今回紹介する「花乱の滝」は、室見川の最上流域で、福岡西新(脇山口)から佐賀市に通じる国道263号の途中にある。国道を離れて山道へ、720㍍ほど歩けば、豪快な滝の音が飛び込んでくる。
150メートルの高さから落ちる滝の水が、さながら花弁が舞い落ちるように見えるところから、その名前が付けられたといわれる。
困った修験者
江戸時代、どこからともなく石窯村にやってくる山伏姿の男がいた。それも、雨風関係なく毎日やってきて滝に打たれて呪文を唱える。午前中いっぱい滝壺に入り、150㍍上から落ちてくる水圧に耐えて経を唱えた後は、本能の赴くままに動き出す。
昼頃には滝から離れて人家に近づき、農家が汗水たらして育てた野菜や果物を、勝手に取って食べる。それでも物足りなければ、百姓家に入り込み、女房に凄みをきかして飯をつくらせた。腹いっぱいになると、玄関先で高いびきをかいて熟睡するのもいつものこと。
石窯の民家
仏と鬼を併せ持つ男
「何とかしてくださいよ」と、被害を受けた松さんが番所に泣きついた。
「そう言われてもな」と、田舎回りの駐在さんならぬ役人さんは動きそうにない。50軒ほど点在する石窯の農家の安全を守るにしては、いかにも頼りないお人だ。
役人が頼りなければ、山伏はますます増長するばかり。「滝に打たれて修行する山伏が、どうして泥棒とか暴力なんて続けるのか」、仏と鬼の二面を併せ持つ、そんな山伏であった。
「よいことを思いついた」。松さんから相談を受けた庄屋の彦兵衛さんが答えた。
「役人に何とかしてもらうには、役人の弱みを見つけることじゃ」
村の者が総出で、役人の弱点捜しに取り掛かった。
「あった!」と手を挙げたのは、村でも最長老格の吉松爺さんだった。
「あの役人は、酒代がなくなると百姓にたかる。あれは、幕府が禁じる収賄罪ではないのか」
意見が一致したところで、代表が番所へ。少しばかり後ろめたさを持つ役人は、「仕方ないから、その山伏を牢屋に叩き込もう」と、やっとこさ重い腰を上げた。だが、番所からの呼び出しに応じるような,軟な山伏ではない。
曲渕ダム
祟り
「内野村の庄屋さんなら、よか知恵ば持っとるかもしれん」
石窯の徳兵衛さんは、松さんを連れて隣接する内野村に向かった。
「この村に住む式部という男も、式部と同じ岩戸村から来とる」
徳兵衛さんの案内で、脇山で細々と野菜を育てている式部を尋ねた。
「あの人を誘い出すなんて、俺にはできねえ。あの人は修行を教わった先生ですから」だ
と。簡単に断られた。そこで松さんが、頭を下げた。
「石窯村は、あの人が現れるまで、それは平和な村でした。だけれども、他人の畑を勝手に荒らしたり、家に入り込んで飯を要求したり、逆らったらあの錫杖で誰彼構わず叩きのめす、あんな怖ろしい修行僧なんて初めてです。子供たちまで、その真似をしだす始末です」
松さんは、慣れない弁舌を振るった。
「それなら、番所があるでしょう。役人さんなら何とかしてくれる…」
言いかけたところで再び松さん。
「いまの役人はだめです。弱い立場の百姓に、米や野菜を強要したり、挙句の果てには飲み代がないから建て替えろとまで言うんですから。山伏とどこが違うか…」
松さんの話を聞きながら、額に大きな縦皺を寄せて天上を見上げる式部さん。
「考えさせてください」と、言ったきり黙り込んでしまった。
山伏に滝の名前を
それから数日たって、内野村の庄屋さんの屋敷に式部さんが現れた。大きな筵を担いで。
「石窯のお方の話を聞きながら、まさか私の師匠がそんな悪い人だとは思いもしなかったことでびっくりしました。しかも、同じ岩戸で生まれ育った人間がです。ですから…」
式部は、おもむろに縛っている筵の紐を解いて広げた。中でうずくまっているのはあの山伏である。覗き込むと、山伏は既に仏の世界に去った後であった。
呼び出された石窯の庄屋と松さん。さすがに腰の力が萎えてしまった。
「まさか、本当に山伏を殺してしまうとは…」
庄屋も松さんも、この先どう繕ったらよいものか、途方に暮れるばかりであった。それからである、石窯村には思いもかけぬ災害が次々に発生したのは。生まれた乳飲み子が、原因もわからないままに、次々に死んだ。なぜか、石釜だけに稲穂や熟れた稲を食い散らすイナゴが大発生する。あろうことか、神とも慕う花乱の滝が涸れる寸前に。
「どんなに悪い奴でも、山伏を殺めた罪は重い。これからは、村が一体となって山伏の供養をしなければ」。そこで、村では花乱の滝のそばに花乱神社を建てた。更に、亡くなった山伏にも、滝と同名の「花乱」という名前を付けて弔った。その後間もなくして、災難も消えていき、むかしの平和な石窯村が戻ったという。(完)
国道263号線
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