No.028
2022年02月20日
鏡の井戸
いざよいを見守る鏡の井戸
福岡市東区馬出(まいだし)2丁目の高層団地脇に、翁別(おきなわけ)という名の小さな神社が建っている。筥崎八幡宮から数百メートル離れた場所である。この神社、90年ほど前に1㌔足らず西方の海岸から引っ越しておいでだったとか。 神社といっしょに引っ越してきた井戸のことを、人々は「鏡の井」と呼んできた。この井戸、いざよい(十六宵姫)の数奇な運命を語る貴重な“証人”なのだ。
湧水に映える黒髪 お話は、1140年もむかしの平安時代初期まで遡る。箱崎ヶ浦(箱崎の海辺)に住む漁師松蔵とウメ夫婦は、箱崎八幡にお参りした帰り道、神主さんに呼び止められた。
請われて都へ 筥崎八幡宮に参詣する客も鏡の井に立ち寄り、甘露の水を口に含みながら髪を梳いた。そんな評判は、宇多天皇の※奉幣使として箱崎八幡に参った橘良利(たちばなのよしとし)がいざよいのことを耳にした。いざよいが13歳に成長した寛平6年(894年)のことであった。 北面の武士
奉幣使橘良利に連れられて都に上ったいざよいは、白梅姫の名前をいただいて内裏(だいり)に上がった。箱崎の津で磨かれた彼女の美貌と立ち振る舞いは、宮廷で動き回る男どもの関心を惹かぬわけがなかった。その内に※北面の武士である高丘蔵人金平が、橘卿を介して結婚を申し込んできた。 ※北面の武士:御所の北側の部屋の下に詰め、上皇の身辺を護衛する武士のこと。又は、院の直属の軍として、寺社の強訴を防ぐために動員されることも。 娘との間を引き裂かれた松蔵夫婦は、淋しい毎日を送っていたが、ある時思いがけない知らせが舞い込んだ。娘が夫の金平と二人の孫とともに博多に帰ってくるというのだ。宇多天皇が、道真を警護するよう金平に命じたのである。更に菅原道真が、九州・大宰府に左遷されることになると、土地勘を持ついざよいとともに同道するようとの命令も出された。延喜元年(901年)のことであった。いざよいは、思いがけなく故郷に帰還することになったのである。 鏡の井戸復元
しばらくの間、親子三代で過ごしたいざよい夫婦は、早々に都へ旅立った。仏門に入った宇多上皇に、道真の死を報告することと、九州での干ばつ被害の救済を求めるための決断だった。これが、箱崎ヶ浦との永遠の別れになろうとは考えてもいなかった。そして、箱崎ヶ浦の泉は消え去ったままであった。 箱崎ヶ浦から鏡の井戸が消えてから18年が経過した延喜21年1月。こつ然と現れた陰陽師(おんようじ)の安倍晴明。陰陽師とは、中国大陸から伝わった天文の観測、暦の作成、占いなどを行うために朝廷が拵えた部門である。安倍清明はその部門に属する高級役人であった。晴明は、いざよい夫婦の訴えを叶うべくやって来たのだった。 箱崎ヶ浦の顔役・日下辰五郎を案内役にして、箱崎ヶ浦の浜辺に祭壇をつくって呪文を唱えた。時を見はからって、持っている杖を天空高く投げ上げた。すると、天空が一転掻き曇り、強烈な稲妻が空中を駆け巡った。博多の海の荒波が雷鳴との間に絡み合い、地上は真っ暗闇となる地獄の様相となった。 案内役の辰五郎が、地面に伏していた顔を上げたとき、飛んでくる稲妻に跨るようにして、巨大な白龍が踊り出るところだった。その途端、大粒の雨が地面をたたきつけた。天空を泳ぎまくっていた白龍は、清水が噴き上げる井戸の中に飛び込んだ。その時陰陽師安倍清明の姿も消え去っていた。辰五郎が見上げる空からは、大粒の雨が降り続いた。 こうして、消えた鏡の井戸は復活し、その後涸れることなく浦人の暮らしの支えになったという。道真公の祟りだと恐れられた干ばつや不漁の厄も、この世から消えてなくなった。
箱崎ヶ浦の辰五郎は、尽きることなく湧き出る井戸には、白龍が巨大な尻尾で集めた石を積み上げて井筒とした。その周りには玉垣を巡らせ、父松蔵の名をとり「松の翁」、母ウメからは「白梅の媼」の字をいただいただいて「翁別神社」と銘うった。それが、現在も福岡市の馬出にある「翁別神社(おいきなわけじんじゃ)」と「鏡の井」である。 「鏡の井」の取材で何度も現地を訪ねた。福岡市東区の馬出(まいだし)という地域だ。「まいだし」なんて変な呼び名の地名で困惑しがちだったが、何のことはない主舞台の翁別神社は筥崎宮の目と鼻の先だった。
|