想い出すこと


2019年07月07日

赤くなくちゃあ、七面草じゃない

 
左:2011年11月撮影

最近の新聞に「シチメンソウ謎の立ち枯れ」の見出しが寂しそうに出ていた。佐賀県東与賀町の有明海海岸に生息している海草のことだ。昨年も同じような記事とモノクロと見間違いそうな枯れ果てた七面草であった。
上の写真は、2011年の11月2日に私が撮影したものだが、うっとり見とれて、シャッターを押すのを忘れそうになったことを覚えている。新聞見出しのように本当に謎の立ち枯れなのかどうか。すぐそばまで寄ってきて、立ちあがりながら覗きこんでいるムツゴロウ君なら、真相を知っているかもしれない。
この惨状に地元の方は、種まきをしたり移植をしたりしながら、必死で回復を目指しているそうだよ。(2019年07月07日)

待合時間


あの頃のうどん屋さんはどこ 夜行列車で賑わった下関駅2番線ホーム

  機会があったらもう一度出合いたい、と思っているものの一つが下関駅ホームでの立ち食いうどん。東京勤務中、夜行列車で九州に向かうと、必ずホームに降り立つ場所があった。山陽本線のどんずまり・下関駅のことだ。当時の機関車はこの駅で、関門トンネル専用の交流電気機関車に入れ替えていた。海峡専用というわけ。取り残された乗客は、大よそ20分から30分待たされることになる。ふるさと九州を目前にしてじっと耐えなければならなかった。
ボクの場合、暇つぶしに、ホームで売っている肉うどんを食べることにしていた。それが習慣になって、夜が明けて目が醒めると、腹の虫が下関うどんを食いたいと騒ぐようになっていた。
この度下関に出向いたために、駅のホームに立ち寄ったが、うどんを売る店なんて影も形もない。それもそのはず、関門トンネル専用の客車を引っ張る機関車なんて何十年もむかしに廃止されていたのだから。
夜行列車の食堂で、1時間かけて食ったポークカツと合わせて、下関駅の立ち食いうどんをもう一度食したいなあ。

都会の中の田んぼ

 ボクが現住所に住み着いた頃、周囲にはいくらかの田んぼや畑があった。あれから30年、すっかり様相は変わってしまった。すぐ近くの福岡市副都心の六本松は、でっかいビルが林立し、家の周囲も大型スーパーや団地、飲食店が軒を連ねていて、黒土なんて氏神さんの境内にでも座り込まないとない。
そんなはずはない、と南方に連なる油山山系にに限りなく近づこうと地下鉄の終点近くの次郎丸駅を降りてみた。
やはり、「田舎」を見つけるのは大変だった。決心して、田んぼの見える場所まで歩くことにした。10分も歩いて、ようやく田植を終えたばかりの田んぼが、申し訳なさそうに住宅街に囲まれて佇んでおられた。見渡すと、縦長だったり長方形だったり、不揃いの田んぼが建物を挟んで見え隠れしている。
一面に張られた用水はどこから来るのかと、追求してみることに。短期大学の裏手を勢いよく流れる水を見つけた。岸辺では、色とりどりのあじさいが咲き誇っている。田んぼだけでは有り余る農業用水を、少しでも住民の心を癒すために、優しいお方がお世話をしておられるのだろう。
所狭しと野菜畑を手入れしているおじさんがいた。畑には、スイカやカボチャ、トマト、ゴーやなど、十数種類の野菜が植えてあり、収穫期を迎えたものもたくさんあった。
「そんなことはなかですよ。すぐそこの室見川を渡れば、まだまだ農地はよけい残っとります」とは、優しいおじさんの話でした。(2019年06月18日)
     
   
   
     

チンチン電車が走った時代

   
昭和27年当時の天神交差点。正面が現天神ビル界隈?
 
竣工当時の福岡ビル(1961年)
   
1960年代初頭の天神繁華街(中央が西鉄駅)
 
1891年の天神地区図(明治時代)
現明治通-国体道路間に堀が通る
 
大正期の福岡市役所
   
   
2019年07月02日撮影
 九州一の繁華街・天神地区が大きく変化しようとしています。交差点の正面の福岡ビルも既に立退きが始まりました。西鉄本社が入っていた福岡ビルでは、ビル解体を前にして、明治以降の天神地区の移り変わりをパネルにして展示しました。立派なひげを蓄えた紳士が、孫娘らしい女の子に、1枚1枚指をさしながら、古き良き時代のことを語っている姿が印象的でした。交差点で時代の移り変わりを見つめてきたお地蔵さんも、複雑な心境を顔に表しています。

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