| 第7部 玄海灘逃避行

糸島可也山を横目に帆船が走る
江戸後期の玄海灘風景(福岡市博物館蔵)
藤 四郎の懺悔
望東尼は、板子の上に敷かれた布団に横たわったままである。小藤四郎が、覗き込むようにして話しかけた。
「この度のハハウエ救出作戦は、すべて高杉晋作どのがお立てになったものです」
小藤四郎も、現在は奇兵隊の一員として高杉晋作のもとで働いている。頭上で点滅する大きな星に魅入リながら、望東尼は小藤四郎の話に聞き入った。
「その高杉さまに、ハハウエの救出を願い出たのは、ここにいる藤 四郎どのです」
「どうして、藤 四郎が?」
そこで藤 四郎が、望東尼の前に出た。
「下関の奇兵隊で聞きつけたのです。玄界島の牢獄に繋がれている二人の同士が、突然首を斬り落とされたと。今や福岡藩は、流謫(るたく)の者の命をも奪ってしまうのかと、恐ろしくなりました。そこで頭に浮かんだのが、姫島に繋がれているハハウエのことでした。いつなんどき、ハハウエの身に危険が及ばないとも限らないと考えました。それで・・・」
「高杉さまに相談したというわけね。そこまで私のことを考えてくれる四郎の胸の内を教えて」
藤 四郎が座り直して、望東尼に深々と頭を下げた。
「拙者、ハハウエや同士の皆さんに、取り返しのつかない間違いを犯したのです」
藤 四郎が言う、取り返しのつかない間違いとは・・・。
望東尼が藩庁から自宅謹慎の命令を受けた同じ日のことだった。その時福岡城下にいた藤 四郎は、ある重大な事件に関わることになる。野村家の隣人である喜多岡勇平の暗殺に、加わったのである。
「あの時のこと・・・」
望東尼が絶句した。濡れ衣を着せられて、野村家の座敷牢に閉じ込められた時のことだった。外から異様な音が聞こえた。間もなく隣屋敷に住む喜多岡家の女中が飛び込んできて、「旦那さまが、旦那さまが」と叫ぶ。様子を見に行った野村家の男が、口もとを震わせながら、「喜多岡さまが殺されました」と叫ぶなり、その場にへたり込んだ。
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志摩海岸から望む玄界灘
「あの時、喜多岡さまを殺めたのは、あなたたちだったの?」
疲れ切っている望東尼の頭は、空転するばかりであった。
「どうして四郎がそんな大それたことを」と、望東尼が問うた。
「今は亡き月形洗蔵どのからの命令でした。喜多岡さまからは、実は、勤王派にとって大変な敵であると教えられたのです。それ以上深く考えることもなく、喜多岡さまの殺害に加わりました。ところがです」
「・・・・・・」
「後で知ったことですが、喜多岡さまはその時、幕府による長州征討を回避するために、密かに東奔西走を繰り返しておられたのです。そのことを、後日長州で知りました。その上喜多岡勇平どのは、私がもっとも尊敬する平野国臣さまとも、親しい間柄だというではありませんか」
そこまで聞いて望東尼は、藤 四郎の高杉への願い出の意味が分かったような気がした。
「いかに攘夷のためとはいえ、本来味方であるお方をこの手にかけるとは…。隣人の喜多岡勇平どのや平野国臣さまとも、意を通じる仲だったおハハウエをも裏切ったことになります。今更、喜多岡勇平どの殺害の真意を質そうにも、月形洗蔵どのはこの世にはいない。居ても立ってもいられない気持ちになり、高杉さまにおすがりしました」
そこまで述べて藤 四郎は、下を向いたまま泣きじゃくった。そばにいる小藤四郎が、藤 四郎の肩に手を当てたまま、いっしょに泣いた。
大島上陸
「こんな小さな船で、波の荒い海を乗り切れるのかね。風だって、必ず順風とは限らないでしょうに」
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宗像から眺望する玄海灘
望東尼は、藤 四郎の懺悔話に区切りを付けるべく、船の中央に立つ帆を指さした。
「そこは心配ご無用に願います。船は、西から東へ流れる対馬海流に乗っております。それに今は都合よく南西の風が吹いております故」と、小藤が説明した。
「この船に乗っているのは、誰と誰?」
望東尼の問いに、小藤は一人一人を指さしながら紹介した。
藤 四郎・小藤四郎(以上福岡藩脱藩者)、多田莊蔵・吉野応四郎(以上対馬藩脱藩者)、泉 三津蔵(長州藩士)、権藤幸助(博多商人)以上六人と船頭である。
望東尼は、更に小藤四郎に質した。
「私を救い出す計画を立てたのは、高杉さまだと言ったわね。そこのところをもっと詳しく教えて」
望東尼の問いかけにも、藤 四郎が応えた。藤 四郎の訴えを聞いた高杉は、早速望東尼救出のために動いた。高杉にとって望東尼は、命の危機を救ってくれた大恩人である。山荘では、人生の先輩である尼僧に、生きる力の源泉とか自然に対する尊敬の念の大切さを教えて貰った。山荘を去る際には、望東尼から、一晩かけて縫い上げた旅衣を着せてもらった。その恩を返す時が今来たのだと、高杉は思ったのであろう。
病を押して望東尼救出作戦を練り、必要な物資と人員の調達を藤 四郎に指示したのだと言う。
「更に高杉どのからは、脱出後のことも細かく指示されました。海の流れと風を読むことの必要性も説かれました。唐津藩のすぐ隣の浜崎にいる、攘夷派の同士の力を借りるよう」とも指示されたと言う。
病を押して練り上げた高杉の計画が、藤 四郎らによって実行に移されたのだと説明したのである。
「今、船はどの辺を走っているのかしら」
風を読むのに集中している船頭が顔を向けた。
「先ほど、大きな船が先方を横切ったから、玄界島を通過したところでしょうか」
しばらく沈黙が続いた。気がつけば望東尼は、俯いたまま寝息を立てている。
「ハハウエ、拙者はこれから宗像沖の大島に上がります」
藤 四郎が声をかけた。
「何のために?」
望東尼には訳の分からないことである。
「大島の牢獄に繋がれている、助作どのを救い出すためです」
「孫の助作を? 会いたいな」
突然孫の話が出て、望東尼はすっかり目を覚ました。
「大島だって広いでしょうに。助作のいる牢獄が何処にあるのか、わかっているのかい」
「それも心配ご無用です。拙者は六年前に、脱藩の罪で大島の牢獄に繋がれたことがあります故」
牢獄は、この島の北東部に設けられていると、藤 四郎は言う。
藤 四郎が、権藤幸助を伴って下船した。時を経ずして戻ってきた二人が連れてきたのは、助作ではなく見知らぬ男三人であった。
「どうしたの、孫は?」と、激しく問い質す望東尼に藤 四郎。
「助作どのは、流謫(るたく)ではなかったのです。この者たちの話だと、今も城下の枡木屋獄に入れられたままだそうです。連れてきた三人も、脱獄を希望したので、下関に連れて行くことにしました。ハハウエには、期待だけを持たせて、お気の毒でした」
うなだれる老尼を、一同は慰めるばかりであった。新しく乗船したのは、桑野半兵衛・澄川洗蔵・喜多村重四郎の三人。藤 四郎と同様、いずれも福岡藩からの脱藩者である。
大島を離れた船は、再び波荒い玄界灘に出た。追い風を受けて、更に波静かな響灘へと突き進んでいくのである。(第8部に続く)
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