No.039

2022年05月15日

小戸の白ウサギ

福岡市西区姪の浜


姪浜駅前のウサギと龍のモニュメント


 福岡市営地下鉄の姪浜駅を出ると、すぐ目に入るのが途方もなくでかいモニュメントだ。白ウサギが、激しくうねる波の上を翔けている。影のようにウサギに寄り添う龍。タイトルは、「ドラゴン・キング・ラビット」だって。これは、姪の浜周辺に伝わる「龍王ウサギの伝説」がモチーフになっている。
 姪の浜は、博多湾の西方に広がり、風光明媚な海岸線が自慢なところ。対岸は能古島である。地図を眺めていると、ここが古代より、大陸との交易の窓口であったろうことが想像できる。
 姪浜駅から西へしばらく歩くと、“古刹”を実感できるお寺さんに出くわす。大よそ750年前の鎌倉時代に創建されたという興徳寺である。門前の説明板には、文永7年(1270年)に円通大応国師が開山したとある。今回は、その大応国師が若き頃に出くわした不思議な出来事の紹介だ。


興徳寺山門



若き僧大陸に学ぶ

 鎌倉時代。中国大陸に渡り、9年間の厳しい修行を終えて帰国を待つ日本人がいた。南浦紹明(なんぽそうみん)と名乗る若き修行僧である。紹明は嘉元元年(1235年)、現在の静岡県に生まれた。幼くして出家した後25歳にして宋の国に渡り、9年間虚堂禅師(きどうぜんじ=支那宋時代の高僧)について修行を重ね、翌朝には母国に向けて旅立とうとする夜のことであった。
 虚堂禅師に別れの挨拶を済まして、寮に帰る道すがらのことであった。おぼろ月を真正面から受けて歩いていると、前方より黒い塊が紹明の胸めがけて飛び込んできた。触ってみると、毛並みの美しい白ウサギであった。赤い目玉が更に潤いを漂わせている。どうやら自分に援けを求めているようだ。


 紹明は、ウサギを懐に包み込んだ。そこに現れたのが鋭い牙を剥きだしにした狼であった。「危ない!」、咄嗟に草むらに倒れ込んだところで、狼は振り向きもせずに去っていった。紹明は、安全を確認して家路についた。


今津湾



ウサギが荒海に飛び込んだ
 翌日早朝、紹明は帰国のために港に向かった。居残る修行中の弟子仲間たちに見送られて、同じく帰国する十数人の留学僧侶とともに船に乗り込んだ。大和に向かう東支那海は、紹明らの卒業を祝うように、波穏やかであった。
 紹明の懐が異常に膨らんでいて温かい。帯を緩めると、こぼれ落ちたのは昨夜狼の餌食になりかけていたあの白ウサギであった。紹明は、翌朝の出立を気にしていて、援けてやったウサギのことを忘れていたのだった。
 船は港を離れて大海に出た。やがて玄界灘に突入した頃から、急激に波が高くなった。荒波に叩かれて船は傾き、船縁から大量の海水が船内になだれ込んできた。紹明は、書物などわずかばかりの手荷物と、懐の中で眠っている白ウサギを気にしながら、同乗者の無事を祈り続けた。
 船が今津湾に入った。山のように高い波濤が更に高くなり、紹明らを乗せた船全体に覆いかぶさってきた。「我らの運命もこれまでか」。紹明が思わず唱えたのは、今後の人類の安泰であった。
 その時である。懐から飛び出したウサギが、舟板を思い切り踏みつけて舳先に駆けのぼり、逆巻く海に飛び込んだのだ。止める間もない出来事であった。


龍に変じて
 白ウサギは、波打つ海面を跳ねながら進み、遥か彼方で仁王立ちになってこちらを向いた。不思議なことに、ウサギが翔けた跡だけは、波が穏やかになっている。紹明らを乗せた船は、ウサギがつくった鏡のような水面を、滑るようにして能古島を通過した。振り返ると、船の道を挟んで、双方の海面は相変わらず天まで届きそうな高波がうねりまくっていた。


姪の浜から望む能古島


 見る見るうちに小戸の岸壁が目の前に迫ってきた。「ウサギはどこに?」、紹明の目が船の道と荒波を見渡すがどこにも見当たらない。
 天を見上げた。目の中に光の玉が飛び込んでくるような衝撃を受けた。あの跳ねるようにして走っていた白ウサギが、天に昇りながら龍の姿に変身しているのだ。
「有難う、白ウサギさん」。叫ぶ紹明に応えるように、天上の龍が更に輝きを増した。こうして紹明らは、無事小戸の港に上陸したのであった。(完)


大応国師像



 南浦紹明の幼名や本名は調べられませんでした。「円通大応国師」は、紹明の死後(延慶2年)に、後宇多上皇から贈られた称号です。
紹明は、筑紫国の興徳寺をはじめ、全国のいくつもの寺に名を刻んでいます。南浦紹明から宋峰妙超(大灯国師)を経て関山慧玄へ続く法系を「応灯関」というそうですが、現在の日本臨済宗はみなこの法系に属するといわれます。


 ふくはく紀行を取材していて、福岡には見応えのある寺院の多いことに気づかされる。今回訪れた姪の浜の興徳寺は、その中でも指折りのお寺さんだ。興徳寺を立ち上げた大応国師が、歴史上も名のあるお坊さんであることを、恥ずかしながら初めて知った次第。
 旧唐津街道が202号線に合流するあたりに、広大な敷地と樹齢数百年級の樹木が繁る。山門を潜ると、真っ先に目につくのが種々の博多塀だ。永い間、博多の人々の心の支えであり続けたのだと実感できた。

    
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