□妖精の贈り物-02


 窓から差し込む月の灯りが、ゆっくりと風に流れる薄雲に隠れては姿を現し、光が明滅するように壁に反射している。二階の廊下の窓から見下ろす小さな庭の草花が、大きくしなっている。もう夜もずいぶん遅くなり、通りをゆきかう人の姿はまばらだ。エリンは、先に休んでいる。ユッドは、旅の荷物を少し整理したいなどと理由をつけて居間に留まっていた。
 家の中は静まりかえっている。
 さっきまで台所で後片付けをしていた小間使いの少女も、馬丁も、自分たちの住み込みの部屋に引っ込んだ頃合いだ。
 ユッドは、待っていたのだった。確信はもてなかったが、あの切羽詰まった感じなら、きっと今夜中にもう一度、現われる。
 果たして、その読みは正しかった。
 庭側の窓の外を、風に逆らうようにして通り過ぎる銀色の蝶の羽根が見えた。――立ち上がって、窓にてをかけ、すこし隙間を開けると、そこから蝶がひらりと舞いこんでくる。そして、床に落ちた月の光の中で、見慣れた旧知の友人へと姿を変えた。
 驚いたものの、すぐに納得する。妖精族なら、このくらい出来て普通なのかもしれない、と。
 「やっぱり来たな、リュカ。どうして姿を消したりしたんだ? エリンだって、お前に会いたがっただろうに」
 「…すいません。ここには、ユッドたち以外の人間もいたので」
心底申し訳無さそうな口調。「エリンだけなら良かったんですが…」
 「うちの馬丁と小間使いだ。あの二人なら、口は固い。何なら口止めしておいてもいいんだ。そんなに人目を避ける話か?」
リュカは、首を振った。
 「今は、まだ――仲間の身がどうなっているか分からない今は…僕が…、妖精族が彼女を追ってこの町に来たことが噂になるのは避けたい。」
 「なるほど。」
ユッドは、溜息をついて腰に手をやった。
 「けど、お前が妖精族だって見て判る奴は、そうそういないと思うぞ。どう見たって人間と変わらないんだし。以前会ったことがあるならともかく」
 「この町には、軍隊がいるでしょう? ユッドのように、かつて竜人族との戦いに参加していた兵士もいる」
 「そりゃあ…」
 「それより、さっき言いかけていた、"妖精族に呪われた人間"の話を聞かせて欲しいんです」
真剣な眼差しは、ユッドに、旧交を温める前にするべきことがあったことを思い出させた。
 「そうだったな。…けど、オレも今日聞いたばかりで、詳しい話は知らないんだ。相手は、城内に住む王族専属の侍従らしい。どうにかならないかと相談されて、明日、たずねてみるつもりだった。」
 「場所を教えてもらえますか。今から行ってみます」
 「今から? こんな時間じゃあ、もう城門も閉まって…」
言いかけてユッドは、たった今、リュカがどうやってここを訪ねてきたのかを思い出した。
 そう、彼なら侵入するのは簡単だ。
 時間がない、というのは本当だろう。一刻を争うからこそ、彼はこうしてここにいる。場所を教えれば、きっと本当に今すぐ訪ねていくのだろう。
 だから――
 「わかった。案内しよう」
 「ユッド、でも…」
 「オレがいたほうが、警戒されずに城門を通れる。頼って来てくれたんだ。放り出したりしないさ」
リュカは、もうそれ以上なにも言わなかった。最初から、そうなることは予測していたのだ。ユッドに助けを求めれば、間違いなく彼も巻き込むことになるだろう、と。
 玄関から外に出ると、冬の入り口を思わせる冷たい風が押し寄せてきた。月は霞み、風が空から吹き降りてくる。
 町は静かだ。
 どこかそこらの通りで看板か何かの軋む不規則な音が反響している以外に、耳につく物音はない。ユッドは馬を使わずに徒歩で行くことにした。そのほうが目立たない。頼りない月明かりの下でも、入り組んだ路地は彼にとっては迷路ではない。城の裏手に通じる近道を急ぎながら、ユッドは、すぐ後ろを追いかけてくる友人に聞こえる大さの声で呟いた。
 「…もうすぐ、子供が生まれるんだ。」
 「ええ。エリンのおなか、ずいぶん大きくなってましたね。おめでとうございます」
 「でも名前が思いつかなくて。誰かの名前を貰ってつけるのが嫌で、どんな名前にしようかって…。この半年、ときどき思い出してはずっと考えてたんだけど」
風が吹きぬけていく。ユッドは、行く手に現われた十字路を、迷い無く右へと折れた。
 「男の子は決めたんだけど、女の子の名前が全然思いつかなくて。もうお手上げでさ。こればっかりは他の誰かに頼めないし…」
 「……。」
行く手に、町の建物の二階ほどまでの高さにあたる石積みの壁が現われた。その下に、ごく目立たない大きさの、小さな木戸がついている。馬車は通れず、馬は人が降りてようやく一頭だけ通れるほどの大きさだ。木戸には、外をうかがえるよう小さな小窓がついている。
 ユッドは、近づいて木戸を叩くと、開かれた小窓ごしに中の見張りに何かを囁いた。職務上の肩書きか名かを名乗ったのだろう。
 木戸の重たい閂が、がちゃんと音をたてて外された。戸の中から光が表に零れ出てくる。ユッドは振り返り、リュカに、ついてくるよう合図した。城壁を潜り抜けると、そこはちょっとした広場になっている。厩と、番人の小屋とがあり、奥の方にはおそらく使用人たちの宿舎なのだろう、全く同じ形の建物がずらりと並んでいる。
 番人は、ユッドの連れにはさして興味を示した様子もなく、木戸に元通り閂をかけようとしている。リュカに頷いてみせると、ユッドは、広場から続く小道の一つへと向かった。
 「こんな時間に訪ねてきても、不審がられないんですね」
 「秘密の用事なんて、ありふれた用事だしな」ユッドはちょっと肩を竦めてみせた。「上司の名前を出したら何か勝手に察してくれたよ。そういうもんさ」
 「ユッドは…、相変わらず人間たちにとって特別な存在なんですね。」
 「ただの雑用係だ。色々やってるもんで、ちょっと顔が知られてるだけだよ」
 「ちょっと、ね」
 「そう言うお前のほうも、最近、色々やってるんだろ? 噂は色々聞いてるよ。今回のことだって、その一つだろうし」
既に大半が眠りに落ちている住人たちを起こさないように、声を潜めて話しながら、二人は同じ色形の建物が並ぶ狭い通りを通り過ぎていく。やがて、通りの突き当たりに月明かりに照らされた緑が見えてきた。ふと、リュカが呟く。
 「…水の気配がしますね」
 「この先は王宮の裏庭で、薬草園になってるんだ。確かそこに、井戸があったはずだ」ユッドが説明する。「ここは、城で働く使用人が家族と一緒に住むための町で、王家づきの侍従やメイド、近衛騎士が住んでる。呼ばれたらすぐに参内できるようになってるんだ。薬草園は、王室付きの主治医が面倒見てたはずだ」
 「薬草に地下水を使っているんですね。人間の集落にしては、質のいい水の香りです」
 「あとで行ってみるか?」
言いながら、ユッドは横丁のいちばん端の、緑の生垣のすぐ手前にある建物の前で足を止めた。一つの建物に、扉はぜんぶで四つ、ついている。建物の中が仕切られて、全部で四家族が暮らせるようになっているのだ。
 「ここだよ。この時間だし、もう寝てるかもしれないけど…」
 「多分、起きていますね」
二階の窓に揺れる灯りを見上げて、リュカが呟いた。ユッドが戸に吊り下げられたノッカーを叩くと、二階の窓でカーテンが揺れ、人影が動くのが判った。しばらく待っていると、玄関で物音がして、戸が、薄く開いた。
 「あんたが、メリアス・グロー?」
小さく、息を呑む音。「こんな夜分遅くに申し訳ない。少し話を聞かせて欲し――」
言い終わらないうちに、戸の中から伸びてきた手がユッドの服の裾をつかみ、素早く引いた。
 「入ってくれ。すぐに」
 「? あ、ああ」
ユッドの後から、リュカも、扉の中へと滑り込む。手にした職台の短いロウソクの灯が、出迎えてくれた若い男の顔を浮かび上がらせる。それは病的に青白い顔をした、やけに痩せた男だった。髪はぼさぼさで、髭もしばらく剃っていなさそうだ。着ているものはよれよれで、何日も洗っていないシャツのように見えた。王族に仕える侍従とは思えない、ひどい格好をしている。
 扉に閂をかけ直すや否や、男は、ユッドが口を開くより早く、息せき切って言った。
 「待っていたんだ、きっと来てくれると思っていたんだよ。私だけではどうしようもない…この問題は…あんたが都に戻ってくるのをずっと待ってた。明日にも訪ねていくつもりだったんだ」
ユッドは、驚いて目の前の思いつめたような男の落ち窪んだ眼を見つめた。
 「ええと…じゃあ、あんたはオレのことを知っているのか?」
 「勿論だ。妖精族と話の出来る男、ユッド・クレストフォーレスだろ? 五年前の竜人戦役では妖精族とわたりをつけて同盟を結んだんだ。あんたのことはよく知ってる。城に報告に来ていたとき、何度も見ていたからな。さ、上がってくれ」
言うなり、メリアスは職台を手に二階へと危なっかしい足取りで駆け上がっていく。ユッドとリュカは顔を見合わせ、無言に頷きあうと、彼の後を追った。
 二階は、書斎を兼ねた寝室になっていた。
 さっき下から見えたカーテンの引かれた部屋。ベッドの上のシーツはくしゃくしゃで、机の周りには脱ぎ捨てた衣類やごみ、生活の道具などが乱雑に散らばっている。
 「一体、何があったんだ?」
ユッドは、机の上に職台を置いて、メリアスが一呼吸おくまで待って尋ねた。「オレは、"妖精族に呪われた"という話しか聞いていない。眠れないとか、頭が痛いとか…体の具合でもおかしくなったのか?」
 「眠れないのは、そのとおりだよ。ずっと考えて…手を尽くしてみたんだ、でも…」
 「待って」
リュカが、言葉を推し留めた。
 彼の眼は、メリアスのかたわらの机の上に置かれた、小さな宝石箱のようなものをじっと見つめている。
 「どうした」
 「その箱。開けてみて貰えませんか?」
メリアスは、不思議そうな顔をしながらも箱を取り上げた。いかにも大事そうに、両手で。「どうして判ったんです?」言いながら、開いた箱の中には、透明な、薄青い冬の湖に貼る氷のような塊が入っていた。まるで胎児のような、楕円の一方に長い尾をつけたような形で、ろうそくの灯にきらきらと輝いている。
 「シルフィール…!」
 「何だって?」
 「なぜ、その名を?」
驚きの声を、二人が同時に上げた。メリアスの表情が険しくなり、大急ぎで箱の蓋を閉ざし、挑むような目つきでじっとリュカを見つめる。
 「あんた、何者なんだ。一度も見たことが無い」
 「オレの友達の、妖精族だ」
ユッドが説明する。「竜人族との戦いでは、一緒に戦ってくれた。行方不明になった仲間を探しに来たんだよ。でもどういうことだ?」彼は、隣で同じように険しい顔つきになっているリュカを見やった。「そのシルフィールって子と、さっきの透明な石に何の関係があるんだ」
 「彼女たち湖の妖精族は、冬になると冬眠すると言ったでしょう」
リュカが言った。「その姿が"それ"なんですよ。魔力の消費を最低限に抑えて、仮死状態になっているんです――とは言っても、そのままではいずれ、本当の死を迎えることになる。」
 「…なるほど。じゃあ次は、あんたの番だな。」振り返って、ユッドは怯えたように引きつった顔をしたメリアスのほうを見た。「説明してもらえるか? こうなった経緯を、最初から。…シルフィールとどうやって出会ったのか」
 長い沈黙があった。
 男は、どこから話そうかと考えているようだった。しばらくして、掠れた声で、ゆっくりとした口調で話し始めた。
 「休暇中だったんだ。北の湖に出かけた…。湖の縁には青い氷が張っていた。それが美しくて、見とれているうちに足を滑らせて」
震えながら青白い手を、額に当てた。「…気がついたときには、目の前に彼女がいて。一瞬で魅入られてしまったんだ。霜に輝くような白い髪…ああ…でも、帰らなくてはならなくて…それで…。」
 「それで? 無理やり連れて帰ってきたのか?」
 「違う! こっそり、ついてきてくれたんだ。私もそれが嬉しかった。彼女はいつも姿を隠していて、夜になるまで姿を現さなかったから誰にもバレずに済んだ。楽しかった…、それが、まさかこんなことになるなんて…」
 「湖を離れて何日か後ですね?」
と、リュカ。「彼女が、今のその姿に変わっていたのは」
 「そう、だ」
搾り出すような声で言って頷くと、彼は、肩を縮め、両腕で箱をしっかりと握り締めた。「朝になったら、これが残されていたんだ。彼女は二度と姿を現さなかった。なあ、これが彼女だっていうのは本当なのか? 本当に? まだ、生きているのか? どうすれば元に戻せる?」
 「元に戻すなら…。」しばしの沈黙があった。「…住処である湖に持ち帰れば、春になれば普段どおり冬眠から目覚めて、元に戻るかもしれません。でも」
 「でも?」
 「貴方はそれに耐えられるんですか?」
はっとしたような表情。メリアスがわずかに体をのけぞらせた動きで、ロウソクの灯が大きく揺れた。
 「それから、シルフィールの気持ちは? 彼女が自分の意志で貴方についていったことは間違いない。妖精族が領界を出るというのがどういう意味なのか、彼女が知らなかったわけがない」
 「水場を離れればいずれ命を落とす、それを知ってて人間についていった…、これは自殺だって言いたいのか? リュカ」
 「いえ…」彼は、首を降った。「確かにこれは、"呪い"だと思います」
 「どういうことだ?」
その問いには直接答えず、リュカは、メリアスの青ざめた、若々しい端正な顔立ちを見やった。くしゃくしゃになっていても、金色の髪は輝きを完全には失っていない。こうなる前は、――王家の侍従にいつにも相応しく、さぞかし見た目うるわしい若者だったことだろう。
 「彼女は優しくしてくれたんですね。貴方はそれに夢を見た。その夢を今も手放せないでいる。」
 「……。」
 「けれど妖精族は、人間の町では生きられない。貴方が彼女ととともにここで暮らすことは不可能です。シルフィールは最初からわかっていた。だから彼女は貴方に呪いをかけたんです。決して自分を忘れられないという呪いを。」
 「わ、私は…」
メリアスの額には、汗が滲んでいた。
 「選択肢はふたつあります。一つは、シルフィールをもとの湖に返して、貴方はこれまでどおり生きること」
 「それは出来ない!」
悲鳴のような叫びとともに、若者は箱を抱きしめた。
 「それなら、もう一方の道を選ぶしかないですね。貴方のほうが、ここでの暮らしの全てを棄て、一生を捧げて彼女の世界で暮らすことです。」明るい、緑の瞳がじっと、目の前の男を見つめる。「千年を生きる妖精族にとっては、人間の一生など僅かな時間に過ぎない。貴方が年老いても、彼女はずっと変わらないまま。しかも気まぐれな妖精族は、いつ心変わりをするかも分からない。それでもいいというのなら、ですが。」
 「……。」
 「その覚悟が無いのなら、今すぐそれを渡してください。今のその姿なら少しは耐えられますが、春になってしまえば…」
 「…死なせたりはしない」
顔を上げたとき、メリアスは、気持ちを決めたように見えた。けれど、その声は震えていた。「本当なんだな? あの湖に戻せば、元に戻れるというのは。シルフィールは…まだ、生きているんだな?」
リュカは、頷いた。
 「ええ、今はまだ。」
 「わかった。」
 「わかった、って…」慌てて、ユッドが割って入る。「本当に、ここでの仕事を辞めて北に行くつもりか? 妖精族の領域で暮らすつもりなのか?」
 「近くにいられればいい。あの湖の側には保養地がある。そこで休暇をとったのが始まりだった。」
言いながら、男は足元のちらかった生活用品を見回した。どうやって、ここを引き払うかを考えているようだった。
 「本気なのか? 城での仕事は? 侍従のあんたがいなくなったら、偉い人たちは驚くぞ」
 「どうでもいい。シルフィールに比べたら、大した価値もない。」最初に出会った時には青白く生気を失っていたメリアスの頬は、今や赤く上気して、熱気を帯びていた。「ばかなことをしてると思ってるんだろ? 妖精族にたぶらかされた、哀れな人間だと…でも」
 「いや。思わないよ」
ユッドは、きっぱりと言って首を降った。それから、ちらりと隣に立つリュカを見やった。
 「オレは、知ってるから…。たとえ種族が違っていても、同じ時間は生きられないと判っていても…共に居たいと願うことはあるんだと…。」
もう、ここで出来ることは何もなかった。リュカの目的だった仲間の行方は判ったし、ユッドも、"妖精族の呪い"の正体を知ることが出来た。呪いを解く、ということは出来なかったが、それは誰にだって無理なのだから仕方が無い。そもそも、呪いを解く、とは一言も言わなかった。ただ「何とかする」と答えただけなのだから。
 メリアスの住まいを後に、表に出た時には、月は雲の奥に隠れ、辺りには完全な暗がりが落ちていた。星空に翳りが見え初めている。
 「…これで、ようやく森に帰れそうだな」
ぽつりと、リュカが言った。
 「そういえばお前のほうは、大丈夫なのか? お前だって妖精族だ。ルナリアに来てから何日になる? この町じゃ水場なんて無いし、そろそろ限界なんじゃないのか」
 「今日で四日ですね。少し疲れましたけど…あの頃よりは、魔力の温存が巧くなりましたから」
 「少し休んで行かないか? さっき言っただろ、この奥の薬草園に井戸がある。この時間なら、園丁もいないだろうし」
言いながら、ユッドは先に立って、まかない横丁からすぐ向かいにある緑の生垣の切れ目を目指して歩き出した。冬を間近にひかえ、薬草園の大半にはわらの覆いが賭けられていた。常緑の木と多年草だけが、その合間に残されている。井戸は薬草園の端の作業小屋の側にあり、かたわらの桶の中には汲み上げられた水が半分ほど入ったまま、冷たく揺れている。
 「どうだ?」
 「うん、いい水ですね。町の、ほかの井戸とは水源が違うみたいだ。汚染されている様子もない」
井戸を覗き込んでから、振り返ってさっき訪ねたメリアスの部屋のある建物を見やる。薬草園からメリアスの部屋は、目と鼻の先だ。「…そうか。ここに水源があるから、シルフィールはあの姿で辛うじて生きていられたのかも。偶然とはいえ、幸運な巡り合わせですね」
 「本当に?」
 「ええ。冬眠中といったって、生きている限りは魔力を消費しつづけますからね。」
言葉を切って、リュカは、思案するような顔を見せた。「…でも、彼女が知っていたはずは無い。一体、どこまで本気だったんでしょうね。」
 「どこまで? あのメリアスに、どこまで入れあげてたかってことか?」
 「魔法で閉じ込めてしまうほうが簡単なのに、どうしてそうしなかったんだろう。こんなことをすれば、命を落とすことになるかもしれなかった。結果的に、メリアスは彼女に人生を賭けることにしたようですが…そこまで計算していたかどうか。…妖精族の女性の感情は…難しい」
ユッドは思わず苦笑した。
 「それは、人間だって同じだぞ。」
 「そうなんですか?」
 「そうなんだよ。」
雲が流れていく。
 そろそろ、夜半を回るころだ。
 元来た道を戻ろうと井戸の側を離れようとしたユッドは、ふと、周囲に迫ってくるただならぬ気配に気づいて足を止めた。誰かが、こちらに向かって来る。それも一人二人ではない。
 「囲まれていますね」
リュカが小さく呟いたとき、菜園の向こうから揺れながら近づいて来る灯りが見えた。先頭に、ランプを高く掲げた兵士が二人。その後ろに油断無く剣に手をやる五人ばかりが続く。制服からして、巡廻の兵士たちのようだ。リュカはフードを目深に引き下ろしたまま、光から姿を隠すように、半歩ほど位置をずらした。代わりにユッドが半歩分、前に出る。
 「怪しい者じゃない。オレは――」
 「用があるのは貴方のほうではない、ユッド・クレストフォーレス」
巡回兵の奥から、聞き覚えのある声が響いて来た。はっとして、ユッドは声のしたほうに眼を凝らした。金髪の、長い髪の若い男が、皮肉めいた笑顔を浮かべながら、腕組みをして立っている。
 ツァディ・ロウ。
 「やはり妖精族と通じていましたか。しかも、この王宮に連れ込むとは。侍従を操った次は、何をしでかすつもりですか」
 「勝手に誤解するな。オレはただ、オレイアス指令にメリアス・グローの話を聞いて、話を聞きに来ただけで…」
 「そこにいる、その男が何よりの証拠だ」
言い訳など認めない、といわんばかりの断固とした口調で、ツァディは、真っ直ぐにユッドの後ろを指差し、にらみつけた。
 「そうでしょう? 西部を占拠する妖精族たちの王、リュカ殿」
 「"王"――?」
 「勝手な呼び名ですよ」
リュカは、溜息まじりに呟くと、背中ごしに友人に詫びた。「すいません、ユッド。巻き込むつもりはなかったのですが…」
 「いや、気にするな。これはオレのほうの問題でもあったんだから」ユッドも、一つ溜息をつく。「お前が人目を避けたかったのは、こういうことがあるから、だったんだな。」
 「そう。こういうことがあるから、なんです」
薬草園を取り囲むように、光が続々と集まってくる。どこか遠くで、甲高い笛の音が響き渡るのが聞こえた。城内に侵入者があったときなど、緊急事態を報せる警戒音だ。
 「で? どうするつもりだ」
ユッドは、目の前の貴族然とした男を見た。この男のことはよく知らないが、リュカの反応からして、以前会ったことが在るというのは本当らしい。それも、あまり好ましい出会い方ではなかったようだ。
 「オレを捕まえて牢屋にぶちこむつもりか? 夜中に勝手に菜園をうろついたというだけで。それとも、上司に言われて侍従を訪ねてきたという罪状で? 侍従を操ったとか言われてもなぁ、オレは昨日までルナリアには居なかったんだぞ。そんなことは、皆よく知ってるだろう」
 「今ここに、妖精族とともにいることはどう説明するんです?」
 「何を言ってるんだ?」ツァディがなにを狙っているのかは分からない。だが、やるべきことは一つだ。「一体だれが、こいつが人間じゃないなんて言ったんだ」
 「よくもそんなデタラメを――」
余裕の笑みを浮かべるツァディとは裏腹に、ユッドのほうも、一歩も引かない。
 「どこからどう見ても人間じゃないか。そうだろ? こんな妖精族がいると思うのか? ていうかそもそも、妖精族が人間の町に来るなんて、何の冗談だよ」
 「ユッド・クレストフォーレス…、貴殿は…」
 「彼はオレの身内だ。部外者を勝手に城内に入れるな、という話ならそのとおりだな。あとでお叱りは受けるとして、それにしてもこの大仰な警戒は冗談だろう? わざわざ夜更けにこんな数の巡廻兵まで連れ出して…、滑稽すぎる。なぁ?」
駆り出されてきた巡廻の兵たちがざわつきはじめた。何も事情を知らない彼らからすれば、ユッドの言うことのほうに利があるように思えたのだ。リュカは、ただじっと眼を伏せて困惑する一般人のように佇んでいる。尋常ではなく整った顔立ちではあったが、その姿は、確かに人間以外のものには見えない。
 ツァディが黙っているのを見て、ユッドは、最後の仕上げにかかれると思った。
 「もういいだろ? 冗談は終わりにしてくれ。何か言いたいことがあるなら明日にしてくれ。仕事も済んだことだし、オレは家に戻りたい」
両手を挙げながらそう宣言して、彼は、薬草園を横切って兵士たちから遠ざかるように出口に向かって歩き始めた。
 暗がりから、誰かが飛び出してきたのはその瞬間だった。
 思いもかけないことで、ユッドの反応は一瞬、遅れた。目の前に刃がきらめいたのは、その一瞬のことだった。
 「ユッド!」
リュカの叫びから僅かに遅れて、腕の付け根に強い痛みがじんわりと広がっていく。とっさに押さえた指の間から、熱い、どろりとした体液が流れ出していくのがわかった。
 目の前には、背の高い男が無表情に、剣を構えたままこちらを見下ろしている。いつもツァディが連れている従者だ。
 (ハールトマン…)
視線を横にやると、ひきつった表情の巡回兵たちの間で、ツァデイだけは、何でもないという顔をしてこちらを見つめている。駆け寄ったリュカが傷口に手を伸ばそうとするのに気づいて、ユッドは、はっとした。
 「よせ。何もしなくていい」
 「でも!」
 「縛って止血してくれ。家までは…なんとか…なるから」
斬られた左腕の感覚がなくなりかけている。ユッドは袖口を口で引き裂いて、血を止めようと試みた。このくらいの怪我は、戦場では何でもない。それより、こんな状態で家に帰ったら、エリンはどんな顔をするだろう。腕を伝う熱い流れがズボンを汚している。
 「どうして、こんなことを…」
リュカは、唇を噛んだ。目の前の男は、無表情のまま剣を持ち替えようとしている。まだ、続けるつもりなのだ。
 「ロ、ロウ殿」
 「いい。黙って見ていろ」
うろたえる兵士たちのことは、既にツァディの意識の中にはないようだった。男は、真剣な表情で、何事かが起こるのを見守っている。それが何なのかが分かったのは、その直後のことだった。
 ハールトマンが動いた。
 それと同時に、リュカがマントの下から流れるような動作で自らの剣を抜いた。跳ね上がったフードの下から現われた暗い色の髪が夜に踊る。剣は打ち合わされることなく、すれ違っただけで、音もしなかった。その無音の一瞬の間に、勝負はついていた。
 「――言ったはずですよ。」
ハールトマンの喉元に剣の切っ先を突きつけたまま、リュカは、静かに言った。
 「人間だろうが妖精族だろうが、友人に害を及ぼすなら話は別だ、と」
その言葉は、明らかにツァディの方に向けられている。ハールトマンは呆然としたように、虚空にある剣を握り締めたまま動かない。長い、沈黙が落ちていた。誰も動かず、声も上げない。それは、この場にいる誰も、この人数であっても、目の前にいる一見か弱そうな若者を取り押さえるなど無理な相談なのだと、一瞬にして悟ったからでもある。
 「く、貴様…」
ツァディが苦しそうに呻いた、その時、状況を動かす声が割って入って来た。
 「真夜中だというのに、これは一体何の騒ぎだ」
現われたのは、ユッドの上司である老将、オレイアスその人だった。晩餐会からの帰りらしく、酒気を帯びた頬は赤く上気している。「誰か説明してもらえんか」その場にいる全員を見回しながら、よく通る声で言う。
 「オレイアス将軍…」
 「あなたの部下が、厄介者を城内に連れ込んだんですよ。」
と、ツァディ。
 「貴殿の説明は求めていない。」ぴしゃりと言って、オレイアスは、代わりに傍らで呆然としていた兵士に尋ねる。「何があった? 何故、私の部下が傷を負っているのだ」
 「は、我々は…ロウ殿に、曲者が城内に入り込んだから捕縛に協力するようにと言われ、ここへ。それから…その…」兵士は、オレイアスの軍での地位をよく知っているらしかった。この場にいる城の人間の中で、最も位の高いオレイアスには、正直に報告したほうがいいと思ったのだろう。ツァディと、ハールトマンのほうから眼を逸らしながら、ぼそぼそと付け足した。「ロウ殿が、不意にご自身の部下にクレストフォーレス殿を襲わせたのです。」
 「なんと」
 「事故ですよ」
ツァティが言いかけたが、オレイアスがじろりと睨んだのでしぶしぶと口を閉ざす。老将の厳しい視線は、今度はユッドのほうに向けられた。
 「城内に連れ込んだ、というのは?」
 「そこにいる、オレの義弟ですよ。妻の弟です」
ぴく、とリュカが反応した。彼はまだ剣を構えたまま、用心深くハールトマンの様子を伺っていた。
 「確か、貴殿の妻女は…そうか。"あの"、英雄オウルの養女だったな?」
それは、その場にいる兵士たちにも理解出来るように、わざと強調した言い方だった。小さなざわめきが広がっていく。狙った効果が得られたことに満足して、オレイアスはリュカのほうに向き直って言葉を続けた。
 「ということは、君は実子のほうか。成程、いい腕をしている」
 「直接教わったわけじゃないですけどね」
雰囲気が変わったことを感じたからなのか、リュカは、ようやく武器を引いた。と同時に、ハールトマンが地面に崩れ落ちた。手から剣を取り落として、両手で土を叩く。よほど悔しかったのだろう。
 「腕試しの気は済んだか? ハールトマン。」
 「……。」
返事は無い。オレイアスはじろりと、傍らの、頭ふたつぶん背の低い若い貴族を見やる。
 「退くがいい、ツァディ・ロウ。ここでは貴殿の思うようにことは運ばんよ」
 「ここでも、ですよ」
不満げに、若者は鼻を鳴らした。「この場所でも駄目だというのなら、一体ごとに、私の思うように進むんでしょうね。」
 「或いは、貴殿のその考えが間違っているのかもしれんな。少なくとも陛下はお喜びになられんだろう。宰相殿もだ。これは、貴殿の勝手な行動に過ぎない」
 「いつか私が正しかったと、誰もが思うようになる。」
棄て台詞のように言い残して、彼はくるりと背を向けた。
 「帰るぞ! ハールトマン」
放心していても、その声だけは届いたらしい。背の高い護衛は、よろめきながら立ち上がると、土に汚れた体を引きずるようにして主人の後を追う。何の指示もなくその場に取り残されていた兵士たちは顔を見合わせながらうろうろしていたが、やがて、オレイアスの視線に促されるようにして、それぞれの本来の持ち場へと戻っていった。
 リュカが駆け寄って、袖口で縛り上げたユッドの腕に触れた。懐かしい、ひんやりとした不思議な感覚とともに、痛みの消えていくのが判る。オレイアスは、興味深そうにその様子を見下ろしていた。
 「見事なものだ。それが、妖精族の魔法というやつか?」
 「驚かないんですね」
不思議に、意外だとは思わなかった。ユッドは、この上司が思っていたよりずっと多くのことに気づいていたのだと思った。ただの、人の良い老人ではないのだと。もしそうなら、この王宮で今の地位まで登りつめることなど、きっと出来ないだろう。
 「どこから見ていたんですか?」
 「あの若造が何事か企みでもするように楽しげに裏庭に向かっていくあたりから、だな。」
 「それじゃ、ほとんど最初からじゃないですか」ユッドは呆れ顔になった。「もっと早く止めてくれれば、こんな目に遭わずに済んだのに」
 「ははは。実を言うと、少しだけ興味があってな。あの男が何にこだわっているのか、噂に聞くことはどこまで本当なのか。お陰で、良いものが見られたぞ。あの剣豪ハールトマンに土をつける者が現わるなぞ、この先も、滅多なことでは起きないだろうからな」
心のそこから愉快そうに笑うと、オレイアスは、治療を終えようとしているリュカの顔を覗き込んだ。「それにもう一つ、あの男があれほどこだわっていた大事な"女"というのが、どれほどのものだったのか、間接的に知ることも出来た」
リュカは、わずかに興味が動かされたようだった。
 「ラーメドを知っているんですか?」
 「ああ。若い頃に何度か、この城に来たことがあるぞ。昇進の通達も、軍を任せるという申し出も何度も蹴って、上の連中を怒らせてな。嘘でも適当に流すということが出来ない男で、国に誓う忠誠なんぞない、自分は女のためにしか戦わん、とまで言い切っておった」
 「そんなこと言ってたんですか……。」
苦笑しながら、リュカはユッドから手を離してオレイアスのほうに向き直った。「助けてもらって、ありがとうございました。ここでの目的は達せられましたから、もう帰ります」
 「次は、こんな形ではなく遭えるとよいのだが」
 「僕は、もう遭わずに済む方を望みます。」
ユッドは、上司と視線が合ったのに気づくと、何も言わず小さく頷いてみせた。そう、ここでの目的は終わった。妖精族に呪われた男についての問題は。それが伝わりさえすれば、報告は、明日ゆっくりすればよい。
 まかない横丁は、薬草園での騒ぎなど気づいた様子も無く寝静まったままだ。
 静かな通りを抜けて、来た時と同じように木戸を潜り抜けると、二人は、元来た道を辿り始めた。いつしか月は完全に姿を消し、空にかかる雲は分厚い、雨雲へと変わっていた。


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