No.029
2022年02月27日
お城の財宝
2022年02月27日
福岡城東御門の石垣
お侍さん(武士)たちにとって、江戸時代に入ると戦争(内戦)の恐怖も薄れて、平和呆けが蔓延するようになりました。我が福岡藩でも、例外というわけにはいかなかったようです。福岡藩の初代藩主・黒田長政の頃までは、江戸幕府に気を使いながらも、お城の建造に精力を費やすという大変な時代でした。それが二代目ともなると、組織の引き締めよりも自らの欲望が先走るようになります。世に言う日本三大お家騒動(仙台の伊達騒動・金沢の加賀騒動・福岡の黒田騒動)にも、福岡藩がしっかり名を連ねているのです。 黒田長政から家督を継いだ二代目黒田忠之(長男)と、筆頭家老の栗山大膳が、藩の存亡を懸けて争っている最中のこと。こともあろうに、忠之の愛妾・お秀の方が城出入りの左官・佐太郎(お秀の従弟)を呼び出してとんでもない話を持ちかけた。
数日後、お城の中が静まり返った真夜なかに、企ては実行に移された。誰も知らない、見張りもいない抜け道を、佐太郎が重い荷物を背負って東御門に近づいた。前もって言い渡されていた石垣にたどり着くと、職業柄心得ている技で大石を取り除くと、その奥に担いできた財宝を投げ入れた。投げ入れた後には、元の大石をはめ込み、さらに隙間に水晶玉のような蛍石を埋め込んだ。その後の目印のためである。佐太郎がようやく長屋にたどり着いたときは、自分が生きているのやら死んでしまったのやらさえわからない呆けた状態だった。
やっと佐太郎が我に返ったのは翌朝のこと。そうだ、財宝の隠し場所を図面にしておかなければ大変なことになる。図面は同じものを2枚つくり、そのうちの1枚をお秀の方に渡す。それから…ええと」またまた佐太郎の頭がこんがらがってきた。 その後、お秀の方と佐太郎が、盗み出したお城の財宝を取り出したという記録は見当たりません。それは、400年たった現在でも謎のままです。確かなことは、筆頭家老の栗山大膳が幕府に対して、藩主の所業を訴え出たことが罪になり、遥か東北の南部藩(岩手)に流罪を言い渡されたこと。訴えられた藩主の黒田忠之の罪はうやむやになったということくらいです。令和の時代になって、「公文書偽造事件」の結末を見るようで、考えただけでも背中のあたりが寒くなります。 |