WACモンゴル視察旅行に参加して (2001年9月10日) 森安 智廣 社団法人 長寿社会文化協会WAC の企画で、8月24日(金)から31日(金)まで、モンゴル国を旅しました。あモンゴル国の面積は、約156,500km2キロ(日本の約4倍)人口は約242万人、 1日目(24日) 東京(羽田)空港に11時集合、
3日目(26日) B班は朝ウランバートルから西へ280キロのブルドへに向け午前9時出発。約8時間の行程だそうで、市内を出ると、行けども行けどものまっすぐの路。 遊牧民のゲルを訪問、歓待を受ける。家族群と写真を撮った。 寒くって5時過ぎに目が覚めた。満天の星、素晴らしい輝き。日の出は午前6時40分頃だったろうか。
4日目(27日) 専用バスでカラコルム(ハラホリン)遺跡へ。エルデニ・ズー寺院に参拝。亀石の側では遺跡発掘が行われていた。土産を売っている少女たち、ジングス、ハーン時代がしのばれる。 5日目(28日) 午前5時40分、山崎さん石崎さん藤原さんたちと懐中電灯を片手に丘に登る。小川があり渡る場所を探す。向こう岸では猟犬が待っていてくれて、無事に渡り終わると手をなめて、何処かへ去っていった。 ごろごろのところを斜めに横切りながら目指すキレットの横についた。実に素晴らしい眺めだ、言い表す言葉もない。 午前9時、ウランバートルに向け出発、 午後4時過ぎにどうにか、フラワーセンターに到着した。 6日目(29日) この日は中味の濃いい、実にいそがしい一日でした。 ウランバートルを午前9時出発、タヒルトへ。ガタガタ路を2時間ほどもゆられ、リハビリセンターに到着。 一番ケ瀬康子会長から所長に、寄付金と目録が渡されました。 WACはこんな活動をしていたのか。パソコンを通してしか知らなかったWAC、新しい目を開かせてくれました。 施設見学をする、二人部屋が多く、ハリを顔にさしていた患者。車椅子に乗った患者の一人が、「北国の春」を楽器と口笛で歓待してくれた。私も一緒に口笛を吹いた。 お昼はウエルカムパーテー。所長から歓待のご挨拶があって、乾杯。 周りは360度の大草原、記念に大パノラマの写真を撮る。わがデジカメは15回もシャッターを切ったのでした。B班は午後3時過ぎに出発、フラワーセンター経由で、馬乳酒センターへ。 長崎の女性軍5人と男子3名、約2時間、途中道にはぐれたりして進む。山あり、川あり、緑も豊であった。シベリアの国境の近くらしい。 センター内に、二階建てのハイカラな病棟が建築中で、内装工事に入っていた。 ゲル内でウエルカムパーテーが開かれ、ドクターのセンター所長から、この 同室の横溝理事長、井上さんとWACとの出会やいろいろと語り合った。 7日目(30日) 翌朝5時に目が覚めた。寒い、0度Cぐらいか。少し離れた所へ体調を整えに行く、ゲルでは井上さんがストーヴを焚いていた。丘に登る約束をしていた石崎さんと、井上さん、眠れないので私も一緒にいくことにした。懐中電灯を片手に歩く、しばらくいくと靴がずるずる、水音が聞こえてくる。 別の丘に行くことになった。6時前体調がおかしい、馬乳が効いてきたらしい。この日は7時に朝食なので、6時40分、一つの尾根をきわめたので、引き返すことになった。 だんだん明るくなってきた、この大草原、胃袋の中までハーブの匂いが、ここではすべての草がハーブなのだろうか。エーデルワイズの群生だ。スイスですら植物園で保護されていたのに。これが桃源境の世界というのだろうか。 午前8時ベース基地に向けて出発。路はガタガタ。そこで私は考えました。そうだ今スキーをやっているのだ。両手でつり革につかまる、バスが右に曲がるときには左の膝を少し曲げて、力らを入れて左はその逆、時には直下降も、車上スキーを堪能したのでした。10時頃時、フラワーセンタにつく。 A班とB班とは別々で、我らB班は午前中自由時間。デパートなどを見学し若干のお土産を調達した。 午後6時から、民俗古典芸能を鑑賞する。馬頭琴や喉歌ホーミーなどなど、うっとりとしているうちに予定の1時間が過ぎてしまった。 夕食は、中華方式のバイキング、明日は日本に帰るのかと思うと、アルヒもほどよく効いてきたのでした。ホテルに到着後、別れを惜しんでのカラオケ。そして、モンゴル文化教育大学学長 ソイルトさんに、シニア海外ボランティアの川辺正人さん(音楽教育2年間の契約)との楽しい出会い。 8日目(31日) ウランバートル→北京経由で関空へ16時到着。羽田着19時25分。懐かしのわが家には20時55分着。かくして楽しいモンゴルの旅は終わったのでした。 |
| モリサンの窓 |