浮御堂の人魚姫
No.021
2022年01月01日
浮御堂の人魚塚
龍宮寺境内の人魚塚
博多駅から埠頭に向かう大博通りの途中に、龍宮寺なるお寺がある。京都知恩院の末寺だとか。 寺名に惹かれて境内に入ると、観音堂の脇の「人魚塚」と記された古い石碑が目に留まった。人魚といえば、アンデルセンの童話「人魚姫」(1837年発表)が有名だ。この寺の人魚は人魚姫よりもっと古い鎌倉時代というから、直接関係はなさそうだ。 袖の湊の浮御堂
ときは鎌倉時代の貞王元年(1223年)。冷たい冬も去り、やがて春を迎えようとする時節であった。袖の湊付近を漁場として暮らすイサオは、相次ぐ不漁で投網を担ぐのも嫌になるくらいに疲れていた。袖の湊は、博多川河口の鏡天満宮あたりを指す。当時の博多湾は現在の明治通近くまで食い込んでいたらしい。天満宮境内には「渡唐口跡」の石碑も立っている。ここは、中国など大陸へ渡る玄関口にもなっていたわけだ。 恋人そっくりの魚
すると、奥から出てきた住職のタチバナさん。 人魚は吉兆 「そんなはずはねえ、網にかかる人間なんて聞いたこともない」。イサオは、縁(へり)を掴んだままで網を引き揚げた。そこに躍り出たのが、上半身はヨシノによく似た人間の女で、下半身はまさしく尾ひれを持った魚類であった。半分死にかかっている変な生き物を陸に上げ、浮御堂に駆け込んだ。
「こんな生き物見たことねえ。麒麟(きりん)が出たか、龍が現れたか、瑞兆(ずいちょう=良いことが起こる前ぶれ)じゃ、吉祥じゃ」。興奮しっぱなしのタチバナさんがお役所へ、お役所から早便で都へと連絡が飛んだ。 龍宮のお遣い
中納言の命によって、ヨシノの顔をした人魚は手厚く葬られることになった。浮御堂も、縁起の良い寺ということになり、勅使・冷泉中納言の名をとって、山号・寺号を「冷泉山龍宮寺」と改められた。浮御堂が建っていた海を冷泉の津とも命名されたのである。このあたりの海を冷泉の津というようにもなった。その後浮御堂の龍宮寺は、少し陸地に下がって現在の場所に移転されたのである。 人魚の正体は 人魚によく似た魚類といえば「ジュゴン」と答える人が多い。水族館で観察すると、顔の形が人間に似ている。でも、よ~く見ないとわからない。亜熱帯から熱帯にかけて、浅い海に生息しているとか。体調は2~3メートルくらいで体重は大きいもので400㌔もあるという。 七観音 龍宮寺境内に建つ観音堂には7体の観世音菩薩像が祀られている。これは、秀吉が博多町割りをしたとき、「博多七観音」の一つとしたものと伝えられている。 現在川端商店街近くにある冷泉公園は、龍宮寺から冷泉通りを南に300メートルすすんだところ。 |