2024年03月10日

久しぶりにJR鳥栖駅に下りた。相変わらず昔ながらの駅舎が迎えてくれる。偉いお方にお願いしたい。変な気をおこして、懐かしい建物を根こそぎぶっ壊すことをしないように。
「鳥栖の参志の人・技」なんていいんじゃない。薄暗いコンコースに掲げられるポスターのこと。85年前にこの世に顔を出した我が輩は、子供の頃定期的に現れる売薬売りのおじさんの優しそうな顔を覚えている。鉄道だってそうだ。列車の窓を開けて、煤だらけの貨物列車群を見渡すときの興奮具合を。いったいどのくらいの線路が並んでいるのやら。その景色は一変した。近代的な産業やオフィス、それにサガン鳥栖が本拠とするサッカー場も定着している。
もうここまでにしておいて欲しい、煤だらけだった鳥栖駅には生き続けてもらいたいのだ。
それからもう一つ。鳥栖市の東半分を占める旧対馬藩田代領のこと。現在進行中の「平尾山荘物語」の舞台ともなる田代地域は、サロンパスの城下町として今なお活きている。
何度も通いたくなる鳥栖市である。

現在の鳥栖駅

映画館が消える

 博多の街中に一軒だけ残っていた映画館が、2024年3月末日で閉館することになりました。九州最大の繁華街福岡・中州のど真ん中にある大洋映画劇場です。最後のプログラムは、チャップリンの「黄金狂時代」だそうです。70年前開館時、やはり「黄金狂時代」で幕を開けたそうですから、なんとも言えず因縁を感じ、寂しい限りです。
大洋映劇は、戦後間もなく開場しました。ボクが福岡の会社に就職した時期と重なります。当時、娯楽と言えば映画館通いが当たり前でした。東中州大通り際の大洋隣りには、それは素晴らしい「松竹」があり、お向かいには「東宝」のキラキラした建物が。那珂川べりには、「日活」のお色気たっぷりの看板が幅を利かしておりました。
現在の映画館は、大きなビルの中で隠れるようにして営業しています。スクリーンがいくつもあって、それはもうむかしと比べものにならない立体感あふれる娯楽です。
さて振り返ってみて、かく言うボクは、いつ映画館で映画を観ましたでしょうか?


一階はパチンコ屋になっていて、入り口が分かりづらい

大通りは、まさしく大繁華街

左:閉館を知って駆けつけた若者 右:名物狭い階段


九州のひな祭り


佐賀市内のひな祭り 2009年2月

大分日田市のまつり 2004年2月

うきは市吉井のまつり 2004年3月

奥さん手作り、我が家のさげもん 2017年3月

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