最東端の旅(4日間)(蔵出し08,3,23) 
「定年になったら思い出つくりの旅人へ。何処にするか」。
前々から考えていたことだつたが、あれやこれや考えているうちに時がたち、北海道最東端の旅、知床紀行となった。
 1994年7月8日11時35分、羽田から一路申標津空港へ飛び立った。
ツアー伸間は総勢43名。夫婦連れとおぼしきもの17組、定年記念組や2年がかりで貯蓄したという旅仲闘。約半数が2〜3回で、なかには何と15回目だという熟年組もいた。ここでも女性群は六割を超えていた。
 空港に降りた、やはり寒い。12度C前後か、ジャンバーを着る。雄大で静かな北海道が展開していく。早々とキタキツネや蝦夷鹿の歓迎を受けた。
バスはその都度徐行し、時には停まった。子供のようにはしゃぐ。フキやイタドリのっぽの群落、熊笹、クヌギ、ダテカンバの原生林の中を通り過ぎていく。

 マリモ阿寒湖は碧く深い。湖を取り囲む深緑の原生林。モーターボートは湖中の島、マリモ水族館へ、「濃緑色でスポンジのようなソフトボール大のマリモよ、君は 二百年以上も私たちを待っていてくれたのか」。 

 水が、空気が、ビールがうまい、ビールはご当地限定のクラシックとかいう奴だ。夕方、アイヌ民芸部落を訪ねる(収奪の歴史)に胸が痛む。
 旅の朝は早い。摩周湖は深い霧に包まれていた。硫黄山から屈斜路湖へ。沿道には砂糖大根、淡い○色の花芽をつけたジャガイモ畑が坦々と続く、
美幌峠からの跳望も素晴らしかった。美幌峠      
バスは一路網走へ。「流氷極寒体験室」に入る。流氷は今年のものを運んだとのこと防寒服を借りるが寒い。温度計は何と零下18度Cを趨えていた。今回の目的の一つでもあった、「黄色いハンカチ」の網走刑務所を訪れる。
川で隔てられたモダンな煉瓦造りの建築群は、昭和55年に全面的に建て替えられたとのこと。鉄格子越しに覗く。近くの売店には靴や各種の作品、「網走番外地』の表札も売られており賑わっていた。
 昔の監獄、政治犯や思想犯、重刑囚を収容していた建物は、近くの小高い丘に移され、
「博物館網走監獄」という名で、観光名所になっていた。歴史を語るいろいろな建物があり、専門ガイドがついた。記念写真(一枚千円)も撮った。
独房独房の反省小屋は、暖房も光もない煉瓦造りの建物(四畳半くらい)で、2,3日で気がおかしくなった者がでたという。監視室を中心にして、180度の放射状形に建てられ五棟からなる囚人家屋は、平屋木造建築で、天井は高く、コンクリートの廓下をはさみ、独房と共同房からなっていて、各部屋には覗き窓と食事口があった。零下40度を超す厳寒期でさえ、ストーヴは各廊下に2個しか置かなかったという。
 網走原生花園を過ぎる。見渡す限りの牧草地がえんえんと続く。16キロの直線道路を知床半島へと向かう。対向車は殆ど来ない。道東は酪農の村だ。牛はホルスタインとジヤージ種。時折サイロに囲まれたモダンな家屋が後に流れていく。やがて左にオホーツクの海が広がる。ウトロに泊まる。ウトロは温泉の町だ。このホテルには、道東一とかいう大浴場があった。目指す羅臼は目前にある。
道東の朝は実に早い。4時にはもう明るい。湯上がりのビールは又格別だ。知床へ。標高240メートルの知床五湖を散策する。フナが人恋しく群がって来た。水芭蕉の葉もばかでかい。青い空、舗装された道.熊笹にダテカンバ、ハイ松の原生林。残雪に光る知床の連山。海抜166一メートルの雄大な峰、ラウスが迫ってきた。
山麓には残雪に戯れる若者の姿があった。知床峠から はるかに国後島を望む。〈知床の岬にハマナスの咲く頃)確かに旅情をかき立てるなにものかがある。

ハマナスハマナスの大群落は、尾岱沼〜トドワラ〜にあった。 パートナーと我が顔もほころぶ。 根室から納沙布岬へ、坦々と続く放牧の広大な跳望。   
明日はいよいよ厚岸から霧多布へ。最終目的の大自然
の室庫・釧路湿原へ向かう。              
            フレッシュ通信(94,9,10)

             
    羅臼             集合写真