想い出すこと


2019年05月12日

ランドセルと孫

昭和⇒平成


別府温泉

 丁度30年前になる、昭和天皇が亡くなったのは。1989年(昭和64年)1月7日早朝であった。
 その日は友人の店(飲食業)が休みで、従業員慰安のための別府旅行にご一緒することになっていた。家を出ても博多の町の静かなこと。別府で一番大きなホテルに入ったものの、日頃は団体客や家族連れで大賑わいの館内は静まりかえっている。前もって、宴会も食事をするだけだと申し渡されていて、お酒を頂いても全く盛り上がらない。だからと言って参加者は、昭和を恨むわけでもないし、話が先の戦争に及ぶこともなかった。
 天皇の死去(崩御)は、それほどまでに国民の気持ちを抑えつけるものかと思い知らされた。
その時就いた天皇が退き、いま新しい天皇が誕生しようとしている。テレビも新聞もお祝いムードがいっぱいである。折り込みのチラシも、「令和」誕生祝いの売り出しで賑やかなこと。
 考えてみれば、世のお父さんやお店なども、それまでの「大将」が年齢をとれば息子が跡を継いでいる。例えおやじが亡くならなくとも、余生を楽しませるために行う人の知恵なのだろう。天皇だって、「ご隠居さん」の暮らしがあってもいいはずだ。天皇が身近に感じた平静だったからこそ、国民は天皇の退位を祝い、新しい天皇を迎える気になっているのかもしれない。(2019年4月30日)


どんたくの思い出


どんたくの主舞台だった旧福岡県庁舎跡

 丁度30年前。福岡の民間放送・RKB毎日放送に在籍していたボクは、その年の博多どんたく主舞台の仕切りを任されていた。日本一を誇るお祭りが、大きな曲がり角に差し掛かった頃だった。それまで現国体道路を主にしていたパレードが、明治通りに変更されることになったからさあ大変。
 中心的演舞台も、急きょ取り壊された旧県庁舎跡に変更された。野っぱらなった跡地に、舞台と客席を造った。内容も大きく変更され、最終日の最終演目が明治通り(どんたく広場)と一体となって総踊りを展開する計画だった。
 なにせ史上初めての1、2キロの大通りの観客と踊り手が県庁跡地の主舞台の周辺にいる観客と一体となって「ぼんち可愛や」を踊るわけだ。舞台にいる同僚アナウンサーも袖から見渡すボクも緊張の連続だった。伴奏が始まっても、お客さんは踊りに参加してくれない。舞台の上からと下から声を嗄らして呼びかける。その内に一人また一人と踊りに参加したが、時間は経過するばかり。現在の盛況から比べると隔世の感ありだ。
 そんな博多どんたくが間もなく始まる。今年はボクも、一観客として、ゆっくり楽しみたい。(2019年4月28日)

一心寺の八重ざくら群
大分市

 

チンチン電車が走った時代

   
昭和27年当時の天神交差点。正面が現天神ビル界隈?
 
竣工当時の福岡ビル(1961年)
   
1960年代初頭の天神繁華街(中央が西鉄駅)
 
1891年の天神地区図(明治時代)
現明治通-国体道路間に堀が通る
 
大正期の福岡市役所
   
     
 九州一の繁華街・天神地区が大きく変化しようとしています。交差点の正面の福岡ビルも既に立退きが始まりました。西鉄本社が入っていた福岡ビルでは、ビル解体を前にして、明治以降の天神地区の移り変わりをパネルにして展示しました。立派なひげを蓄えた紳士が、孫娘らしい女の子に、1枚1枚指をさしながら、古き良き時代のことを語っている姿が印象的でした。

現在の天神

見守る地蔵さん

 
2019年1月撮影

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