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No.001
2021年06月27日
享保の飢饉が筑紫を襲う
福岡市営地下鉄の七隈線が、終点・橋本に到着する少し手前の賀茂駅。駅名からして、京都の下鴨神社(賀茂御祖神社=かもみおやじんじゃ)を連想する。駅ホームから地上に上がると、市内を取り巻く外環状道路が走っていて、すぐ脇を室見川の弟分を自認する金屑川(かなくずがわ)が流れている。水源の油山から下りて来たばかりの川だが、水は澄み、生い茂った水ぐさが川面を塞いでいる。途中、別の小川と合流するところに小さな公園があり、名前をなまず公園というそうな。公園の向こうに見える森が、目的の賀茂神社なのだ。
神社の住所は福岡市早良区賀茂1丁目で、昭和29年に福岡市に吸収されるまでは、早良郡田隈村大字免に属していた。大むかしから米と養蚕が盛んなところだった。賀茂神社の創建は相当に古いようで、1200年前まで遡らなければならないとか。その間、村民が捧げる年貢は、京都の賀茂御祖神社に納められてきた。そこで、標題のなまずと賀茂神社の関わりだが…。 享保年間。筑紫の国を大飢饉(ききん)が襲った。冷害・長雨など天候不順で稲作が大打撃を受けた。福岡藩だけでも10万人もの死者が出るほどだった。(山川出版社刊/福岡県の歴史)
救いは神さま 庄屋の吉兵衛さんを中心に村の顔役たちが集って真剣に協議中。
朱色の大鳥居を潜るとすぐに、3人は神前に膝まづき、「どうぞ免村をお救いくださいませ」と祈った。三日三晩の寝ずの祈りで、3人はその場に伏せたまま意識を失った。 なまずの神さま 免村のもの全員が金屑川のほとりに集った。庄屋の吉兵衛さんが、「これからお迎えするなまずさまは、親神さまのお使いである」と唱えた。振り向くなり川面に向かって大声でなまずさまを呼び出した。すると、川の中央部が波立ち、長さが1メートルはありそうな大なまずが、2本のひげを逆立てながら直立した。
【なまず伝説】 伝説・民話の世界では、なまずを神格化することが多い。秋篠宮はなまずの研究で有名である。本サイト「筑紫次郎の世界」でも、なまずは何度か登場する。代表的なのが「七霊の滝」だ。落ちぶれた平家の女官らが、絶望を察知し、現世と源氏に恨みを残して滝壺に身を投げた。その後彼女らは、なまずに変身して現世を睨み続けた。土地の人たちは、祟りを怖れて後の世までなまずを食しなかったという。 川上峡のアユ NO.202 佐賀県大和町 |