね」と、なんとも優しい猫なで声の音が伝わってくる。 太陽が西に傾き、子供たちの下校時間も過ぎると、早くも夜の帳が下り始める。運良く、風向きが北東なのだろう。6キロ向こうの博多港から「ぼー〜」と、なんとも情けない汽笛の音が。負けてなるかと今度は東から。7キロ向こうの西鉄電車の、ガタガタ、プーと電車の車輪軋む音。走り始めなのか、そのうちにスピードが増して、スムーズな音に変わる。「何してんのよ、寒くて風邪ひくわよ」と、かみさんの怒り声、いいえ、優しい食卓へのお誘いの音でした。「はいはい」と機嫌良く家に入ろうとすと、今度は「ピーポー」と、とても大きな救急車の音が迫ってきた。ご近所さんらしい。たいしたことがなければ良いが。こうして、短い冬の一日は過ぎていきます。(2025年01月26日) 名医とは・・・ 年齢を重ねて、最近ときどき思うこと。それは、科学を重んじるお医者さんのことである。そして自分の寿命のことである。両親も祖父ちゃん・祖母ちゃんも、姉ちゃんたちも、とっくのむかしに天国に旅たっている。そして自分は、間もなく米寿を迎えようとしている。 「寝正月」なるものを実感しました。老夫婦二人連れのお正月も、何度目になりますかね。なんとか日常とは違う時間を持ちたいと、おせちを頬張ったあとは、ひたすらうとうとを通すことに。やろうと思えば出来るものだ。 とうとう来ました、米寿の年が。まだ早いよと抗議したら、米寿の祝いは数え歳でやるんだって。日本国中がそうなら逆らってみたって仕方あるまい。同窓会名簿をめくっていたら、懐かしい名前が「死亡者」蘭に移動していることに気がつく。最近噂をしていたばっかりだったのにと、思わず肩を落としている自分がそこに居る。 |