□良き隣人〜前


 空に吸い込まれていく、馬の嘶きと荷車の軋む音。
 賑やかな声が響く砦前の広場。まだ少し肌寒い、けれど確実に春へと近づきつつあるうららかな日差しの下、西へ西へと向かう馬車の列は絶え間ない。

 竜人族との戦争の終結から四年。

 かつて戦いの最前線基地だったリオネス砦は、竜人族から取り戻された其処より西の地域の再開拓と復興のために帰還・移住する人々の通り道となっていた。
 竜人族との戦いの始まるより前、およそ二十年ほど昔には、この砦の兵士たちの役目は、街道に出没する野犬や盗賊から旅人や商隊を守ることだった。その役目に戻ったのだ。人間にとって生存を脅かす最大の敵だった竜人族がいなくなった今、砦の規模は大幅に縮小され、駐屯している人数は最大時の四分の一ほど。竜人族との戦いに参加していた者で、その後も残った者はあまり多くない。残ったのはまだ若く、自分の家族を持たない独身者や、故郷で仕事をするより兵士をやったほうが稼ぎのいい農村の出身者。ディーシュ自身も、そんな中の一人だった。
 砦の中で四年前から残っている顔見知りは二、三人。
 いくら稼ぎが良くても、兵士など、長くやる仕事ではない。所帯を持って故郷に戻ったり、溜めた金で西の再開拓地に畑を買ったりと、一人、また一人とかつての激戦の地を去って行った。終戦当時の司令官だったフレイザーも、二年前に引退して、どこか僻地の名誉職に就いた。ディーシュ自身、金はそれなりに溜まったのに、どうしてまだこの仕事を続けているのか分からない。ほとんど意地だ、と自分でも思っている。
 一瞬のうちに交錯し、駆け抜けていった生と死と。
 時折思い出しては、自分がどうして生きていられたのかを不思議に思う。竜人族との戦いで、多くの人間が死んでいった。血の匂いも肉に切りつける感触も、首筋すれすれを通り過ぎる死の感覚も、毒の傷みも、はっきりと覚えている。あの頃からずっと、何かを成し遂げ損ねたような気がしている。
 "心残り"
としか表現できないもの。それが何なのか、ずっと探し続けている。
 「おーい、次の馬車列着いたぞー」
見張り台の上からの声で、ふと我に返る。
 見ると、川にかかる橋のたもとの広場に、商隊には見えない、やけに豪華な四頭立ての馬車が入って来るのが見えた。
 「何だい、ありゃあ」
後ろにいたのっぽの兵士が呟く。先月入隊したばかりの、出稼ぎの傭兵だ。
 「おおかた、ルナリアからのお偉いさんじゃねぇかな? ソルナレイクあたりへ向かうんだろう」
 「ああ、お役人か何かか。それなら納得だな」
のっぽはフンと鼻を鳴らして、一瞥だけくれるとあとは興味を無くしたように兵舎のある丘の方へ向かって歩き出す。ディーシュもそうするつもりだったのだが、ちょうどその時、馬車の扉が開いて、中から派手な色あいの上着を着た二人組みが降りてくるのを目にしてしまった。
 青と銀に半分ずつ塗り分けられた、裾の長いコート。
 (あれは…ユッドと同じ上着…だな)
記憶の中に、かつて同輩だった青年の顔が過ぎった。上着やマントに使われるその色の組み合わせは、正式に国に仕える武官だけが身につける目印のようなものだ。ルナリアの国旗と同じ色。士官学校を卒業したユッドも、長いことその色の上着を身につけていた。ということは――馬車から降りてきた二人組みは、やはり、中央から来た使節か何かなのか。
 ディーシュが見つめていると、ふいに、その片方が顔を上げてこちらを見た。
 くるりと捲いた金色の髪。妙にいたずらっぽい、長い睫に縁取られた瞳。女のような顔だな、とディーシュは思った。腰に剣は提げているが、とても軍人には見えない。
 目が合ったのは、一瞬のこと。
 すぐに視線は逸らされ、二人は何か話し合うと、丘のほうへ向かっていく。司令塔へ行くのだろう、と彼は思った。今の砦の司令は、中央から来た、実線経験はほとんど無さそうな若い士官だ。普段は巡廻ばかりで、ときおり出没する盗賊団を相手にするくらいしか出番のない砦の司令など、閑職のようなものだ。とはいえ、西へ向かう馬車が増えるにつれて、街道にはびこる盗賊の数も少しずつ増え始めている。先日も被害の訴えがあって、今も何組かの巡廻部隊が盗賊を探しているはずだ。決して「平和そのもの」というわけでもない。
 砦の前を流れる川で水を補給し、馬に飼い葉を食べさせて一息ついたら、馬車は次々と西へ向かって橋を渡っていく。
 出発を待つ馬車をぶらぶらと見て周り、いつものように指名手配の犯罪者や怪しい商隊がいないことを確認していたとき、後ろから声がかかった。
 「ディーシュ・フェリクス。」
降り返ると痩せぎすの、いつも司令にくっついている秘書のような役目の男だ。「司令塔へお越しいただきたいのだが」職業柄のクセなのか、ディーシュのような下級の一兵卒にさえ、そんな物言いをする。ディーシュは苦笑して、小さく頷いた。そして、吹けば飛びそうなくらいひょろりと細い男の側を通り過ぎて、足早に丘の上の司令塔へと向かった。


 丘をとりまく砦の様子は、四年前とはずいぶん違っている。
 竜人族の襲撃でほとんどの建物が焼け落ちたあとで再建されたからだ。とはいえ、基本的な構造は変わっていない、丘の上に司令塔があり、見張り台があり、斜面に沿った道ぞいに兵舎、ふもとに武器庫や厩舎。そして訓練場。増えたものといえば、丘の麓の、かつて砦の入り口のあった辺りに作られた、竜人戦役で死んだ兵士たちの慰霊碑くらいか。
 軽い足取りで丘を駆け上がって司令塔に入ると、奥の部屋の扉を叩いた。
 「失礼します」
軍隊式の礼をしながら中に踏み込むと、馬車から降りてくるのを見たあの二人が振り返った。手前に、女性のような雰囲気のやや小柄な優男。奥には、石のような硬い表情の体格のいい男。
 「やはり君か」
と、手前の金髪の男がにこやかに言った。
 「お知り合いでしたか」
 「いえ。先ほど、下の広場で見かけましたので」
金髪の男は、ちらと横目にこの砦の司令――見るからにお坊ちゃん育ちだ――を見やった。「それでは、彼をしばらくお借りしても宜しいのですね」
 「構いませんよ。」
 「借りる?」
 「案内を頼みたいだけです」
ディーシュが何か問いかけるより早く、男はそう言って、にこにこしながら近づいてきた。そして、目の前に手を差し出す。「私はツァディ・ロウ。奥のもう一人はハールトマン。これよりルナリアへ向かうところなのですが、このところ盗賊の被害があるとかで、少々心配でしてね。大街道に出るまでの間で構わないから、同行願いたい」
 「はあ…」
それなら、どうして自分に声をかけるのだ、とディーシュは首を捻った。砦の司令のほうはというと、既に役目を終えたかのごとく、我関せずの顔をしている。
 ツァディと名乗った男が、軽くあごをしゃくった。外へ、という意味だ。
 「それでは。」
 「うむ、無事にお役目を果たされますことを」
うわべだけの挨拶とともに、扉が閉ざされる。何が何やら分からぬまま、ディーシュは、司令塔の外に連れ出されていた。
 「あのお、案内って言われても――」
盗賊が出るからといったって、一人だけでは護衛には足りないだろう。
 ディーシュの表情を見て、ツァディは、小さく声を立てて笑った。「君は素直な男だな」
 「は?」
 「そんなものは方便さ。ぜひ君と話をしてみたかった。ディーシュ・フェリクス、君は――」すうっ、と目が細くなる。「竜人戦役の生き残りだろう?」
 「……。」
 「行こうか。必要なものは既に準備させている。君はそのままついてきてくれれば良い。」
 「はあ…。」
何が何やら判らぬまま、こうしてディーシュは奇妙な二人組に同行することになった。
 ソルナレイクまでは、ここから最短距離で十日ほど。大街道、と呼ばれているのは、二十年前まで主街道だった西と東の国々をつなぐいわば大動脈のような街道のことで、多くの国々が竜人族に滅ぼされた今となっては、機能しているのは一部だけだ。今はその入り口にあたる部分にリオネス砦よりも大きな基地が築かれている。
 ルナリアの西の荒野にも、かつては大きな町が幾つもあった。荒野を越えて西の海へ至る街道をゆく商人も多かった。ソルナレイクはかつて、その街道の荒野のすぐ手前にある最大の交易都市だった。その面影は長きに渡る竜人族の占領によって失われ、今は復興の真っ最中だ。王家や貴族はもちろん、平民でさえ生き残りはほとんどおらず、ルナリアから送られた軍隊が駐留し、人の戻ってくるのを手助けしている。
 ほとんどルナリアが支援している、といえば聞こえはいいが、他国が手を出さないうちに半ば占領してしまったようなものだ。もっとも、ソルナレイクから竜人族を追い払うのに多大な犠牲を払ったのはルナリアなのだから、当然だ、という声もある。――少なくとも、ルナリアにおいては、その声が主流だ。
 ツァディは、そのソルナレイク総督への親書を届けに行くのだ、と言った。
 「ソルナレイク総督…っつーとあれだな、国王の代わりみたいな」
 「ええ、代理統治者と呼んでおります。」
その総督がルナリア出身の貴族だというので、占領軍の首領だと非難する声も、主に、ルナリアの隣国グロッサリアから聞こえてくる。ルナリアほどではないにせよ、竜人族との戦いに兵を出したからこその不満もあるのだろう。
 「君と同じ、竜人戦役の功労者ですよ」
 「聞いてるよ、サニエル・ウェリントンだろ? 戦友ってほど親しくも無い。」
 「ご謙遜を。第一線にいた仲でしょう」
 「向こうは最初から士官で、俺は新米兵士だった。顔見知り程度だ」
 「その新米兵士の中に、ユッド・クレストフォーレスもいたはずですよね?」
 「ああ、まあ…」
馬車が揺れる。ツァディは始終笑顔で、その線の細い面立ちからは、何を考えているのかさっぱり分からない。
 「君は彼と同期のはずですね。彼の方は、君のことを覚えていた。出発前、リオネス砦で誰か信頼できる知り合いは居ないか、と聞いた。一人だけいると――」
 「それで俺をご指名だったんですかね?」
 「そういうことですね。」
窓の外をちらと見やると、馬に乗って馬車の側を併走しているハールトマンが見えた。四頭立ての馬車の中はそれほど狭くは無いのに、移動は、ディーシュとツァディが馬車に、警戒のつもりなのか、密談のためなのか、ハールトマンが外にいる。
 (にしても、やけに豪華な馬車だなぁ…)
内装をそれとなく見回しながら、ディーシュは心の中で思う。それに、御者台には御者だけでなく小間使いらしい男も一人いた。召使いに護衛まで連れて旅をする、この目の前の男は、おそらく相当な上流階級のお貴族様に違いない。その、いかにも気難しそうなお偉いさんの相手をさせられているユッドは、さぞかし苦労しているのだろう――彼はそう思った。
 「どうかしましたか?」
 「いや、なんつぅか…こういうのは、馴れてないもんで。」ディーシュは頭をかいて、はぐらかすように視線を逸らした。「お偉いさんの話相手は馴れてないんですよ。田舎者なんで勘弁してください」
ツァディは声を立てて笑う。
 「君におべっかやお追従など期待していないさ。――私はただ、報告書には載っていない、四年前の記憶を知りたいだけなんだ」
 「四年前の記憶?」
 「実体験による感想、とでも言うべきか。」
うっすらとした笑み。
 「ところで君は、噂の、人間の血を引くという妖精族にも会ったことが?」
 「え、…」
一瞬、言葉に詰まった。
 「いや、まあ。そりゃ…同じ隊にいたんだし」
 「どんなふうなんです? 見た目は人間と変わらないと聞きますが…妖精族とはどこが違うのです?」
 「どんなって言われても。言われなきゃ妖精族とは思わない。飯も普通に食うし、夜は寝床で寝るし」
 「それから?」
 「笑うし怒る。仲間が死ねば悲しむ。人間と同じだ。」
 「それでも妖精族なのでしょう」
 「ああ、魔法は使ってたよ。仲間の妖精族といる時は、それなりに妖精族らしく見えるんだがなあ。なんていうか、…あいつは…」
記憶の中の、小柄な少年。とてつもなく強くて、驚くような力を持っていながら、普段はごく普通の少年にしか見えなかった。
 サウィルの森の妖精族。彼の力無くして、あの戦争は終わらなかった。
 あの時、戦いに参加していた者は誰もがそれを知っている。
 そして、誰もはっきりとは口にしなかったが、途中から皆、気が付いていいた。妖精族のはずの彼が、なぜ人間に手を貸そうと思ったのかという理由。戦いを終わらせる代償として求めていたもの。
 戦いの終結とともに人間の世界から姿を消した"英雄"――。
 四年前の記憶が鮮やかに蘇ってくる。知らず知らずのうちに、ディーシュは口元に笑みを浮かべていた。
 「…あいつは、人間より人間らしかったな」
 「そうですか」
満足げに笑みを浮かべて、ツァディは、座席に背をもたせかけた。
 かすかな違和感があった。何故、この男はわざわざ、そんなことを自分に聞いてくる?
 「あー…言っときますが俺は、あいつとは個人的な話は何もしたことありませんよ。親しかったという意味なら、ユッドのほうだ。都のお偉いさんたちへの報告も、ルナリアへ戻ったユッドが詳しくしたはずですがね」
 「ああ、ユッド・クレストフォーレスにも訊ねてはみましたよ。けれど彼はほとんど何も答えてはくれなかった。当たり障りの無い話だけです。それに――彼は、今は多忙でね。」
 「へえ。よろしくやってるんですね」
ユッドが、戦争に勝利をもたらした功労者としてなにやら中央でずいぶん出世したらしい、ということは、風の噂に聞いていた。かつて下級兵士用の兵舎の同じ部屋で雑魚寝していた頃からは想像もつかないが。
 「――その妖精族、戦争が終わってから、会ったことは?」
 「あるわけない」
ちょっと肩を竦めてみせる。「けど、住んでる場所は知ってるよ。砦のすぐ近くの大きな森だ。巡廻で、近くを通ることはある。」
 「会いに行けば会える、と思いますか」
 「は? 何で」
 「ちょっとした興味ですよ。私もぜひ、会ってみたいと思いましてね」
 「やめといたほうがいい」
思わず、ディーシュは真顔になっていた。「妖精族の住処は、人間の立ち入っていい場所じゃない」
 「…冗談ですよ。」
にこやかな笑み。
 「けれど、どうしても気になってしまうのですよ。妖精族が人間に一時的に協力するくらいなら、過去にもあった。しかし、周辺のすべての妖精族が一斉に協力することなど有り得なかった。妖精族は決して群れを作らない。一人一人が領界の主――、いわば領主として振舞う。そして、他の領地には興味を持たない――」
 「……。」
 「なぜ、妖精族は人間に協力したのでしょうね?」
 「そりゃあ、竜人族が…人間よりも脅威だったからだろ。そう言ってたし」
 「誰かが彼ら全員を説得したからでは?」
 「まあ…多分…」
 「だから、その妖精族に、私は話を聞いてみたかったのですよ。」
馬車がかすかな振動とともにゆっくりと速度を落としていく。窓の外には、行程の半ばとなる宿場町が見え初めていた。リオネス砦を昼過ぎに出たわりには早く着いたほうだ。四頭立ての馬車は、一般的な庶民の使う馬車よりずっと早く走る。
 「急ぎの旅でもありません。ゆっくりいきましょう」
十分急いでいたように見えたのに、ツァディはそう言って、思わせぶりに笑みを浮かべた。
 宿場町といっても、そこは、最近になって急場ごしらえにつくられた、野ざらしの道沿いに何軒かの宿が立ち並ぶだけの場所だ。草っ原の奥に見える黒々とした森から流れ出す小川があるお陰で人が集まるようになり、やがて、露店商や馬の飼料屋、蹄鉄の修理場などが集まってきて一種の宿場町のようになったのだ。建てられたばかりの真新しい宿は、竜人族との戦いで得た恩賞金を元手に引退した兵士が建てたもので、経営者とは、ディーシュも顔見知りだ。それにこの辺りまでは、リオネス砦から定期的に巡廻部隊が訪れてもいる。
 今日も、まさに今、巡廻の兵が引き上げようとしているところだった。
 御者と使用人が宿をとるため宿屋に入っていったあと、ぶらぶらしていたディーシュは、引き上げようとする巡廻部隊に見つかって声をかけられた。
 「あんた、五班の班長さんじゃないか。今日は非番かい?」
 「いや、司令殿のご命令で特別任務の最中さ。お国の偉いさんたちの付きあいでね」
そう言って、彼は背後の立派な馬車のほうをそれとなく指してみせた。
 「なるほどね。そいつは大変だな」
苦笑して、声をかけてきた兵士はひらりと馬に飛び乗った。「んじゃ、こっちは一足先に戻ってるよ。どうもこの先で盗賊が出たらしくて、別の隊が警戒してる。あんたも気をつけてな」
 「ああ、そうさせてもらうよ」
五頭ほどの馬が、連れ立って砦の方角へ駆け去って行く。ディーシュは、それをしばらく見送っていた。
 「フェリクス殿」
降り返ると御者が、上品に両手を腹の下で組み合わせながら立っていた。「宿場の準備が整いました。どうぞお越し下さい」
 「えぇ? 俺、宿とか別に…」
 「どうぞ、こちらへ」
 「……。」
彼は眉をよせながら頭をかいた。こういう扱いが、いちばん厄介なのだ。
 (ったく、お貴族様に付き合うのは楽じゃねぇなあ…)
御者がとったのは、この宿場町でいちばん高い値段を取る、それなりに設備のいい宿のようだった。引退兵の経営している酒場と併設された庶民的な宿からは離れた場所にある。そんなところに宿を取って、しかも、厩に入れられない派手な馬車は宿のまん前に置き去りにされている。目立たないわけが無いのだ。御者に連れられて歩いているだけで、ディーシュまで目立ってしまい、視線を浴びながら、彼は少し恥ずかしくなった。
 けれど、まさかその「目立つ」ということが計算されつくした演出だったとは、その時のディーシュは予想も出来なかったのだった。


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