□良き隣人〜後


 夜更け、風の音でディーシュは眼を覚ました。
 何かが違和感を感じて眼を覚まさせたのだ。ベッドの上に体を起こして、しばらく耳を済ませていた。それから、おもむろに枕元に立てかけてあった剣と上着を手に取ると、そっと宿を抜け出した。宿の中も、外も、しん、と静まり返っている。当然のように外もほとんど闇の中で、野宿でもしているらしい焚き火の灯りがいくつか、宿場町の外側の水場のあたりに点々としている。
 けれど、その闇の中に、何かがいる。彼の眼を覚まさせたものは、息を潜めて攻撃の機を伺う明確な殺気だった。戦場で何度も感じた、戦いの始まる前の張り詰めた気配。
 (――囲まれてやがるな)
口に剣の提げ紐をくわえながら手早くベルトを締め、そこに剣を挿す。
 (帰り際に巡廻の連中が言ってた盗賊とやらか? 厄介な時に…)
ちら、と宿の前に止められた派手な馬車を見やる。どう考えても、狙われるとすればこの宿だ。
 と、その時、すぐ側で足音がした。
 はっとして降り返るとそこにに、同じように武装したハールトマンが無言に立っている。
 「あんた…」
どうして気づいた、と言いかけた時、厩のほうで叫び声が上がった。
 「ちっ」
舌打ちして、ディーシュは駆け出した。「敵襲! 敵襲!」彼の怒鳴る声で、宿の中が騒がしくなる。この辺りを旅する商隊なら、多少は腕に覚えのある者が多い。そうでなくとも、盗賊の襲撃に備えて自前の用心棒を雇っていることも多い。宿を経営している退役軍人も、剣をつかんで表に飛び出してくるのが見えた。
 盗賊たちは、どうやら五人ほどの少人数のようだった。
 気づかれさえしなければ混乱に乗じてものを奪うのも簡単だが、襲撃前に気づかれては反撃するほうが有利だ。盗賊たちは、瞬く間に警戒の輪に取り囲まれていた。やけくそになって剣を振り回していた男は、ディーシュと退役軍人が二人がかりで押さえつける。別の一人は逃げようとしたところを商隊の雇った用心棒に組み伏せられていた。
 「まだいるぞ、どこかに隠れた!」
 「探せ!」
松明やカンテラの灯りが掲げられる。
 その時ディーシュは、さっき叫び声の聞こえた方角から、馬を奪って逃げようとしている人影が見えた。何やら大きな荷物を抱えている。蹴り飛ばされて追いすがろうとしているのは、馬の番をしながら厩で眠っていたツァディの御者だ。
 「返せ! それは、大事な…」
馬に飛び乗って、闇の中へ消えていこうとしている。その馬は、ツァディたちがここへ来るまで乗ってきた四頭立ての馬車のうちの一頭だ。ディーシュは慌てて、厩に飛び込んだ。残りの三頭は、まだそこにいた。だが、鞍は置かれていない。
 「くそっ…」
御者は、足元に座り込んで放心したようになっている。今から一人で馬に鞍をつけていたのでは、見失ってしまう。
 と、その時だ。
 「これを使え」
声のしたほうを降り返ると、馬の手綱を手に、ハールトマンが立っていた。「あの盗賊たちの乗ってきたやつだ」
 ディーシュはぽかんとした。姿を見ないと思ったら、馬を捕まえに行っていたのか。
 だが、礼を言う暇も有らばこそ、だ。もぎ取るようにして手綱を受け取ると、ディーシュは、その馬に飛び乗って、さっき盗賊の消えていった方角に向かって飛び出した。
 風が頬に叩きつけ、上着の隙間から冷たい風が吹き込んでくる。逃げた盗賊が向かっているのは、どうやら草っ原の向こうに見えている森のようだった。御者から奪った荷物の重みのせいか、それとも鞍を置くのが巧く行かなかったのか、馬の足取りはあまり軽快ではない。追われていることには、とうに気づいているはずだ。このままでは追いつかれると判断して、森の中でまくつもりなのか。 
 (そうはいくか)
ディーシュは、腰を低くして馬に拍車を当てた。このままいけば、森の入り口で追いつけるはずだ。
 黒々とした、森の木々が目の前に迫ってくる。
 盗賊は、真っ直ぐにその森へと突っ込んでいく。道などない。入り口から藪の中だ。ただでさえ夜の森の中は足場が悪い。馬に乗っていては、かえって不利になることもある。
 「ひぃっ」
思ったとおり、闇の奥から派手に馬から転げ落ちる音が聞こえてきた。頭上の枝を避けながら、馬を飛び降りて徒歩で追いかける。大きな荷物を抱えているから、追いつくのはそう難しくはなかった。闇の中、逃げ切れないと悟った盗賊が剣を抜くのが判った。薄暗がりの中、一瞬、強張った表情が見えた。
 勝負は、ほんの一瞬。
 相手が剣を抜いた瞬間、ディーシュは、迷うことなく素手のまま相手の懐に突っ込んでいた。そして、力任せに腹に一発。
 「ぐぇ」
低い声とともに、相手の眼がぐるりとひっくり返った。気を失って、その場に崩れ落ちていく。
 ――と、その体が落ちた先からばしゃん、という水の音がした。はっとして足元を見ると、いつの間にかそこに浅い水の流れがあった。ブーツは足首まで水の中に浸かっている。盗賊は、流れに半分突っ込むようにして、口から泡を吹いてひっくり返っている。そういえば――街道の側の小川は、森のほうから流れてきていた。どうやら、その源流のあたりに迷い込んでしまったらしい。盗賊の体を水から引っ張り上げ、そのへんに転がしておく。次は、盗まれた荷物のほう。そちらは盗賊が放り出したせいで、水のほとりに転がっていた。
 「…ん?」
荷物を持ち上げようとしたディーシュは、ふと、それが異様に重たいことに気が付いた。固く縛られた皮袋の中に、何か箱のような手触り。不思議に思って縛られた口元を開いてみると、中からずいぶん立派な荷物入れの箱が出てきた。箱の蓋は投げ落とされたはずみで壊れて、外れたちょうつがいの下からごつごつした石の塊がいくつも入っているのが覗いていた。 
 黒々とした、鉄の塊だ。
 いかにも貴重品入れのような箱の中に、小分けにされた鉄がいくつも隠されている。――これでは、ただのガラクタを後生大事に運んでいるようなものではないか。一体なぜルナリアからの使いがこんなものを、こんな方法で?
 しばし呆然とそれを眺めていた彼は、ふいにあることに気づいて、慌てて袋の口を元通りに縛りあげた。察しがついてしまったからだ。これは、見てはいけないものだ。見なかったことにしなければ。
 「お見事な追跡の腕前でした」
木立の間から声がして、彼は弾かれたように振り返った。いつからそこにいたのだろう、にこやかな笑顔のツァディ、それに、後ろには相変わらずの無表情でハールトマンが控えている。自然と、声が上ずってしまう。
 「追って――来てたのか。」
 「奪われたのは、我々の荷物と馬ですからね」
そう言って、ツァディは笑顔のままディーシュの側にやってきて、何事もなかったかのように荷物に眼をやった。「ああ、無事に取り戻していただけたのですね。助かりますよ。…ハールトマン」
声をかけられた男がつかつかと進み出て、ひょい、と袋ごと箱を担ぎ上げる。
 「あんた…それ…」
 「そちらの賊も連れてゆかなければ、ね。どこから来たのか、なぜ我々を狙ったのか聞き出さなくては」泡を吹いている男の方にあごをしゃくり、そっと囁く。「釣りは、巧くいきましたよ」
 「!」
やはり、これはワザと盗ませるつもりで持ってきた囮なのか。
 「何で、こんなことを…あんたたちは、偽の使節…なのか」
 「本物ですよ、勿論。ただし本命ではなかった、というだけのこと」
さらりと、ツァディが言う。「そちらは、別の道を通ってソルナレイクへ向かっている」
 「…釣りってのは、盗賊を釣るためか」
 「あるいは敵の間者か、敵意を持つ何者かでも」
にこにこと笑顔で答える。「しかし巧く行き過ぎましたね。このぶんなら、もう一方も巧くいくかもしれない」
 「もう一方?」
荷物を馬に置いてきたらしいハールトマンが戻ってくる。
 涼しげな顔で、美貌の男は、ちらと側に立つ長身の男の方を見やった。小さく頷いて、ハールトマンが動き出す。
 「すまないが、我々にも時間が無いのでね――」
混乱の中、わけもわからずにいたディーシュの首筋に、鋭い衝撃が走った。一瞬で、目の前が真っ暗になる。
 「彼が君の言う通りの存在なら――」
視界に数秒遅れてほかの感覚が遮断される瞬間、ツァディの声がどこか遠くから聞こえてきた。
 覚えているのは、そこまでだ。
 頬に触れた草の感覚が消えると、あとには、ただ、暗がりだけが広がっていた。



 気が付いたとき、ディーシュは森の中で木に硬く縛り付けられて、身動きが取れなくなっていた。
 「…は? 何だよ、これ」
腕は背後でがっちりと固められている。「おい! ツァディさんとやら! どういうつもりだ、これはっ」怒鳴っても、誰も返事する者はいない。静まり返った森の中に、鳥の声だけが響いている。梢の間を落ちてくる光。どうやら、既に朝になっているようだ。
 「あいつら、どういうつもりだ…」
ハールトマンに頭を殴りつけられて、縛り上げられた。それは判っている。判っているが、理由が分からない。
 (まさか、あの袋の中身を見たからじゃ、ないよな…?)
あの「偽物」の中身が意味することは、別に「本物」があるということだ。鉄の入った箱に対して、おそらく、黄金のぎっしり詰まった箱が。それはルナリアからソルナレイク総督への「軍資金」だろう。兵を出し、自国民を住まわせるだけでなく、金まで提供していたとなれば、ルナリアがソルナレイクの復興を支援しているなどという言い訳はもはや出来なくなる。今でさえ実質的に支配しているようなものだが、これでは将来的に併合するつもりかと近隣諸国に思われることは間違いない。
 ディーシュにも、ようやく合点がいった。あの派手な仕立ての馬車。それに、わざわざ少ない人数での西進。
 偽の贈り物と、偽と使節。
 それは、わざと襲われ、荷物を奪わせることで敵の正体を暴くために仕立てられた「囮」。ディーシュは、その囮作戦に使われたのだ。
 けれど、だとしても、ディーシュは彼らにわざわざ選ばれて同行を求められた。荷物の中身や彼らが囮だということを知られることは、最初からわかっていたはずではなのか。
 だとしたら、何が理由なのか。
 覚えているのは、ツァディが最後に言っていた「もう一方も巧くいく」ということ。もう一方? もう一方とは、一体何のことだ。これ以上、一体何を釣り上げるつもりなのだ。
 (何だっていい、付き合ってられるかよ。こんなもん、さっさと解いて…)
身をよじり、何度も脱出をこころみる。けれど、ハールトマンはよほど巧く縄をかけたのか、ほんの少し緩ませることさえ出来そうにない。むしろ、動けば動くほどどんどん苦しくなっていくような気がする。
 何時間も格闘するうちに、ディーシュの額には汗が滲んできた。簡単に抜け出せると思っていたのに、どうもそれは見込み違いだったようだ。
 やがて体力も尽きる頃には、日も暮れようとしていた。辺りに薄暗がりが訪れる。
 「はあ…」
溜息まじりに、結び付けられた木の幹によりかかって眼を閉じる。
 (こんなところで死ぬのかよ…)
ツァディたちは、様子を見に来る気配さえない。もしかしたらあの二人は何かの理由で自分を始末してしまうつもりだったのではないのか。自分のことは、盗賊を追っていったまま行方不明、とでも報告するつもりで。いやまさか。何も恨みは買っていないはずだし、何か重要なことを知っているわけでもない。何の価値もない。殺すほどの価値は…。
 (…喉が渇いたな。こんなくだらねー死に方するくらいなら、あの時、派手に戦死でもしといたほうがマシだったなぁ…。)
と、視界に何か、ふわりと横切る白いものがあった。
 「…?」
森の奥から、それとなくこちらを見ている視線がある。
 「誰か、いるのか?」
最大限に身をよじりながら、彼は、それが人間の気配ではないことに気づいていた。
 敵意はない。どこか、懐かしい気配。
 そうと知らなければ単純に森の生き物だと思ってしまいそうなその気配に気づくことが出来たのは、以前、その気配を持つ存在と、しばらく行動を共にしていたことがあるからだ。
 彼は、森を見回した。
 深い、人の手の入らない静かで豊かな森。水の流れ出す場所。
 (――そうか、この森は…)
踏み込んだときには、気づかなかった。
 「妖精族か? ここは、あんたの領域か」
森の中は静まり返って、返事はない。
 「悪い、荒らすつもりはなかったんだが――その、すぐにでも出て行きたいんだが、このザマで…」
青白い輝きをもつ蝶がふわりと、目の前を横切っていく。
 (警戒されてるのか? それとも…人間の言葉じゃ、通じねぇってやつか)
月明かりが森を照らし出している。気配は、すぐ近くにあるのに動こうとしない。どうしていいのか分からないのかもしれない。
 「縄を解いてくれるだけでもいいんだが…そうじゃなければ…せめて水…」
目の前に、ふわりと水の塊が浮かんだ。思わず眼を見張り、ディーシュは、大きく口を開けて近づいて来る水の塊を貪り飲んだ。
 「うめえ!」
丸一日ぶりの水だ。喉が潤うと、ふいに空腹を感じ始めた。けれどさすがに、何か食べるものをくれともいえない。
 「なあ、あんた人間の言葉はわかるんだろ」
なんとかして、この縄を解いてもらわなければ。助かる望みがあるとすれば、隠れている妖精族に信用してもらうしかない。
 「俺は…その、昔、竜人族と戦ってた…あんたらも協力してくれたんだよな? いや、今はもう関係ないのは分かってる…けど、昔のよしみっつーか…なんつーか」
何を言っているのか自分でもよく分からない。けれど、意図は伝わっているはずだ。
 「自由になれたら、すぐにここを出て行く。信用してくれ。だからこれを何とかしてくれねぇかな? 自分じゃほどけなくて…」
青白い、影のような姿が視界の端を過ぎった。音も無く、近づいて来る気配。
 ふいに拘束の息苦しさから解放された感覚があった。
 顔を上げると、一瞬だけ白い女の姿が見えた気がしたが、怯えたような表情ですぐに闇の中に消えてしまう。
 「お」
両手を掲げると、その手は自由に動いた。ほどけた縄が腕に引っ掛かっている。ディーシュは喜びの表情とともに、森の奥に向かって声をかけた。
 「ありがとな!」
返事は無い。が、多分伝わったはずだ。
 立ち上がろうとすると、目の前に銀色の蝶がやって来た。羽ばたきながら、彼の周りを一周し、一方へ飛んで行く。着いて来い、と言っているようだ。
 「そっちが出口なんだな」
既に夜も更けている。足元は暗いが、月明かりのお陰で見えないほどでは無い。木々の幹を手で伝いながら、彼はゆっくりと、蝶の導かれるようにして森の出口へと向かっていた。
 やがて、見覚えのある水の流れに行き当たった。
 (ここは…)
最初に、追ってきた盗賊を倒した場所だ。草を踏みしだいた跡もある。そこだけぽっかりと、広場のようになっていて、月明かりが照らし出している。
 蝶がその光の中で羽ばたきながら宙に静止した。
 と―――
 魔法のように、光の中に影のような姿が現われていた。
 どこか見覚えのある端正な顔立ち。それも眼を奪うような美ではなく、静かにそこにあるのが当たり前のような、森の中に咲く花のような、さりげない美しさがある。
 「お久し振りです」
誰だっただろうと思い出そうとしていた彼は、その声を聞いたとたん、思わず小さく叫んでいた。「リュカ?!」
 微笑み返してくる、記憶の中にあるより少し大人びた顔。
 それは確かに、かつて同じ戦場に立った、あの少年だった。
 「お前…何でここに!」
 「この森に住む仲間から報せがあったので。」
 「あと、何がでかくなってねぇか?!」
 「育ち盛りなんです」
まるでさも当たり前のようにそう言って、リュカは、いたずらっぽい笑みを浮かべた。ディーシュは思わず苦笑する。
 「…妖精族のくせに。ったく…お前、ほんとにあのリュカなんだよな?」
目の前に立つと、背の高さは同じくらい。雰囲気は以前と変わらないのに、今はもう、人間の基準でいっても立派に一人前の見た目だ。
 「わざわざ俺なんかのために、サウィルの森からここまで?」
こわばった腕をこすって血の流れを取り戻そうと試みながら、ディーシュは苦笑した。「俺のことなんて、とっくに忘れてると思ってたよ」
 「忘れるわけ無いじゃないですか。」リュカは、少し傷ついたような顔をした。「一緒にエルム湖の拠点に特攻をかけたでしょう? ユッドの立てた"無茶な"作戦で」
 「そういや、そうだったな」
四年前のあの、戦い。竜人族と、人間と、負けたほうが土地を捨て、滅びを待つしか無いところまで追い詰められていた厳しい戦い――。
 少年らしさはほとんど消え、声も少し低くなってはいたが、妖精族には珍しい黒っぽい髪も、鮮やかな森の色をした瞳も、浮かべる表情も、あの頃と何も変わらない。
 「親父さんは元気か」
 「え?……」
一瞬の間。やがて、彼は口元を緩ませた。
 「元気ですよ、ラーメドは。とても。」
 「そうか」
それ以上、ディーシュは何も聞かなかった。必要なことは、その表情を見ればわかったからだ。
 青白い輝きをもつ別の蝶が、ふわりと目の前を横切っていく。
 ふと、リュカの表情が固くなった。
 「…ディーシュをこんな目に合わせた人たちが、戻ってくるようです」
言いながら、ちらと振り返る。 「どうしますか?」その口調は、"必要があれば排除する"とでもいうようだ。
 「――話は俺がする。あんたは手を出さないでくれ。あれで一応、ルナリアの偉い連中なんでね」
 「判りました」
頷いて、リュカはディーシュの後ろを二歩ほど下ったところをついて歩き出した。けれど、何かあったらすぐに助けの手を出すつもりのようだ。ディーシュとしても、二度と縛り上げられるのはごめんだ。けれど、戦うつもりはない。理由はどうあれ、国の使いに手を出したりしたら、兵士をクビになるどころか下手をすれば刑を受けるはめになる。
 森の入り口に、二つの人影が見えた・
 一方はツァディ。もう一方は、もちろんハールトマンだ。二人とも、まるで約束の時間に送れずに着きました、といわんばかりにそこに立っている。
 「まさか本当に、お越しいただけるとは」
驚いたことに、ツァディはディーシュではなく、その後ろに居る少年のほうに向かって嬉しそうに話しかけていた。
 「おい、どういうことだよ。あんた、まさか俺を囮にして、こいつを呼び出すつもりだったのか?」
 「手荒な真似をして申し訳ありませんでしたね。何度か直接、森へ伺ってみたのですが、いずれも門前払いで――」
 「何度か領界に侵入しようとする気配がありましたが、あなたたちだったんですね」
と、リュカ。ディーシュは呆れて、手を額にやった。
 「会いたいとか言ってたのは…そういうことかよ…。」
 「ええ。どうしても、会う必要がありました。ルナリア国王陛下からの正式な使者としてね」
 「”使者”?」
 「広大なサウィルの森の主、そして――妖精族の同盟の主。領界の主たちを束ねる者に」
 「……。」
 「そう、我々の目的は、ソルナレイクの訪問ではない。本当の目的は、こちらのほうだった」
リュカは、表情を変えなかった。感情を押し殺して無表情に立っているときの彼は、人間というよりはむしろ妖精族に近く感じられる。けれど、リュカは、両手を静かに胸の前に組み、ディーシュの後ろで無言のまま立っている。
 ツァディは話し続ける。
 「竜人族によって一度はすべての人間が追い払われた、この無人の荒野。妖精族もまた、多くが己の領域を追われた。この森の妖精族も、つい最近になって戻って来たうちの一人だ。…我が国ルナリアは、この地への入植と再開拓を推奨している。しかし妖精族もそれは同じこと。人間と妖精族の望まざる接触、ないし”揉め事”は、今までにも何件か起きている――その都度、妖精族の側に立って交渉の場に出てくるのは貴殿だ。よって我々の主は、貴殿に使者を送ることを望まれた」
 「おい。あんた、何を言って――」
ディーシュの言葉は無視して、ツァディは言葉を継いだ。
 「率直に伺おう。貴殿は、人間と領域を争うつもりがおありなのか、と」
 「ディーシュ」
リュカが言った。「この人と話をしてもいいでしょうか?」
 ぴく、とツァディの眉が動いた。
 リュカは、ディーシュが自分で話をすると言った意志を尊重してくれたのだ。それがわかっていたから、ディーシュは頷いた。「けど、手加減はしてやってくれよ。殴りたいくらいの気分になったら、俺に言ってくれ。あんたに、それはやらせたくない」
 「判りました。」
笑みを噛み殺しながら頷くと、リュカは、すぐに表情を元に戻した。
 「人間と領域を争うのかどうか、という問いかけでしたね。答えは――”そうしなければならないのであれば”。」
明快に、しかも揺るぎなく、彼はそう答えた。そして、片手を胸にやった。「妖精族のために戦い、助けを求める妖精族がいる限り、それに応える。それが、古き領界の主たちから力を借りる代償としての、我が誓約<セイン>。」
 「……。」
ハールトマンが、僅かに身じろぎするのがわかった。が、ツァディが軽く視線だけでそれを推し留める。
 彼は、続けた。
 「つまり貴殿は、竜人族に向けたのと同じ妖精族の魔力を使って、人間と戦うことも辞さないと?」
 「ええ、それしかなくなれば、そうします」
 「ルナリアには、あなたの知己、ユッド・クレストフォーレスとその家族もいる」
 「脅しのつもりですか?」
リュカは微笑んだ。
 「貴方方たちが欲しいものは、決して手に入らない。妖精族の寿命は千年を越える。けれど、人は長くてもせいぜい百年。人の築く都でさえ、千年に届くものなど無い」
 「――。」
静かな口調と超然とした雰囲気が、一瞬にして少年の雰囲気を変える。
 「妖精族は、自分たちから人間とは敵対しません。もしも人間が町を築くために森を切り開こうとして、そのために妖精族が追われるとしても、僕らは人間を殺したりはしない。ただ、その土地から水脈を連れて去るだけです。そうして人の住まなくなった土地は荒れ果てるでしょうが、何百年後かには再び豊かになる。――妖精族は水を、人間は土を作る。人間は水を、妖精族は土を求める。互いの求めるものがそこにあるのに、どうして反目しなければならないんですか?」
 「敵対はしない…が、協力しなければ我々も滅びる、…と?」
 「そう、だから”調和”と”協力”を。妖精族と人間の間には、それが可能なはず。…かつて、そうしたように」そう言って、彼は真顔でツァディを見つめた。「でも、それはそれとして、個人的な感情はありますよ。人間だろうが妖精族だろうが、友人に害を及ぼすなら話は別です」
 「ふっ」
ツァディは前髪をかきあげて小さく笑い、ディーシュのほうを見やった。「これ以上、何もする気はありませんよ。」
 「彼に謝罪してもらえますか?」
 「勿論ですよ。」そう言って、深く頭を下げる。「ディーシュ・フェリクス。この謝罪を受け入れてもらえるかな?」
 「え、…いや」
ディーシュは慌てた。リュカがじと見つめている。
 「いや、…これ以上なんもないなら、俺は別に…」
 「優しいんですね」と、リュカ。「あんな目に合わされたんですよ、もう少し何か貰っておいては?」
 「正直もう面倒くさいし…帰りたい」
 「それはしょうがないですね」
くすっと笑って、リュカは身につけていたマントのフードを被りながら、ディーシュのほうに向き直った。「それじゃ、僕もそろそろ帰ります。」
 「ああ、わざわざ来てもらっちまって悪かったな。親父さんによろしく」
頷いて、その姿が月の光の中に光の粒となって消える。と同時に、その光が銀色の輝きをまとう白い蝶の形を形作り、ふわりと夜の空に舞い上がっていった。ディーシュも、そしてツァディたちも、その蝶の行方を見上げていた。
 「思っていたよりも…」
ぽつり、とツァディが言った。
 「おい」
ディーシュが睨んでいる。「俺の役目はもう終わりだろ? あんたたちはソルナレイクへ行くつもりは無いんだし、俺をダシにしてリュカと話も出来たんだし」
 「ああ、そういえばそうでしたね。ご苦労様でした」
 「…それだけかよ?!」
 「帰りたいと言ったのは君でしょう」
悪びれた様子もなく、ツァディは言ってのける。「もっとも、昨日とらえた賊は本当にただの盗賊でね。小物だったので君のところの砦に送っておきました。牢に放り込むなり処刑するなり好きにしてください」
 「な、」
 「しかし、もう一方の本命のほうは――」
美貌の男の表情に、何とも言いがたい、「あれは、何とも手ごわい相手になりそうだな――」
 「リュカのことか? なら、言ってたとおりだろ。人間と妖精族、仲良く”お隣さん”どうしでやりゃあいいだけだ」
 「そう簡単に言うが、…」
 「俺たちはそうしてあの戦いを終わらせた。やり方はもう、知ってる」
こともなげに言って、ひらひらと手を振りながら、ディーシュは町の方に向かって歩き出す。「んじゃな、お偉いさんたち。先に帰らせてもらうわ」
 「……。」
背中に視線を感じた。けれど、降り返るつもりはない。
 そう、やりかたは、もう知っている。
 それは決して難しいことではないのだということも。
 (けど、ここから先は、面倒なことになりそうだなぁ。…リュカ)
予感があった。いつか、――何年か、何十年か先かもしれないが、――この地で、人間と妖精族が衝突する時が来る。
 王都から使者が送られてきたということは、中央にとって妖精族との”領地”争いが、ソルナレイクの帰属問題と同じほどに重要な問題だということを意味している。もしも人間が、妖精族の住む領域を欲しいと思い、妖精族との間で衝突が起きるとしたら、リュカは、自ら言ったように妖精族の側に立つのだろう。そして、ディーシュたち人間の兵士は、当然のように、人間の側に付くことになる。
 もしもその時が自分の生きている間に来るのなら…、
 …その時、人間側の先頭に立つのは他の誰でもなく、自分でありたい、と彼は思ったのだった。



 ――西のソレナレイクを巡って、ルナリアと隣国グロッサリアの間に数十年ぶりの本格的な戦闘が起きるのは、それから一年後のこと。
 始まりは小規模だった戦闘は、やがてほぼ前面的な衝突となるが、既に親ルナリア勢力の一部となっていたソルナレイクからの援軍もあり、グロッサリアは大敗を喫する。それはルナリアが大国化していく始まりの一章に過ぎず、やがて大陸の東側の小国を巡る、百年及ぶ戦争の時代が始まる。

 その時代の影で、妖精族の世界が大きく変わろうとしていることに気づいていた者は、その時は、まだ、ほとんどいなかったのだった。


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