| 水が育む島 奄美大島 |
|
昨年年11月11日(月)から13日(水)まで、二泊三日の日程で、奄美大島観光大使に委嘱 されている上田公代さんのご案内で、奄美大島を旅しました。 羽田発9時15分、11時過ぎ奄美空港に着く。チャーターの車で、緑豊かな海岸線の道 路を走る。リゾートホテル「ばしゃ山」で昼食をとり、車は一路北へ、奄美大島を代表する景勝地 「あやまる岬」へ。天候にも恵まれ、岬からの眺望がすばらしい。丘の裾野のアダンやソテツの 群生も見事だった。 今回の目的の一つでもある、大島紬観光公園・泥染発祥の地・大島紬村を見学する。 紬のいのち、泥染めは奄美に自生するテーチギ(シャリンバイ)を細かく砕いて煮出し、その汁と 泥田に絹糸の束を、数十回、百回も浸すことで、艶やかな黒色が生まれる。様々な気の遠くなる ような工程を経て、伝統工芸品「大島紬」の誕生となるのである。 奄美大島観光ハブセンターを見学する。ハブの恐ろしさ、驚異的な繁殖力に驚く。おみやげに ハブ酒を買う。 奄美群島の最高峰・標高694mの湯湾岳山頂に登る。山を覆う亜熱帯の原生林は、アマミノ クロウサギ、アマミカタバミなど奄美固有種や貴重種を育んでいるのだ。 名瀬市立奄美博物館、穀物を湿気から守り、ネズミなどの害を防いだ群倉(ぼれくら)を見学。 水中観光船「せと」は、サンゴや熱帯魚でいっぱいの水中を案内してくれた。まるでおとぎの世界 に来たようだ。 ホノホシ海岸で、「ゴメンなさい」とつぶやきながら、貝殻や玉石を拾った。奄美の夕暮れは、 美しい。言葉であらわしようもない。 親しい友人の、佐藤功久さんの案内で、民芸酒場の吟亭で島唄を聞く。あの独特の節回しの島唄、 ほれぼれとしてしまった。 奄美群島は、鹿児島市の南方380〜580キロ。沖縄からは28キロしかない。 総人口は約13万五千人。人口の半分以上は奄美大島に集中している。奄美大島は佐渡島に次ぐ 大きな島で、諸島の中心都市は名瀬市(人口4万4千人)。奄美の殆どは山地で海岸線にへばり つくように民家がある。東西への道は急坂で、峠越えだったが、今は主要道路はトンネルで、 トンネルから出る土は埋め立て用として活用されている。 古くは、「島の道」として、大陸や琉球との交通の要路にあった奄群諸島は、中世以降琉球王朝 に属していたが、1609年島津家久による琉球処分により、薩摩藩支配直下におかれた。 奄美には「黒糖地獄」と呼ばれる悲惨な言葉がある。島民による砂糖の売買は禁止され、薩摩藩 の独占物となった。島民は圧政と差別にひどく苦しんだ。「砂糖を指先につけてなめても鞭打たれた」 という話もあるそうである。 第二次世界大戦では、米軍の軍政下におかれた。様々な困難な復帰運動を通して、1953年12 月25日、奄美大島は日本に復帰した。今年はその50周年を迎える。 |

| トップへ戻る |