2019年05月19日

 福岡方面から大分道に入る手前、小高い三角形の山が見えてくる。標高131メートルの花立山(別名城山)である。
 意外と知られていない古戦場だ。「筑後川の戦い」、「大原合戦」、「大保原の戦い」など、保存する地域の名前を付けている。
時は正平14年(1350年)というから、今から660年以前のこと。筑後川以北全域が戦いの舞台となった。北軍(少弐・大友連合)と南軍(懐良親王を頭とする菊池武光)が双方10万人の兵を擁して激突した。その時の戦死者数は、2万人とも5万人とも伝えられている。
久方ぶりに小郡の市内を歩いていて、市役所そばの史跡の一つを訪ねた。ほかにも、花立山山頂や大刀洗町の史跡公園、久留米宮ノ陣の「五万騎塚」など、いくつも歴史を伝える石碑が残っている。
この戦争の起こりは、日本の政治が真っ二つに割れた「南北朝時代」のことだった。北朝の足利方と南朝の後醍醐天皇方(菊池軍)の争いが、そのまま北部九州に持ち込まれた。代理戦争みたいなものだった。
都からこんなに遠い九州の筑後平野を、血で染めた戦争が、600年前にあったとは。歩いてみなければ気がつかないものだ。
ぜひ、本サイト伝説紀行の「筑後川の戦い(大刀洗の由来)」を読んでほしい。

   

 
 
小郡市役所横の遺跡
   
花立山山頂の社

 
 
花立山山頂から見下ろす古戦場  
     

久留米にも大刀洗にも供養の碑

 
西鉄電車の脇にもあったが
   
久留米宮ノ陣の五万騎塚

 
   
大刀洗町には記念の公園も

   表紙へ