司令官と参謀

さて、孫子シリ−ズを読んで頂いて戦略・戦術とは、なんたるかを理解していただいたと思う。そこで、今回は理解しているようで理解していない司令官参謀の違いについて述べてみようと思う。

司令官(指揮官)とは、みなさんご存じの通り軍隊の指揮・監督を行う者です。したがって、勝敗の責任は司令官にあるのです。そして、あまり知られていないのが参謀です。

では、簡単に説明しますと、参謀は指揮官の補佐機関であり、作戦の計画・統括、情報の収集・判断、補給、衛生などの業務を分担する。参謀は指揮官だけに対して責任を負う者であり、軍隊を直接指揮し、これに命令する権限はない。しかし、特別の場合は指揮官の命令により臨時に限られた範囲で軍隊指揮権が与えられた場合もある。だから、司令官(指揮官)とは全く異なる職種である。

サバゲ−での参謀の役割は皆無に等しいかもしれない。なぜなら、サバゲ−は集団戦より散兵戦を好むからだ。
個々の能力が高ければ問題ないが、弱い者ほど集団戦を小官は奨励する。そして、小官が考える用兵とは柔軟にして速さを重視することだ。一般的に計数で表した戦闘は兵力と戦闘技術、それに速度の乗数で決定されることが多いから、早い進撃もまた重要になってくる。戦闘に迷いは禁物だ。だから、命令は決して複雑化をするべきではない。可能な限り単純化し、咄嗟の反応を容易にさせるのが望ましい。とくに素人集団なら。
また、参謀は新しい指示を常に出させる。このこと自体は常識だが戦闘部隊が気づく確率は半々しかない。目の前の戦いで頭がいっぱいになてっるかだから。
だから、当然と言える指示も、改めて出しておく必要がある。これは、熟練者でも同じだ。
そして、戦場はいったんバランスが崩れると、全く一方的な戦いへと傾いてゆく。勝者はこの上ない優越感を味わい、加虐的な精神状態へと進んでいく。これでもかとばかりに襲いかかり、相手のとことん死の恐怖を体感させ最後には地獄へと送り込む。つまり、勢いだ。膠着状態になる戦闘は小官は好まない。膠着状態になるには何らかの理由があるから、同じ角度からいくら兵力を増強しても、さして兵力投入の意味が生じない。(戦力の逐次投入)
サバゲの膠着状態は第1次世界大戦の塹壕戦になる。そのような戦局を打開するのは勢い(機動力)が必要だ。そのためには、やはり散兵戦より集団戦を小官は奨励する。サバゲは近代戦ではない。どちらかというと古代の戦争に近い。だから、孫子は重要だ。参謀は簡単な命令を逐次指示する必要がある。何度も言うが戦争とは大きなミスを一つやったら、そこですべてが終わってしまう。後は小さなミスを出来るだけ少なくする。最終的にミスの差が戦局を決定してしまう、と言っても決して過言ではない。

そのため、作戦を作った参謀は、将兵達に不安を皆に抱かせてはならない。参謀は指揮官の補佐機関である以上、確固たる態度でいる必要がある。(指揮官も同じである)実際に作戦を開始してみない限り何が生じるか判らない。こちら側にミスが出るだろうか??相手側にも必ずミスが出る。どちらがより大きなミスをやった方がその戦いを失うことになる。とくに、サバゲでは、戦略面では大筋で変わりない。しかし、戦術面では度胸など戦闘力以外の要素が関わりを有してくる。

スピ−ド(機動性)を重視したいが、サバゲに機械化歩兵や自動車化歩兵はない。では、スピ−ドをあげるにはどうしたらいいか?
結論から言うと、それは非常に難しい。小官が考えるには実際に戦闘が開始するとモチベ−ション(勢い)が大事だ。とくにサバゲでは。敵を過大評価すると、必要以上に防戦に兵力を割くことになり、進撃速度の遅れを招く。その反面、軽視すると、そこが突破されてしまい、ついには包囲殲滅されてしまう。判断は非常に難しい。大事を取れば消極的になるし、またそれだけでは戦闘に勝てないのだ。

だから、戦争は経験がモノを言う。いかに完全と思われる戦術の教科書も次の戦争では基本を除くと陳腐な内容と化してしまうのだ。1つの戦術が脚光を浴びても、それはたまたますべての条件が揃っただけの話であって次にもう二度と使えないことがある。逆に過去において失敗に帰した戦術も、条件が合致するだけで、大勝利に繋がる場合もある。これらはすべて指揮官の臨機応変の判断が、できたかできないかの差による。その、勝機を見つけだすのは参謀ではなく司令官なのだ。

今回は、このぐらいで次回からは具体的なサバゲ戦術について語ろうと思う。


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