歴史好みの皆さんなら、菅原道真公のお墓がどこにあるのかご存じですよね。そうです、合格祈願などでお馴染みの太宰府天満宮本殿が菅公(道真公)が眠っておられる墓所なのです。どうして?と、お墓の成り立ちに興味をお持ちのお方にぜひ読んでもらいたいのが、この神牛塚の由来です。
その前に、太宰府天満宮の楼門を潜る直前の右側に置かれた神牛の説明板をお読みください。
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太宰府市内に入ると、菅原道真に関わる遺跡があちこちに残っている。「神牛塚」もその一つだ。塚は西鉄大宰府駅を降りて、天満宮とは反対側に進み、大駐車場を過ぎたところの右手にある。この塚の主は、菅公の自家用車(牛車)を牽いた牛だって。この愛牛(名前を仮にともとする)の最期の数日を、道真の愛弟子味酒安行(うまさかのやすゆき)とともに辿ってみたい。
「もう、みやこには帰らない」
菅原道真が亡くなったのは、延喜3(903)年2月25日である。京の都から遥々大宰府の地まで連れて来た幼女紅姫と、味酒安行(うまさかのやすゆき)などわずかばかりの身内に看取られての臨終であった。
道真が59年の人生を閉じたその瞬間、館の外で悲鳴に似た鳴き声を発したのが愛牛のともであった。愛牛は、都恋しさで落ち込む主人の菅公を、外出の際など片時も離れず慰め続けた相棒であった。
2年前、都から連れだってやってきたのは、息子の隈麿と娘の紅姫であった。二人の兄妹はいずれも10歳に満たない幼児だった。そしてもう一人、都にいた絶頂期の頃から落ちぶれ果てるまでの道真を、支え続けたのが味酒安行である。
長男の隈麿は、当地に到着してからは病気がちで、昨年黄泉の国に旅立ってしまった。都から菅公を慕って飛んで来た飛梅のことは、別の回に譲ります。
道真は、亡くなる数日前に安行を枕元に呼んだ。「もう都には帰りたくないな」と一言喋るとすぐにいびきをかいた。菅公が都に帰りたくないわけは、政敵との闘いに疲れたこともあるが、それ以上に留守宅をまもる妻が亡くなった知らせを受けたばかりだったからだ。
「紅姫さまは貴方だけを頼りに、必死で生きておられますよ」と、安行が励まそうとするが、うつろな目で館の窓から東方を見つめたままである。
「我れは、都になんの未練もない。我れが死んだら、あの高い山の何処かに、頭を東に向けて埋めてくれ」。身体だけではなく、生きる気持ちさえなくした道真が、最期に残した願いごとであった。菅公が指をさした先に見えるのは、宝満山である。
それから間もなくして菅公は、紅姫と安行らを残して、二度と戻れない世界に旅立ったのであった。泣き叫ぶ紅姫を力いっぱい抱きしめる安行を、近所の村人らのもらい泣きが続いた。
菅公が住んだ南館跡(現榎社)
愛牛が止めた
味酒安行は、道真の遺体を愛牛ともが牽く車力に乗せて出立した。行先は菅公が指示した東方の豊満山(829.6㍍)である。遺体を乗せた牛車は、未だ陽が上り切れないうちに南館を出て、政庁の鬼門封じとして祀られる竈門神社を目指した。安行は、神社にお参りした後、車上の主人とゆっくり語り合いながら山の中腹を目指すつもりであった。
ところが、ともが突然立ち止まり、一歩も先に進もうとしなくなった。思案に暮れる安行に、お付きの者が囁いた。
菅公臨終の地の神牛像
「これも、道真公のご意思ではありますまいか」
「意思とは?」
「なるべく、お姫さまや安行殿の近くに居たいのだと」。納得する安行は、早速その場に穴を掘り始めた。
神牛塚近くの白川橋
重なる永久の別れ
安行らは、途中の竹藪に穴を掘って、菅公のご遺体を埋葬した。その間、ともは鳴く気力も失せたのか、荒い息を吐きながらうなだれているばかりだった。未だ梅も咲き始めたばかりの時節だというのに。
主人との永久の別れを済ました味酒安行は、空になった荷車を牽くともに寄り添いながら、南館への帰路についた。あまりのともの息の荒さが気になった安行は、白川(御笠川)に降り立って水を飲ませようとするが、それすらともは嫌った。その後、緩やかな川の流れに頭から崩れ落ちてしまった。とももまた、菅公の後を追っての臨終であった。
安行は、近寄ってきた村人の協力を得て、白川橋の袂にともを埋葬した。主人を追って亡くなったともは、遥か彼方へ旅立つ主人のお供を引き受けたのかもしれない。そして、途中で待っている奥さまと隈麿さまもいっしょに乗せて、楽しく語り合いながら遥か極楽浄土に向かわれたことだろう。安行は、生死の向こう側にいる菅公に、「そうですよね、きっと」と念を押した。
味酒安行が眠る墓
太宰府天満宮には、菅公の門弟であった味酒安行の子孫の方が、現在も神官としてお勤めになっておられる。ボクも、現役時代を含めて何度かお目にかかり、たくさんのことを教えてもらった。そんなこともあって、天満宮と政庁、榎社にはよく出向いたものだ。
だが、神牛塚のことは今回の取材で初めて知った。つい先ごろまでは、ある農家の庭の片隅に注連縄を張った巨石が転がっている状態だったらしい。(完)。
次回は、飛梅伝説を掲載します。菅公を惜しむかのように映る。
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