戦争における死亡の原因

 戦争とはどんなにエレクトロニクスが進んでいようと最終的には地上部隊の攻撃が勝敗を決する。これは湾岸戦争の例があるように、今も変わらない。
当然ながら、戦争があれば、多かれ少なかれの死者が出る。
では、その際の兵士が死ぬ確率が高いのはなにか?一般的に考えたら銃創をイメージするだろう。本当にそうなのか。
とある会戦を事例に挙げて検討してみる。

 師団規模での戦闘で約7万名が戦闘に参加した。その時の記録によると、戦死7000名、行方不明1100名、戦傷者約15000名、戦病者約700名となっている。(死傷率が高いのは塹壕戦だったから)

 上記死傷者で、原因が判明しているのは至極当然と言おうか、戦傷者と戦病者のみ。戦死者の死因はいちいち調べる事はできないし、行方不明者はなおさら。戦病者の場合は銃創とは全く関係がないので、銃創の割合は戦傷者のみの統計を記載します。

 負傷者の割合は銃創者が約6700名(44%)、破片創(砲弾・地雷)約7400名(48%)、破片創(航空機用爆弾)約1000名(7%)、凍傷約140名(1%)となっている。

 さて、上を見て分かるように、この戦いでの負傷者は爆発弾の負傷が半分以上を占めている。これはこの戦闘に限った事ではなく、大抵の戦闘は破片創が多い。大抵の戦争映画では死傷する兵士の多くが銃創だけども、本当の戦争では砲撃で叩いた上で突撃を行うし、阻止砲火で防御側も大量の砲撃を行なうので、必然的に破片創が多くなる。ただし、例外もある。ソビエトとフィンランドの戦い「冬戦争」では銃創者が68%で破片創者が31.9%と銃創者が圧倒的に多かった(余談ながら残りの0.1%は凍傷者)。理由として考えられるのは、冬戦争当時(193912月〜19403月)の気候は文字通りの冬で、しかも極寒の地での戦闘だったので、雪が爆発を和らげたためと考えられる。以上も余談。^^
傷病者の負傷部位を見てみると意外と頭の負傷が少ない点がある。これは当たる確率が少ないというよりは、ここに当たって助かる確率が少ないという事ですね。当たる確率は非常に高く、鎧が廃れた近代・現代戦でも、また日露戦争までは採用していなかった日本でもヘルメットを採用しているので、ここに当たる確率は高かったと言うべきでしょう。とある兵士の戦場からの手紙でも「・・・上海以来の鉄のカブトの弾の跡。自慢じゃぁないが見せたいね・・・」というのあるので、結構当たりやすかったという結論となりますね。「じゃぁ戦死者の数も勘定にいれろ\(`◇´)/」と声がきそうですが、戦死者の負傷部位の資料がないんです(;_;)
 逆にいえば、両手両足の数が半数以上を占めている事実があります。とゆ〜事は、ここに当たっても致命傷にはならないという事だと言える。資料からみて上部位の負傷が多い事実も、やはり上の方が被弾しやすいという事だろう。余談ながら、とある軍の報告書では、下士官・兵の何人かはわざと腕に負傷を生じさせて戦線離脱を試みた者も少なからずいたという。その報告書によると「決定的な手段の後」に止んだという。
 なお、負傷者15000名のその後だけど(戦闘が終わって3ヶ月の間に)5%が死亡。3%が軍籍を離れた(病気療養や、予備役編入などの措置もこれに含まれている)。なんと、約40%が戦列復帰している。残りの52%はこの時点ではまだ病気療養中という報告がある。のこりの52%がどうなったかは分からないけども、、戦列復帰が相当な割合を占めている。「相手の反撃を黙らせるには殺すしかない」とは、とある傭兵の言葉だけど、その通りなんだなぁと調べて思った。


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