私・カッパの浜五郎は、生まれも育ちも筑後国は筑後川でございます。故あって、カッパの総大将から、筑前国で働けとの命を受け、郎党10名ほどを連れて博多湾にやってまいりました。連れてきた郎党どもには、私から博多湾に流れ込む二級河川への転勤を命じました。それから10年もたちますと、わたくし子作り上手なカッパ族に属しているものですから、たちまち子孫が増えましてね。今では全国どこにでも子孫のはしくれが、つまりカッパのいない場所はなくなったんでございますよ。
そんなわけで、棲みついた博多湾から皆さんに、細やかな経験談でも語ってまいりたいと存じます。
江戸時代。私が棲む百道浜で、毎年夏になると何人もの子供が溺れて死にます。人間族は、そんな災難をみんなカッパのせいにしてしまうのです。濡れ衣もいいところですよ。でもね、日頃人間さまにお世話になっている手前、私も水難事故を見過ごすわけにはいけないんでございますよ。
博多湾のカッパ
金屑川河口付近
博多の町を黒田武士が闊歩していた江戸時代。同じように、博多湾周辺のカッパどもも、太平の世を楽しんでいた。私・カッパの浜五郎も、黒田武士に化けて海岸をを歩いていたってわけ。百道(ももち)の浜辺から金屑川に出たときのこと。前方の川原で数人の漁夫が、収獲した魚を川舟から引き上げるところだった。
「今日は珍しくよう獲れたない」
荷揚げ作業を終えた漁師たちは、高笑いをしながら夕日に向かって帰って行った。その様子を伺っていたのは浜五郎だけではない。岸辺の菰原から子供のカッパ3匹が立ち上がった。奴らは、大きな魚籠を持って小屋の中に入り込み、獲れたての小魚を持ち去ろうとした。
カッパの泣きどころ
百道海岸は子供の遊び場
浜五郎が止めに入ろうとしたその時だった。そこに、小学3年生くらいの人間の子供3人が躍り出たのだ。小魚を盗んでいるカッパと同じくらいの背恰好である。いずれも元服前の武士の息子らしい。腰紐には、道場で使う木刀を差している。
「貴様ら、カッパか!。せっかくおっちゃんたちが獲った魚を盗むとはけしからん。元に戻してとっとと海に失せろ!」
最年長の由之進が、カッパらを威嚇した。カッパにも日頃相撲の稽古で鍛えた腕がある。加えて、カッパ族の意地とプライドも大有りだ。だから簡単には引き下がれない。
「なにをへなちょこめ。悔しかったら、腕づくで取り返してみろ」
3人の人間と3匹のカッパの、本格的な決闘が始まった。その時、由之進の頭が冴えた。「カッパは、頭上の皿の水分が乾いたら絶命する」と教えてくれた道場の先生の言葉を思い出したのだ。そこで、腰に差した木刀を抜いて、思い切りカッパの胴を突いた。たまらずひっくり返った拍子に、カッパの頭の水がこぼれてしまった。勝負あった。3匹のカッパは、草むらの上に寝そべって動かなくなったのだ。
釈放のための条件
当時を連想させる百道の松林
完璧に打ちのめされたカッパどもは、海岸に立つ黒松に荒縄で縛られた。さあどうする、殺して砂浜に埋めてしまおうか、それとも、見世物興行にでも売り飛ばそうか。武士の子らの協議が始まった。
その時、川から上がってきた子ガッパの父親カッパ。実は、浜五郎の一の子分の痔五郎である。「子供たちには、例え人間さまのものであっても、黙って盗ってはならんと厳しく言うておるのでがすが。またやりやがって…」
親カッパは、砂地に頭をこすりつけて、人間には理解できないカッパ語で子らの釈放を願い出た。
「いいや、許さぬ。道場の先生も父上も申していた。カッパなる生き物は、情けをかけるととことんつけ上がる性質があると」
彼方から一部始終を見ていた浜五郎が偉そうなふりしながら出てきた。もちろん、人間の侍姿である。
「待て待て、そなたら。ここにおるカッパはまだ子供ではないか。許してやれ。なに、自分らも子どだって言うか。なに、ただじゃ駄目ちも言うか。それなら、許してもらえる条件を言うてみよ」
浜五郎の提案に、由之進の口から出た条件は。
「日頃父上が言っておることだが…。この頃、百道の海では、よく人が溺れて死ぬ。これ、何とかならんかと」
人間の子供と軽く見ていたら、とんでもない条件を持ち出すわっぱらだ。
「わかりやした。目の前の百道浜では、今後80年間、人が溺れ死ぬことがないよう、わしらカッパ族ががようく見張っておりやす」と。
そこで浜五郎、「それならこいつらに約束の誓文を書かせよう」。見え見えの芝居を打つ浜五郎と痔五郎。書き終えた誓文を受け取ると、浜五郎は素早く懐にしまい込んだ。
水難事故がなくなった
千眼寺
「どうして?」
子供らは、浜五郎が大事な誓文を自分らに渡してくれないことに不審を持った。
「仲介の大人を信用しろ。後ほど千眼寺のご住職に預けておくから」
千眼寺とは、百道の浜辺(当時の海岸線)に建つ大きな禅寺のことである。一見真面目そうな浜五郎を信じて、由之進らはしぶしぶ納得した。
屋敷に戻った由之進が、出来事の一部始終を父親に話すと。
「馬鹿もん、浜五郎なんて言う男は怪しい。そいつもカッパじゃないか」
言うなり、息子の手を引いて千眼寺に向った。
「そんなもんは来ませんよ」と住職の返事はつれない。
由之進もほかの2人のわんぱくも、悔しがること。
これでお話が終わったんじゃ、カッパって生き物には良いところがまったくないことになってしまう。カッパにだって、どこか賢いところもあるはずだ。本当は人間に劣らず誠実な生き物なのだ。その証拠に、天明年間から数えて80年間、百道海岸での溺死事故はまったく記録されえいないのだから。とは、武士に成りすました浜五郎の、最近のつぶやきなのであります。でもね、81年目の先のことは分かりませんよ(完)
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