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南国土佐・高知の旅 98年3月、イタリア旅行の際に結成した「ローマンクラブ」今回は10名で、11月8日から10日まで、南国土佐・高知を旅しました。 東小金井駅7時乗車。羽田発9時45分。出勤時の厳しさを忘れた我には少々きつかった。「よし、秀麗の富士を撮ってやろう」が生憎その日は曇天でコースはしかも洋上でした。11時05分、定刻に高知着。太陽がキラキラ眩い。大きく深呼吸をした。空港からはバスで、約40分高知駅に着きました。 さて、昼飯は何にするか、やはり鰹のタタキだろう、ということで駅の売店で教えてもらい、播磨屋橋を渡り飲食街にある「とさ市場」に入った。 堀川にかかっている橋は四ツ、みな播磨屋橋というのだそうである。二階の座敷に上がる。旅の安着と前途を祝ってまずは乾杯。カツオ定食を注文する。タタキに、てんぷらうどん、漬け物、吸い物付きで何と800円也であった。 市内バスに乗る。乗客は我らを入れて総勢14名、最初は西島園芸団地に下車し、メロンとスイカを頂いた。龍河洞に着く。地中より隆起して静かにそびえる鍾乳石・1億7500万年という自然の芸術品。入り口はマイクのガイド付き、奥にはいると人声なのか足音なのか近づくと明かりがつくシステムでした。暗闇からガイドの音が聞こえてくると,急に明るくなって、岩陰に人が立つていた。くねくねした洞穴を腰を曲げたり、膝を折ったり岩に掴まったりして2時間もあるいた。 出口には、弥生時代の穴居生活跡があり,土器が鍾乳石にくっついていた。洞穴から出ると目差しが一段と眩しい。 だらだら坂を下ると「珍鳥センター」があり、ここには特別天然記念物に指定されている「オナガドリ」や尾のない「うずらちやぼ」などが飼われていた・「オナガドリ」は、標本かと思ったが実物でした。尾の長さは17、8Mもあるとう。あまりにも長いので、輸にしているとのことであった。バスは山道を行く。高知平野が一望でき素晴らしい眺め、坂道をうねりくねりと上り下る。 龍馬歴史館は、加美郡野市(のいち)にあった。龍馬の生涯を刻んだ蝋人形は、精巧で、あたかもそこに人がいるかのようであつた。夕食は、ホテルの前の飲食店。最高のタタキに出会った。 二目目、いよいよ目本最後の清流、四万十川での船遊びに出かける、ホテルの前から走る広告塔・路面電車で高知駅に向かう。 9時45分発11時39分中村駅着。船乗場まででタクシーで行く。貸切りの「 夕食は食堂街でということで、県庁街や繁華街をぶらぶらと歩く。各所に偉人達の胸像や、記念碑が建っていて、まるで街が歴史博物館のようであった。食事にありつく、ビールに司牡丹、焼酎は「栗焼酎・四万十源流特産・ダバダ火振」それに勿論、タタキは欠かせない。 3日目、今日のコースは、@高知城→珊瑚の加工工場の見学。B桂浜→C高知空港には、午後3時まで,予約タクシーに2台分乗し、午前10時ホテルを朱発。料金は一人3千円である。 高知城は、土佐藩24万石、山内家の居城である。「山内一豊の妻」は、大手門の内側にあって質素な姿で立っていた。ふと、小学校時代の教科書を思い出した。 日本の紅珊瑚の8割は、この工場の加工というだけであって、1500円の小物から、20年前が7500万円の置物まで、見事というしかない。やはり婦人は美を見る才にたけている。小生は記念に三個求めた次第。 桂浜に着く。龍馬が梅はあくまで蒼く、太陽が光る。ゴミ一つ落ちていない砂浜。記念に小石を頂戴した。龍馬が太平洋に向かって悠然と立っている。近くには、ペギー葉山の歌詞(南国土佐を後にして〜〜)の記念碑もあった。皆で写真を撮った。 四国霊場31番目の札所・五台山竹林寺にお参りして昼食後、物産展で土佐の名物を厳選し、空港に向かった。念願の土佐にきた。強烈な風土に圧倒されたしまった。機会があれば室戸岬、足摺岬にも足をのばしてみたい。 (フレッシュ通信 1999年12月1日 NO266) |