No.030

2022年03月07日

カッパと山伏知恵比べ
若松の修多羅・島郷


高塔山の石地蔵

火野葦平の河童論


河童渡来地の碑(八代市)

今回はカッパのお話し。先の「筑紫次郎の伝説紀行」では、カッパは絶対に外せないキャラクターでした。そもそもカッパとは、川の澱んだ淵を棲み処にしている妖怪だと信じていました。でも、カッパ博士を自認なさるあの有名な火野葦平先生(故人)の考えは違います。つまりカッパという奴は、「そもそもはインドのガンジス川に住んでいたのだが、ウラル山脈を越えて中国に入り、揚子江を下って黄海から熊本の緑川に流れ込んで…」と展開なさるのです。カッパは川の淵の澱んだところだけに棲んでいるわけじゃないと言われます。ウラル山脈なんてとんでもない高くて長い山も、空中高く飛べるカッパには問題ありません。川だって、何千キロもの大河を泳いで東シナ海までたどり着けるのです。東シナ海の荒波だって、屁とも思わずに日本列島までやってきました。
 それがどうしたと剥きになる屁理屈屋には、火野先生なら、「したがって」と勿体ぶりながら、「
やがて(緑川から)筑後川に(移住して)住みつくようになったもの」だとおっしゃるに違いありません。「…筑後川こそは日本河童(先生はカッパを漢字で表されます)の本山であり、河口の町久留米市に水天宮が鎮座しているのは、当然だ」ということになりました。
 そこまでおっしゃっていただければ、ボクだって納得いたします。だって、かく言う私めは、筑後川で産湯を使った生粋の久留米人なんですから。それに加えて、火野葦平といえば知らない人がいない大先生ですもん、逆らうわけにはいきません。そんなわけで今回のお話しは、火野葦平先生の御作品「石と釘」を下敷きにさせていただきながら、先生のふるさとでもある若松を訪ねた時のことをお話ししましょう。


浜五郎、洞海湾を行く


高塔山から望む洞海湾


 ボクの分身である浜五郎は、もとはといえば筑後川の頭領九千坊のもとで修行してきた筋金入りのカッパでございます。
 浜五郎は、博多から関門海峡まで筑前という区割りを縄張りとするご当地カッパの番長でございます。番長といわれるからには、配下の暮らしぶりや働き具合を気にかけてやるのも大切な仕事なのです。ですから今回は、火野葦平先生のお膝元の北九州市は若松区を訪問しました。今回お邪魔した修多羅(すたら)とは、無法松の一生でお馴染みの洞海湾に接する一帯でございますよ。このあたりのカッパは、むかしから修多羅村と島郷村に分かれて、開けても暮れても縄張り争いをしてきました。わたしが修多羅にお邪魔したときもそうでした。
「島郷の奴らが、5尺(1.5メートル)も手前に境界線を引きやがって。聞いてくださいよ、番長」村長の他所助(よそすけ)が訴えるんです。たかが5尺くらいのことで大げさな、と笑いたいところですが、彼らのメンツもありますから話しだけは聞くことにしました。


修多羅と島郷の地上戦

修多羅軍と島郷軍の地上戦は一晩中続いています。戦争ですから、当然のごとく戦死者が出ます。戦闘員は全員カッパです。殺されたカッパの遺体は、腐った緑の屑(アオミドロ)となって田んぼ中を覆います。これをやられると、近所の百姓はたまったものじゃありません。臭いのなんてのって、鼻をつまむ程度じゃおさまりませんよ。それよりもっと困ることは、緑の屑をばらまかれた田んぼでは、育ち盛りの稲の根がことごとく腐ってしまうのです。
アオミドロ:(青味泥)藻類のこと。 藻体は無分枝糸状であり、細胞内の葉緑体がリボン形でらせん状に配置していることを特徴とする。 身近な淡水域に極めて普遍的に見られる。
 意地と意地のぶつかり合いとでも言うのでしょうか。修多羅と島郷の戦いは、日が暮れると決まって毎日続きます。戦闘の被害で弱り切った百姓は、役人や政治家に訴え出ますが、当面選挙もないからと言って耳も傾けてくれません。そこで百姓たちは、戦争当事者である私どもに直訴してくるのです。
「そこで、なんとした?」
「断りましたよ。戦争は止められないって」
「百姓さんを敵に回してはならんと、あれほど言って聞かせたではないか」と、浜五郎の拳骨が飛びそうになった。


共通の敵は山伏

英彦山の山伏(イメージ)


「違うんですよ、番長。実は、昨日から島郷とは仲直りしたんです」
「そりゃまた、なして?」
「修多羅と島郷にとって共通の敵が出現したからでございますよ」
「共通の敵?」
「そうでございますよ。それは人間です、堂丸総学という英彦山の山伏でして」
「総学、山伏…。どこかで聞いたことがあるな」
「かつて日向の耳川で、笹の葉っぱに念力をかけて、カッパを封じ込めたっていう」
「その山伏が、なしてお前らの敵になったのか」
「人間の百姓にとって、カッパは田んぼを荒らす敵なのです。でも、役人や政治家は百姓を助けてくれません。そこで、英彦山の山伏総学さんに調伏してもらうことになったてわけです」
調伏:祈祷によって悪魔・怨敵を下すこと
「総学の奴、今度はどんな手で我らカッパ族に立ち向かおうと言うんだ」
「へい。奴は何を考えたか、洞海湾近くの鍛冶屋に釘を1本注文したんです。その釘ときたら、なんと2尺(60センチ)もある超大型のものでして。それを担いでとことこと高塔山(標高120メートル)に登って行ったんでございますよ」
「釘1本担いで高塔山にな。それで、…」


石の地蔵さんに釘一本で


高塔山頂上の広場(正面が地蔵堂)

話しがややこしくなってきて、浜五郎が身を乗り出した。
「総学の奴、耳川でカッパ封じ込めに成功したもんで、今度は高塔山の石の地蔵さんですかね」
 左手に分厚い経本を捧げ、右手で笙を打ち鳴らし、時折山腹を震わせる法螺貝を吹きならします。なるほど、見かけは骸骨のように痩せていますがね。山伏の総学は、高塔山頂上の石地蔵の体内にカッパどもを封じ込めようと考えたんです。あの硬くて釘など受け付けそうもない石の地蔵さんに、6尺の釘を打ち込もうって計画なんです。地蔵さんの硬い体が柔らかくなり、釘が打てるようになったら、その時がカッパどもを一網打尽にするときだと。山伏総学は、経本片手に、硬い石に向かって金槌を打ち続けるのでした。

嫌がらせ作戦
「面白い、わしも総学の念力とカッパ軍の知恵比べを見て見たい」と和五郎。台座に乗せられてやってきたのは高塔山の頂上です。高塔山っていうからどんなに高くて険しい山かと思きや、なんのことはない、たったの120メートルの丘でした。終点JR若松駅から見上げると、片足ケンケンでも登れそうです。頂上から見下ろせば、真下に洞海湾が見渡せます。
「我らカッパ族にとって大事なことは、総学が持つ経本を取り上げることだ。奴がやる気をなくすための戦術を駆使しろ」
 和五郎が立ち上がって頂上付近を埋め尽くした両軍の兵士に号令を発しました。
「へ~い」、カッパが考え出す戦術とはいったいどんなもの。
4~5匹がこっそり総学に近づき、新聞紙に包んだ硬貨をお尻の付近に置いてくる。金で目配せするわいろ作戦。
〇怪しげな音楽のなか、絶世の美女が現れる。美女はくねくねと腰をゆすりながら、着ている着物を1枚づつ脱いでいき、最後は一糸まとわぬ姿で総学を振り向かせようとする。どぎついお色気作戦。
それでも関心を示さない総学には最後の一手。100杯ほどの肥え桶をゆさゆさゆすりながら総学の回りをうろうろするのです。鼻つまみの術です。
そのいずれの作戦も不発に終わって、カッパ全員疲労困憊。尻もちついたまま次なる知恵がなかなか湧いてきません。そのときです。お堂の中から異様なうめき声が。


満願成就はカッパの終焉
 山伏総学のうめきにも似た掛け声でした。目の前の石の地蔵がぐらっと傾いたではありませんか。慌てて支えようと肩を掴むと、ヌルっと総学の指が吸い込まれる感じ。
「満願成就!」、その声は総学。小さい体からよくもあんなに大きな声が。高塔山全体を覆いつくすほどに響きました。2尺釘を石の地蔵の肩口に打ち込むと、難なく釘の先が硬い肩口に食い込みました。その途端、総学の意識は朦朧とし、右手に持っていた経本を取り落としてしまいました。
「いまだ!かかれ」の他所助の命令で、囲っていた全員が総学目掛けて攻撃を開始しました。だが、総学は、経本は落としても読経はとどめません。
「危ない!」、他所助が怒鳴ると、カッパどもの隊列が崩れ、1匹、2匹。100匹、1000匹と地蔵さんの体内に吸い込目れていきました。大方広場からカッパの姿が無くなると、今度は総学、2尺釘を肩越しに「え~いっ」とばかりに打ち込みました。後には、青い屑(アオミドロ)が広場一面に広がりました。
 危ないところで命だけは助かった和五郎と他所助。
「言ったろう、人間さまを甘く見ちゃいけねえって。ましてや、米を作る百姓さんや人の心を癒してくれる神さま仏さまには、今後とも絶対に逆らっちゃいけねえよ」
 和五郎は、止まらない膝の震えを必死で堪えながら、早々に博多湾に帰っていきました。
 高塔山の頂上には、今も背中に大釘を打ち込まれた石地蔵がお堂の中に安置してあるそうですが、小生そこまでは確認できませんでした。(完)

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