ワアグ祭の殺人<6> 隠された罪


 老人は、明らかに道を急いでいた。メンフィスの町は既に背後に遠く、西の丘陵地帯へ向かう道を、もう半ばは過ぎただろうか。
 追いかけているナクトとメネスは、イネシ老人は一体どこまで行くのだろう、と不安になり始めている。祭りの夜だというのに、祭りも見ずに町を離れて、向かう先は小さな村々の点在する、川の流れからも離れた荒れた土地だ。その方向には、川べりに畑を持てない貧しい人々か、墓掘りや土木作業を受け持つ人々くらいしか住んでいない。夜には野犬が出ることもある。とはいえ、ここで引き返すわけにもいかなかった。イネシ老人のこの行動は、明らかに怪しいのだ。
 行く手に、小さな灯が見え始めたのは、それから更に半刻も歩いた頃だろうか。
 数件が寄り集まった村らしき影が行く手に浮かび上がっている。老人は、そこを目指しているようだった。
 「おい、ナクト」
 「うん」
道を反れ、二人は先回りすることにした。遠くから老人を追い越し、闇にまぎれて村に近づく。
 そこは、数家族が住み着いている、村というにも小さすぎる集落だった。小さな井戸がひとつ。その周りに泥れんがで作った粗密な小屋が軒を寄せ合っている。黒い犬が一匹、井戸の傍でうつらうつらしている。気づかれないようにしなくては。
 若者たちから遅れることしばし、老人は、汗を拭き吹き、ようやく集落にたどり着いた。着くなり、荷物を降ろしながら大声を上げる。
 「カウィト。…カウィト!」
小屋の一つから、もう髪の半ばは白い、年老いた女が姿を見せる。
 「なんだねお父さん。こんな夜中に急に」
 「カウィト、こいつを預かってくれ。しばらく隠しとしてくれ」
 「ああん?」
 「役人どもが嗅ぎ回っとるんだよ」
カウィトと呼ばれた女は、老人が地面に下ろした包みを解いている。ナクトは目をこらした。小屋から漏れ出る灯りだけでは不十分だ。それでも判るのは――
 ――スカラベだ。
 死者の心臓の形を模した、足を折りたたんだ再生を意味する聖なる甲虫。死者の胸元に置かれることになっている、大切な護符。裏には、死後の世界で死者の魂を守るための呪文が刻み込まれる。
 他の小屋からも人が出てきた。がっちりとした若い男も、子供もいる。
 「役人って。まさか、ばれたのかい。お客が口を割ったのか」
 「いや… そういうわけじゃないんだ。うちに来てすぐ、お客の一人が殺された… それで、厄介なことになっとるんだよ」
やはり、ルウティはイセシ老人の店へ来ていたのだ。だが、「ばれた」とは?  それほどまでに隠したいものとは。ナクトは身を乗り出し、もっとよく見ようとした。その時だ。
 「――あっ」
思わず声を漏らした。包みの中に、金色の人形のようなものが見えたのだ。死者とともに墓に収められる、召使人形。死後の世界で死んだ貴人に仕えるため、かりそめの命を吹き込まれるというシャブテイ像だ。
 犬が、ぴくりと耳を立てる。彼はあわてて口をふさぎ、物陰に身を潜めた。メネスと目で会話する。
 (盗品だ)
間違いない。金張りのシャブティ像など、そうそう作られるものではない。揃えられるとしたら、王家の人間か、よほど高位の役人か。どちらにしろ、そんなお客だったなら、品物を受け取りに来ないとか、代金を支払わないなどということはない。安く手に入る「削りなおし」の正体は、どこかの墓を暴いて盗み出した副葬品の再利用なのだ。故人の名前や、品の出所を特定できるような特徴的な文言を削ってしまえば、よほどのことが無い限り、気づかれずに済む。
 (だとしたら、州知事は知ってて取引したのか)
 (判らない。でも、殺されたルウティは、気づいてしまったのかも)
 (…急いで、引き返したほうが良さそうだな)
この集落には、腕の立ちそうな若い男も何人かいる。夜中に人知れず墓を掘り起こす実行犯なのだろう。そして掘り出したものを町にいる老人に渡し、老人は何食わぬ顔で加工して売りさばく。中には、盗品ではない正規の品もあるのかもしれないが…。


 既に夜半は過ぎ、星々は夜明けへと向かっている。さすがに、町も眠りにつくころだろう。真っ暗な道をメンフィスへと急ぎながら、二人はこれからどうするべきかを話し合っていた。
 「俺は、このことを親父に相談してみる。あの店を押さえれば、まだ何か証拠が残っているかもしれないし」
 「でも、あの老人もきっと犯人じゃない」
そう、犯人は、殺されたルウティと顔見知りでなくてはならない。そして、ルウティが護符の出所が不正であると気づいたことを知っていて、ルウティの船に乗り込んでいてもおかしくない者。
 「…怪しいとすれば…あの、ホルネケンって奴か。」
 「それしかない」
事件が知れ渡った直後に町に現れ、ルウティがメンフィスを訪れた本来の理由を知りながら隠している人物。ルウティが受け取ったはずの高価な護符一式が見つかっていないことに、何の疑問の声も上げない男。少なくとも、ホルネケンは、護符のありかを知っている。自分が持っているのだろう。
 「けど… 疑うのに足る証拠が、何も無い。ヌリの無実が証明できても、アイツを追い込めなかったら意味ないぞ」
 「イネシ老人は、証言するかな」
 「判らん。たっぷり代金を貰って口どめされてたら、一家揃って口裏合わせるかもしれないし…」
町の入り口にたどり着いた。祭りの最中とあって、門にはまだ多少の人の出入りはある。ナクトたちは、こんな夜半の出入りを誰かに見咎められる前にと、そそくさと門を潜った。もう、くたくただ。続きは明日にするしかない。とはいえ、明日は本祭の二日目。もう、時間がない。
 メネスと別れ、仮の宿としている書記官の宿舎に何とかたどり着いた時、もうとっくに消えていると思っていた灯は、まだともされていて、そこには、思いもかけない人物が待っていた。
 「遅かったじゃないか。」
兄、ジェフティネフェルだ。
 「こんな時間まで遊び歩いていた… と、いうわけではなさそうだな。」
 「どうして、ここに? ―― もう仕事は終わったかと」
 「それが、思ったより時間がかかってね。神殿のほうに泊めてもらおうかとも思ったが、折角だからお前と話でもしようかと来てみれば。」
だからといって、こんな時間まで起きて待っていてくれるとは思えない。ナクトは、ジェフティネフェルの息から、かすかに酒の匂いがするのに気がついていた。
 「兄上… 飲めないんじゃなかったんですか」
 「ホルネケン殿がどうしても、と聞かなくて一杯だけ。」
成るほど。強制接待というわけだ。それとも、買収するつもりだったりだろうか。この兄を?
 「船は、見つかったんですか」
最初に聞いたのは、そのことだった。
 「殺されたルウティ殿は船でこの町に来たはずです」
 「特に聞いていないな。ホルネケン殿が船で来ていることは確かだ。今日も、そこまで送っていったから」
 「どんな船でしたか。」
 「ごく普通のー― といっても、猟師の船よりは立派だね。まあ、役人の御用船にしては地味なほうだった。船尾に蓮の飾りのついた、白い天幕の船だよ。そこで寝泊りしているそうだ。」
では、ルウティが町で宿をとらなかったのが、船で寝泊りしていたから、という推測は、正しいのか。その船が、ホルネケンだけでなくルウティも同時に乗せてきたものだとすれば。
 「船の中には入りましたか?」
 「いや。どうかしたのか」
 「もしかしたら、殺人が起きたのは船の上だったかもしれません――」
ナクトは、これまでの推測を兄に話した。ジェフティネフェルは、頷きながら聞いていた。ややあって、彼は口を開く。
 「成るほど。確かに、ホルネケン殿の態度は強引で、何かを隠しているようでもある。それに、お前の言うことでひとつ思い当たる節がある」
 「え?」
 「お前と裏路地で会ったあの日、実は、ホルネケン殿をその、護符屋に案内したところだったんだよ。トト神殿前の小広場から続く路地にある、青い石で扉を飾った店―― と、言われてね」
まさにそこで、前日、ルウティは護符を受け取っていたはずなのだ。
 「それで…何か」
 「その時は、特に何もなかった。折角来たからには、評判の店で買い物をしたい、というような話だった。買い物好きにも見えなかったが…。」
 「ルウティはこの町のことを知っていたけど、ホルネケンは知らなかったのかも。それで、護符の受け取りにはルウティが行った…」
 「可能性はあるだろうね。一度行けば道も覚えるだろうし、もしお前の言うとおり、その店で扱われていたのが盗品だったとしたら、二度目に行ったときに怪ぶまれるものを隠せ、と指示することも出来ただろうし。――しかし、すべては推測だな。」
そう言って、ジェフティネフェルは立ち上がった。「証拠を見つける必要がある。出来る限り協力はしてやりたいが、私には公務がある」
 「判ってます…。」
臍を噛む末の弟を見て、ジェフティネフェルは思わず微笑んだ。そして、その肩に手をやる。
 「知恵の神トトは、真実を欲する者に与え、その目を開かせる。お前は、お前なりのやり方でやればいい。」
 「……。」
思考も限界に近づきつつある。この時間から出来ることも、少ないだろう。今夜は大人しく眠るしかない。
 とはいえ、ナクトはなかなか寝付けなかった。もし、ホルネケンが怪しいという証拠が見つけられなかったら、ヌリはどうなるのだろう。証拠不十分で釈放されるだろうか。いや、ホルネケンは、秘密を守るため、既に人ひとり殺している。州知事も、盗品の売買に携わっていたことを公にされたくはないだろう。そのために、身分も低い異国人の傭兵を犠牲にするのに、良心を痛めることなどなさそうだ。
 どうすればいい。―― ナクトはなかなか寝付けず、何度も寝返りを打ち、窓の外の空が白み始めるのをただ眺めていた。それでも、完全に日が昇る前には、なんとか寝付くことは出来た。
 空の白み始める前の一瞬、まだ若く、だが鋭い、細い月が、東の空に姿をあらわし、やがて、日の光に白く溶けていった。


 目を覚ましたのは、もうほとんど昼という時間だった。当然のように宿舎は空っぽ、兄の姿もない。大慌てで身支度を整えていると、寝台の端に挟み込まれた書置きにふと目が留まった
 開くと、兄の字だ。

  『今朝、知らせが来た。
  州知事が妥協して、裁判は神殿の中で行うようにと。
  ただし、本日中にも済ませて、遺体と犯人は速やかに州都に護送せよとのこと。』

――最悪だ。


 ナクトが向かったのは、いつもの東の塔門跡。そこからなら町に隣接する船着場が一望出来る。兄の言った船は…。
 「おい、ナクト! 大変だっ」
メネスがよじ登ってきた。もう、そんな時間なのだ。「今夜… 夕刻のお勤めが終わったすぐ後に裁きをやるって。」
 「知ってる、兄上が教えてくれた。」
 「どうする? もう時間が無い」
証拠を見つけられるとしたら、一箇所しかない。ナクトは、やや沖合いに浮かぶ一艘の船を指差した。「一か八かだ。ホルネケンの船」
 「船?」
 「予想が正しければ、殺された男が乗ってきたのもあの船。そして、殺されたのも」
 「…そうか! まだ跡が残ってるかもしれないんだな。ルウティが受け取ったはずの護符も」
 「うん」
他人の船に忍び込むのが良いことのはずがない。しかし今は、良心には口をつぐんでいてもらうしかない。
 真昼の炎天下の下、暑さに耐えかねて水に飛び込む人々は後を絶たない。ナクトとメネスも、上着を脱ぎ捨て、川に飛び込んだ。この辺りで生まれ育った二人には、泳ぎは歩くのと同じようなもの。
 それとなく、船の真下まで泳ぎつく。船尾には確かに、木を掘って作った蓮の飾り。派手ではないが、しっかりとした造りの木造船だ。往来する船のひと段落するのを見計らって、まずメネスが、素早く船べりに手をかける。中を覗き込み、船員が船首のほうにいるのを見計らって、音をたてないよう船尾の天幕の影に隠れる。船員は二人。主人のいないすきに、酒を飲みながら将棋に打ち興じているようだ。
 上からメネスが手招きし、ナクトも、船尾のほうに滑り込んだ。ここまでは、うまくいった。
 (どうする? あの船員、どこまで知ってるんだろうな)
 (判らない。けど、死体を放り込むのは一人じゃムリだ。共犯者かもしれない――)
見える範囲では、甲板の上に血の跡は無かった。あれから数日経っている。船員が念入りに洗い流したとしたら、もう、痕跡は残っていないかもしれない。
 白い半透明な天幕で区切られた甲板の一角には、簡素な寝台と、小さな卓、それに折りたたみの椅子が二つ、立てかけてある。片方の寝台の上には化粧箱が乗っていた。中には、身支度を整える鏡や櫛が入っているのに違いない。
 (二人いたのは、間違いなさそうだな)
 (うん)
荷物は少ない。州都からこのメンフィスまで、船を使えば半日もかからない距離なのだから、用を済ませたらすぐに帰るつもりだったのだろう。
 (護符はどこだろう)
ナクトは、思い切って天幕の中に体を滑り込ませた。イセシの店で作られた、盗品を土台にした埋葬のための道具。ルウティが持ち帰っていたなら、この天幕のどこかに隠してあるはずだ。化粧箱の中? 違う。寝台の下… 違う。
 ふと、ナクトは、床板の一部が半分浮いていることに気がついた。指を差し込める小さな穴がある。
 (メネス、手伝って)
二人でなんとか、板を取り外す。下から立ち上る、水と、木材の間を埋める蜜蝋の匂い。下のほうには船の重心を支える砂の錘が敷きつめられているのが見えた。
 そう深くは無い、すぐ手の届く場所に、何かが見えた。船の中心を貫く梁のような木材の左右に、ちょっとした収納が作られていて、そこに包みが縛り付けられている。かすかな香油の匂い。ルウティとすれ違ったとき嗅いだ、あの上質な油の匂いだ。
 (あった、これだ)
多分間違いない。ここなら、誰にも見つからず、ひそかに品を目的地に運ぶことが――
 その時だった。
 「お前たち、そこで何をしている!」
 「やべっ」
ひと勝負終えた船員たちが、ナクトたちに気づいてこちらに向かってくる。迷っている暇はなかった。ナクトはとっさに包みをつかみ、メネスと同時に川に飛び込んだ。
 「こら! 悪ガキども!」
上から怒声が降ってくる。二人は水面から深いところを必死で泳いだ。町の方角ではなく、対岸のほうへ。それなら、警備兵を呼ばれることもない。
 葦の間から振り返ると、船は、はるか後方の町の近くにまだ居た。船員が酔っ払っていて、急のことに船を旋回させられなかったのか、主が不在で判断がつかなかったのか。顔は見られていないはずだ。ほっとすると同時に、ナクトは、自分が盗みをはたらいてしまったことに気がついて、愕然となった。
 「…どうしよう」
 「だってそれ、もともと盗品なんだろ?」
 「それは仮説だよ。もし、違ってたら…」
 「悩む前に、確かめようぜ。」
言いながら、メネスは、腰布をいきおいよく絞る。
 メンフィスの白い城壁を対岸に見ながら、二人は木陰で「戦利品」の包みを解いてみた。
 「こいつは…豪勢だな」
中から出てきたのは、ミイラづくりのとき包帯の中に編みこまれる、さまざまな護符の一式そのものだった。冥界神オシリスや、死者の守護女神イシス、ネフティスを象った小像、聖なる結び目、生命のしるしアンク、「永遠」の形をした葦をつかんで翼を広げるハゲワシ。ほとんどが石で出来ている。あの店は、そういえば、石工の工房だった。黄金製のものはほんの少しだけだ。どれも小さなものばかりで、もともと文字は刻まれていない。「彫りなおし」は必要なかったはずだ。
 「うーん、これだけじゃ盗品かどうか、判らないな。ルウティばどうやって気がついたんだろう」
 「死者の名前でも書いてあれば… お」
メネスが何かを見つけた。小さなスカラベだ。「こいつ、見てみろよ」
 「ん?」
陽光に翳す。スカラベの腹側、平らになっているあたりに、うっすらと、文字の刻まれていた跡がある。
 「だれかの名前…みたいだな」
 「名前があったけど、削って目立たなくしたんだろ。小さすぎて彫りなおしは出来なかったんだ。見ろ、こっちのもだぞ」
結局、小さなスカラベと、いくつかの指輪に、複数の人の名前らしき文字の跡が見つかった。そればかりか、ひとつには、王族らしき名前さえあった。全てを調べ終わる頃には、疑惑は、確信に変わっていた。
 「間違いないな。馬鹿じゃない限り、受け取った品をよく確かめたら気づいてたはずだ。」
 「うん。これで、ルウティが何をしにこの町へ来たのか、どうして殺されたのか、たぶん説明がつく」
 「これで追い詰められるか? ホルネケンを」
 「……。」
それは、正直なところ怪しかった。盗品の売買に関与していたことまでは、認めさせられるかもしれない。だが、殺意までは。



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