No.008(h)

2021年08月22日

片江の巨大杉

 
大むかしの草香江図


片江の天神社

 時代ははっきりしないが、とにかく大むかしの話である。樋井川支流の片江川べりから神松寺の丘に登ってみる。南を望むと、真向かいに真昼のお天道さんを隠してしまうほどの杉の巨木が聳えていた。そこは片江(現3丁目)の天神社の境内である。

 境内の杉の巨木をよじ登って南を向けば、油山はすぐ目の下に。向きを反転させると、遥か彼方に博多湾が居座っている。博多湾の手前の陸地が博多の街並みだが、令和の今日と比べると、景色がまるで違う。一番奥が荒津山(西公園)だ。湾はそこから手前にぐっとえぐれていて、大杉のすぐ手前まで迫っている。そんな巨大な入江の左岸はといえば、手前に向かって、鳥飼から別府-神松寺まで松の古木が行儀よく連なっていた。
 入江の東岸は、現在の平和台競技場(むかしは福崎と称した)あたりに華やかな屋敷街が見え、その手前には船着き場が。大濠公園のあたりだろうか。入江を象徴する草香江(千賀の浦とも呼んだ)では、鯛(たい)や鰯(いわし)など、大小さまざまな魚が泳ぎまわっている。さらに目を手前に引き寄せると、入江の中央にぽっかり浮かぶのが田島である。中流域の文化「田島の神楽」をご参照ください。
 令和の世からでは想像もつかない海岸の絶景が、ここ樋井川周辺には展開されていたのだった


杉の大木イメージ(大分県中津江村)

 お話しを、片江の一本杉に戻しましょう。

 片江村の中ほどに小さなお寺があって、沢庵和尚と小僧さんが暮らしていた。和尚さんは、困った人を助けることに生き甲斐を感じるお人好しで、村中のみんなから尊敬されていた。
 この年の冬は温か過ぎ、春は寒く、梅雨には雨が降らない、お百姓さんにとって最悪の気候が続いていた。加えて、片江村一帯を、猛烈な疫病が襲ったからたまらない。令和2~3年の新型コロナウイルスにも匹敵するようなものすごいものだった。沢庵さんは、遠くの町まで出かけて食料を調達したり、病人に飲ませる薬を探したりで、それは寝る間もないほどの忙しさだった。

 ある晩のこと。沢庵さんが夜のお勤めを終えてついウトウトしている時だった。夢枕に、信奉する毘沙門天(びしゃもんてん)が立たれた。

毘沙門天とは:四天王(七福神)の一柱で福の神さま。ご利益は、武運以外にも、金運・商売繁盛など。


毘沙門天像(イメージ)

 思いかけず福の神のご来訪に、びっくりする沢庵さん。せっかくだからと、神さまへの願いごとを。
「毘沙門天さま、お願いがございます。村中に蔓延する毒を消すには、どげんしたらよかもんでしょうか。それからもう一つ。天候不良で百姓たちが生きるか死ぬかの境目にあります。救える道を教えてくだされ」。沢庵さんは、本堂の床に額をこすりつけてお願いした。
「教えてやるによって、耳をずーっと近づけよ」
 毘沙門天さまは、小声で言いたいことを言うと、目の前から消えていなくなった。沢庵さんは、そこで深い眠りから覚めた。

 思い立ったが吉日。沢庵さんは毘沙門天の教えに沿って走り出した。その日のうちに日本中から力自慢を集め、一本杉の根元に集結させた。ほかの村の衆は神松寺の丘に登らせて、いざ戦闘の準備。


入江の面影が残る草香江あたり

 沢庵さんの号令で、力自慢が気合の一喝。杉の巨木がしなやかに反り返って、神松寺の丘に倒れ込んだ。それを受け止めた村の連中が、用意した綱で枝を結び、頑強な岩に括り付けた。杉の巨木の枝先は海中に沈んでいった。
「よいか、皆の衆。これからのひと月間、括った綱が切れぬよう見張っておるのだぞ」。沢庵さんの指図にうなずいたものの、村の衆には自分が何のために杉の大木と格闘しているのか、皆目わけが分からないままだった。

「さあ、ひと月たった。丘の上の綱を切れ!」。沢庵さんの号令で、力持ちが大きな斧で綱を切り離した。すると、巨大な杉は嵐のような風を巻き起こして、天神社の境内に直立した。その間に、たっぷり水を含んだ杉の枝から、滝のように水が零れ落ち、同時に杉の葉を宿にしていた鯛や鰯などの魚が村中にこぼれ落ちたのだった。
「これだけの魚と貝があれば、しばらくは食うに困らないだろう。余った魚は、塩漬けにするなりして保存すればよい。それでも残れば、よその村に売りに行け」と。
 気が付けば、村人を悩ませた疫病も消えていなくなっていた。不思議がる村人に、沢庵さんがそれまでの秘密を明かした。
「実は、わしの知恵じゃない。毘沙門天さまが教えてくれたのじゃ」
「なんて?」
「せっかくの大きな入江があるんだから、そこで泳いでる魚を食料にすることを考えよと。魚を獲るには、これまたせっかくの大杉を活かさない手はないとな」
「それでは、疫病が消えたのは?」
「毘沙門天さまがおっしゃるには、人を苦しめる猛毒の天敵は、塩水だとな」

 あれだけ疲弊していた片江村だったが、それからというもの、米や麦など五穀の豊作が続いたとのこと。それでは、あの杉の巨木はその後どうなったのでしょう。沢庵和尚さんと小僧さんのことも合わせて、そんなことは歴史の項目から割愛されていてわかりません。(完)

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