No.031

2022年03月13日

叶わぬ恋のその先は

福岡市愛宕の蛇の岩



古臭い因習
 福岡市の西方・愛宕神社の裏参道鳥居のそばに、不思議な波打ち模様をした洞穴がある。よく見ると、2匹の大蛇が絡み合っているようにも見える。
愛宕神社が鎮座する愛宕山は、標高わずか68メートルの低山である。登山途中に見下ろす眺めは、四方八方、変化に飛んでいて大変面白い。
 少しばかり時代を遡れば、この地域、博多湾と背振山脈に挟まれた、何とも変化に富み過ぎた田舎だったろう。だから、封建時代の古臭い因習がこの地域の物語を作り上げてくれたのかも。


愛宕山から見下ろす左:旧竹浜村 右:旧宝来村


 愛宕神社から見下ろす室見川の岸辺周辺を、むかしは竹浜村といった。一方、愛宕山を挟んだ西側が宝来村だった。もちろん、北方の豊浜団地や小戸公園などの名所は、未だ遠い海の底だった時代である。だから、若者は時代劇でも観ている感覚で、この話を聞いて欲しい。
 竹浜村と宝来村の住民間には、いつの頃からか、絶対に相いれない対立があった。「なぜ?」と訊かれても誰も答えられないほどに、むかしからの背中合わせだったのである。それ故に、双方の村の若者が結婚するなんてことはもっての外。それどころか恋愛すら許されない。もし逢引きが見つかろうものなら、二人とも崖から投げ落とされることになっていた。それも、男は簀巻きにして投げ込まれ、女は裸にされて魚の餌になる。今回紹介するのは、まるで現代版ロミオとジュリエットのお芝居でも観ているようなお話しである。


簀巻き:人を簀に包み込み、身の自由を奪って水に投げ入れること。江戸時代は刑罰としていた。


見上げる愛宕山



簀巻きにして海中に

 時代は江戸初期のこと。竹浜村にユキという気の優しい娘がいた。彼女の魅力に惹かれて、村中の若者が言い寄ってきたものだ。
 春本番を迎えて、ユキは愛宕山の斜面に生える野草を摘みに出かけた。その時、藪笹を踏みつぶしながら一頭の猪が駆け下りてきた。獣の背中には鋭い矢が突き刺さっている。そのすぐ後を、弓を片手に若い男が追いかけてきた。若者がユキに気づいてよけようとした途端、転がっている石に躓いた。若者は、膝や腰をしたたか打って動けそうにない。ユキは駆け寄って、傷口を手拭いで縛ってあげた。
 若者は礼を言い、自分は宝来村に住む六郎だと名乗った。若い二人は、ごく自然な形で惚れ合った。部落間の諍(いさか)いで絶対に許されない恋の始まりであった。二人は、掟を承知で逢引きを重ねた。
 二人が室見川の土手の陰で逢瀬を楽しんでいる場を、宝来村の女に見つかった。女は村長に告げた。宝来村の村長は竹浜村の村長に娘を引き渡すよう申し入れた。そこで二人は引き裂かれ、男は竹浜村に、娘は宝来村に、お互いに仇の村に曳かれていったのである。
 そして、有無を言わさず裸にされて、六郎は簀巻きにされ、ユキの体には体長6尺(1.8メートル)もの大蛇が巻き付けられた。その後二人は崖下に投げ込まれた。この日の博多湾は、春の嵐到来で荒い波が崖に打ち付け、飛沫(しぶき)が四方に飛び散る嵐の様相であった。

海中で恋しい人の名を読んで
 体の自由を奪われたうえでのお仕置きである。万が一にも命が助かるはずはない。六郎は、投げ落とされた後も、不自由な手足をばたつかせながら、ユキの名を呼んだ。ユキもまた、首に巻き付いた大蛇に導かれて波間をさ迷い、六郎を求めた。しばらくして巻きついていた蛇がユキから離れて、海中を泳ぎ去った。間もなくして戻ってきた蛇の体には、簀巻きを解かれた状態の六郎が巻きついていた。大蛇は、六郎の手をユキの手に結ばせるとどこかへ去っていった。
 愛し合う二人に同情した蛇の計らいで、六郎とユキは波にもまれながら結ばれたのである。やがて二人は蛇に変身して、生涯離れることのない人生(蛇生)を送ったという。その後、2匹の大蛇は、連れ立って竹の山の池(今は消滅)に水を飲みに現れるのをみたという住民の話がある。その場所が、愛宕山裏参道入り口横にある蛇岩だと聞いた。
時間の経過とともに、2匹の大蛇は山裾に巣を築き、息絶えた後も絡み合いながら化石化したのだった。

 後日談になるが、六郎とユキの切ないまでの愛を知った村長らは、悲劇を繰り返さないために全面和解をした。ただ今令和の時代、愛宕山周辺に生きる若者よ、心配することないよ。愛する人とは遠慮することなく結婚したらよい。(完)



愛宕神社本殿  

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