久留米絣の井上伝 


2014年6月22日

【付録】

文部省の教科書

井上伝が没して42年後、文部省発行の国定尋常小学校修身書「新体読本」に「井上デン女国益を起す」の題で掲載。
夏の衣服に久留米飛白といえるものあり。これは筑後国久留米より織り出すものにて、その初めは井上デンという女の織り出したるなり。デン女は久留米の人なり。幼き時より布を織り衣服を裁ち縫いすることを好み、師のもとへも通わず、自分で勉めてその業を究めたのが12〜3歳の頃。試しに屑糸を持って白糸のところどころを縛り、これを藍汁に浸し、引き上げて縛っていた糸を解き捨て、これで布を織った。その織り上がって布を見ると、白い(まだら)が細かく顕れた。
これが珍しくて、人々はこれを見て、「雪降り」、または「(あられ)織り」と呼んで大変珍重した。
デン女はこれからますます励んで工夫を凝らし、織るほど買うものも次第に増えた。15〜16歳の頃にはいよいよ仕事ぶりもよくなって、家に来て習うもの常に20人を超した。デン女が40歳になる頃には、彼女から教えを受けて織屋を開いたものが400人を超えるに及び、飛白の名前大いに世に知れ渡った。
女でも志が高ければ、デン女のように発明も成し遂げることができるものだ。されば、何人(なんぴと)もその仕事に励めば、自分のためにもなり世の利益ともなる。

久留米絣と井上伝の歌

 伝の死後40年たって、久留米市では偉人の一人に数えられる「井上お伝」を称える唱歌が生まれている。

1、久留米の市(いち)の名産と、もてはやさるる紺絣
  織り始めしはお伝とて、まだ十二なる少女なり
2、砕きし心のあられ織、名も美しき絵絣や
  十字がすりの品(しな)高く、受けたる誉れは幾度ぞ
3、千機八千機(ちはたやちはた)立て並べ、八しは八千しほ染めなして
  あせぬ色香をたてぬきに、織り出す高は百万反
4、少女の細き手先より、世にあらわれて国富ます
  技の巧みは天(あま)の下(した)、人のかがみと光るなり
5、工夫をつまば何事か、なして成らざる事あらん
  功(いさお)を立てよ諸人よ

木綿唄

1、辛気篠巻(しんきしのまき) 木綿の車
  引けば 我がため 親のため
2、わしとお母さんと 木綿引く中に
  だれか窓から 石投げた
3、わしに当らず お母さんの膝に
  あたりましたが 気の毒い
4、紺の前垂れ 松葉のちらし
  待つ(松)にこん(紺)との 知らせかい

絣織り唄

1、一番どりから二番どり 三番どりまで留めおいて
  もうにゃ帰さにゃなるまいと 障子あければ 雨と風
2、私のハンカチほおかむり 私の前掛けみのとして
  帰る貴方もつらかろう 帰す私は まだつらい

機織り唄

1、ほうたい巻き巻きよ 巻き巻きよ
  ほうたい巻き巻き 痛いかと問えば
  何のチントンシャン 痛かろ 国のためよ サノ

そろばん踊り(機織り唄)

1、私しゃ久留米の 機織り娘よ
  化粧はほんのり 花ならつぼみよ
     「私しゃっサイノ
     久留米の日機(ひばた)織りで
     ございますモンノ
     私しがサイノ
     日機ば織りよりますとサイノ
     村の若い衆が来て
     遊びにゆこ 遊びにゆこと
     言いますモンノ
     一緒に遊ぶたあ よかバッテン
     日機がいっちょん
     織れまっせんモンノ
2、惚れちゃおれども
  まだ気がつかんね
3、私しゃ年頃 機織り娘よ
  赤いたすきに 姉さんかぶりよ
     (詞略)
4、その場限りの
  浮気はごめんだよ
5、私しゃ評判 機織り娘よ
  通う心は   一つに結ぶよ
     (詞略)
6、心許した
  お方は一人だよ

本編の引用資料
タイトル 著者・編集者 発行所 備考
久留米市史 久留米市
くるめ風土記ちくご散歩美術館 久留米市観光コンベンション協会 久留米絣・井上伝
久留米がすりのうた 岩崎京子 旺文社 昭和56年発行
久留米商業史 久留米商工会議所
久留米絣 久留米地場産 パンフレット
久留米絣始祖・井上傳子 武藤直治/黒岩萬次郎 福岡県社会教育課 昭和5年発行
久留米絣 武田令太郎 久留米絣同業組合 大正13年発行
久留米絣 武田令太郎 久留米絣同業組合 大正3年発行
久留米絣創始者・井上伝 中村健一 久留米郷土研究会 1995年刊
絹と木綿の江戸時代 山脇悌次郎 吉川弘文館 2002年発行
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