ワアグ祭の殺人<9> 祭りの後


 祭りが終わり、メンフィスの町は静けさを取り戻していた。

 屋台や出店は消え、集まっていた人々はそれぞれの家に帰った。大神殿を訪れる人はちらほらいたが、それも、昨日までの大混雑からすれば居ないのにも等しい。宿はほとんど空になり、東の船着場にひしめきあっていた船は消え、今は、川で魚をとる地元の猟師たちの姿しか見かけない。
 書記学校の休みはまだ数日あったが、祭りの期間中に言い付けられた罰のおかげで、ナクトは毎日、大神殿の書庫に通って来ていた。書記たちの仕事は再開されている。一足先に学校を卒業した年上の書記たちの中で、文字を覚え始めたばかりの見習いのような仕事をやらされるのは、正直に言えば顔から火が出るほど恥ずかしかった。回廊や台所の掃除を言いつけられたメネスも同じことだろう。彼らにとって、罰は十分すぎた。幸いだったのは、祭りの間に何が起きたのかを知らない人々からは、「あの二人がいたずらで罰を受けるのは、いつものこと」と、思われていることだった。

 「はあ…。」

さすがに、肩が痛い。朝からずっと書庫に閉じこもって書類の整理をしていたせいだ。
 建物の影で一休みしていると、風に乗ってどこかから喇叭の音が聞こえてきた。神殿の中ではない。塀の向こうだ。
 書庫の隣にある倉庫の二階に登る。小さな窓の向こうに、聖域を取り囲む白い城壁を越えて広がる川面を渡ってゆく船が見えた。遠征隊を乗せ、東へ、メンフィスの対岸へ。砂漠を越えて、東の海へ抜けるのだろう。その向こうには、懐に貴重な石や貴金属を隠した人の住まない荒れた山々が連なっている。日差しに照らされ、王の旗印が船の上に翻っている。船はひっきりなしに往復して、兵と物資を対岸へと運んでいる。ここから彼らの、何年もかかる長い旅が始まるのだ。生きて帰れるとは限らず、ともすれば異郷の地で墓もなく葬られることになる、長く危険な遠征の旅が。それに比べれば、書庫の整理など楽な仕事だと人は言うだろう。

 兵士は兵士として、書記は書記として、神官は神官として。人は結局、その時の己の立場において、出来ることをやるしかないのだ。ナクトは、痛む肩を押さえながら倉庫の急な階段を下りていった。今日はまだ、やるべき仕事が残っている。それが終わったら家に戻り、母の手伝いもしなくてはならない。数日後には学校が始まるし、手付かずの宿題もやらなくては。

 緑そよぐ夏。降り注ぐ日差しの中、滔々たる川の流れは、今日も絶えることなく静かに流れ続けている。


【了】


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