□妖精の贈り物-01


 冬になる直前の、秋の深まる季節。霜の降りた草を踏み分けながら、黒々とした軍馬たちの列が二列になって進んでいる。
 行く手には、青と銀に塗り分けられた旗のはためく城壁が見えている。ルナリアの都だ。誰からの口ともなく歓声が上がり、疲れた足取りで帰路を進んでいたと馬の足取りが、とたんに軽くなる。ユッドも、ほっとして一つ溜息をついた。半年振りの家だ――
 隣の馬上から、穏やかな声が話しかけてくる。
 「なんとか、無事に帰りついたな」
振り返ると、馬上の大柄な男が口元に皺をよせ、笑みを浮かべるところだった。他の兵士たちと同じように、城壁の上にはためくルナリアの紋章を見上げている。年はおよそ六十ほど。髪はほとんど真っ白になっているが、細身だが引き締まった体つきをして、疲れた様子も見せず、しゃんと背を延ばして馬に乗っている。この遠征軍の指揮官。今のユッドの上司でもある、軍の指揮官オレイアスだ。
 「老身に晩秋の遠征はこたえたな。もうしばらくは、ゆっくりさせてもらえるとありがたいのだが。とはいえ、冬になる前に片付いたのは貴官のお陰だ」
 「大したことはしていませんよ。将軍の人望と器のお陰かと」
 「ははは、たまには手柄を誇ってもいいのだぞ」
言いながら、老将はちらと、後ろに続く長い兵列を見やった。「そう、損害を出さずに済んだ。今の時分では、戦って勝つことよりも、戦わずして勝つことのほうが難しい…」
ユッドの加わっている軍は、東の国境付近で起きた隣国との小競り合いを片付け、和平協定を終えて帰還してきたところだ。
 西の国境での、竜人族の戦いからおよそ五年が経った。
 二十年近くに及んだ二つの種族の戦いが終結して以降、平和になったとたん戻って来たのは、竜人族の侵入が起きる以前の「人間同士の」小競り合いの日々、だった。
 戦いの間は成り行きを見ているだけだった東の小国たちの動きがにわかに活発になり、ルナリアにも何度も進入してくるようになった。加えて、竜人族との戦いの間は共闘していたグロッサリアとの仲も、以前どおり微妙な関係に戻っている。
 強力で、決して分かり合えない異種族という敵がいる間は、人間同士は味方と認識された。
 けれどそれが消えてしまえば、おなじ人間の中で敵味方が発生する。言葉や価値観を共有し、分かり合える可能性のある人間同士でのほうが、はるかに対応が難しい。判っていたつもりではあったが、判っていた以上に、それは、とても厄介な問題なのだった。
 城門は大きく開いて、早馬で知らせを受け取った人々が遠征軍の帰還を待ちわびていた。城壁の上の見張りの兵士たちが敬礼して迎え入れてくれる。軽く手を挙げてそちらに合図してから、オレイアスは再び、ユッドのほうを振り返った。
 「ここまで来たらもう、急ぐこともない。先に家に寄って来ても構わないぞ」
 「いえ、それは…」
 「奥方が身重なのだろう? そろそろ臨月ではないのか」
そう、――エリンはいま初めての子を身ごもっていて、そろそろ出産が近づいている。戦場にいる間は、つとめて思い出さないようにしていたのだが、正直に言えば、ユッドも気がかりだった。
 「…ありがとうございます。では、少しだけ」
 「うむ」
隊列が城門を抜けて、町へ入って行く。軽く頭を下げると、ユッドはそこで列から抜け出し、勝手知ったる小路へと馬に乗ったまま入って行った。



 建物の密集した狭いルナリアの市街地は、まるで迷路のように道が入り組んでいる。けれど、生まれた時からこの町で暮らしてきたユッドにとっては、どの小路も幼い頃に駆け回った馴染みの場所だ。
 迷うことなく道を抜け、馬は、日当たりの良い小さな庭を持つ、こぢんまりとした邸宅の前にたどり着いた。
 エリンと暮らし始める時に報奨金で買ったものだ。実家は兄が継ぐはずだから、自分の家が欲しかったのだ。とはいえ、実家からもそう離れていない。ユッドが留守の間は、両親が時々様子を見に来てくれているはずだし、思い切って小間使いと馬丁も雇ってある。下級とはいえ貴族の家らしく、それなりの体裁は整えてあるつもりだった。
 玄関に馬を寄せると、生垣の手入れをしていた老齢の馬丁がすぐに気づいて、選定はさみを放り出して駆け寄って来る。
 「旦那様! お帰りなさいませ」
 「ああ。馬を頼むよ。エリンは?」
 「家においでですよ」
馬丁の手を借りて馬から下りながら、ユッドは、目に見える範囲の家の様子をそれとなく伺った。庭はきれいに整えられ、玄関の前も掃き清められている。厩の中には予備の馬が一頭、健康そうな様子で佇んでいる。留守中、何も問題は起きていなさそうだった。
 「少し休んだら、城に報告に行かなくてはならないんだ。もう一頭のほうに馬具を置いて準備しておいてくれ」
そう告げて、彼は自分の家の中に入って行った。
 居間では、エリンが長椅子の上で熱心に縫い物をしていた。入って来たユッドを見るなり、彼女は驚いた表情になり、口元に手をやった。
 「ユッド!…」
 「ただいま」
驚きが歓喜に変わるまで、さほどの時間はかからない。ユッドは、エリンの大きなお腹に手をやった。「どうやら、間に合ったみたいだ」
 「あと何日か遅かったら、間に合わなかったかもしれないわよ」彼女は笑う。「名前はちゃんと考えてくれたんでしょうね?」
 「う、うん…実はまだ…。ごめん、でも…」
 「いいわよ。大変だったんでしょ? 相変わらず、大活躍だったって話じゃない」
長椅子の上のものを片付けながら、エリンはいつもの、さっぱりとした口調でてきぱきと話す。「そろそろ昇給を要求したほうがいいわよ、あなたは。それと働きすぎね。しばらくは休暇が貰えるの?」
 「そのはずだよ。…多分。次の厄介ごとの話は、まだもらっていないから」
 「でも、これから貰うかも」
並んで長椅子に腰を下ろしながら、二人は、それとなく互いを見つめあった。「上着も脱がないってことは、これからすぐにお城へ行くんでしょ」
 「…今回の作戦の報告があるからね」
 「夕食には戻って来られるの?」
ユッドはちらと窓の外を見やった。まだ、日は高い。
 「戻ってくるよ。約束する」
 「そ。じゃあ、準備はしておくわね。」
ふっ、と口調と表情を緩めて、彼女は微笑んだ。「…戻ってきたら、話を聞かせて。」
 「ああ」
エリンは、引きとめようとはしなかった。早く城での用事が済んだほうが、ユッドが気兼ねなくゆっくり出来ることを分かっているからだ。ルナリアに戻ってきてからずっと、この繰り返しだ。僅かな家での時間と、遠征に同行したり視察に出かけたりといった、遠方での仕事。けれど、戦場にいるよりはずっと、楽な仕事ばかりだ。
 短い滞在を終えて、ユッドはほとんど休む間もなくすぐさま上司の後を追って城へと向かった。その頃には、兵士たちの長い隊列も最後尾までが城門を潜り終わっていた。城へと続く大通りに出ていた見物人たちも三々五々、散らばり始めている。
 人に当たらないようゆっくりと馬を進めていたユッドの視界に、ふと、白いものがよぎった。
 (――…?)
最初は紙くずが風に舞っているのだと思った。けれどそれは、妙に視線を捉えて、離さない。彼が余所見をしている間にも、馬は勝手にどんどん城門のほうへと向かっていく。やがて、視界が門の柱で途切れた。
 「もし?」
門を守る番兵が、驚いた顔でユッドを見上げている。
 「え? あっ、と。」
慌てて、ユッドは馬を滑り降りた。ここから先は、馬を降りるのが規則だ。ユッドよりずっと年上の番兵は、笑いかけた表情を無理やり引き締めなおすと、ひとつ咳払いして気取った声を出した。
 「オレイアス閣下より、先に大会議室に行っていると伝言がありました。馬はこちらで預かりますので、直接お向かいください」
 「わかった。頼むよ」
ユッドも、それらしい表情を作りながら頷いた。
 兵舎に通じる裏門とは違い、この門は、王城の奥に直接通じている、仕官専用の入り口だ。ここから先は、それなりの階級や役職を持つ者しか立ち入りを許されない、特別な場所。誰が見ているかも分からず、誰と出くわすかもわからない。うっかり偉い人の機嫌を損ねたら明日から仕事を無くすかもしれない。そういう場所なのだ。
 とはいえ、ユッドは今のところ、この場所に必要以上に緊張したことはなかった。
 ここで会いたくない人物といえば、実の兄クォフくらいのものだ。弟など歯牙にもかけず驚くべき速度で昇進昇給を繰り返すクォフは、今では財務を取り扱う部署の筆頭の一人にまで登り詰めている。王宮内にも顔が利き、彼が居なければ王国の財務は回らないとまで噂される重鎮だ。それと比べれば自分などは、辺境での戦いで少し名を上げた程度の、幾らでも換えの効く若造に過ぎない。どうせ昇進など見込めないし、誰かに気に留めてもらえるほどの価値もない。そう思えればこそ、気が楽でいられるのだった。
 王宮の中には、自分の所属する部隊の上官以外に知り合いはほとんどいない。
 だから、オレイアスの向かった会議室へと通じる回廊を足早に通り過ぎようとして声をかけられた時には、気づくのが遅れた。
 「クレストフォーレス殿」
 「…?」
足を止め、振り返ると目の前に、不敵な笑みを浮かべた細身の若い男が背の高い従者を従えて立っていた。厭味のない程度に飾り立てた上着を肩にかけ、あたかも、ここが自分の家であるかのように、ぶらぶらと気取り無く近づいて来る。誰であるかを思い出すのに、少し時間がかかった。が、それも、相手にとっては計算のうちだったらしい。
 「ツァディ・ロウですよ。出陣前にも、ここでお会いしたことがある。それとクレイトン婦人の夜会でもご一緒したかと」
 「ええと――勿論、忘れてたわけじゃないですよ。確か、あの時は…」
記憶が甦ってくるのと同時に、かすかな不快感も思い出す。「…そう、妖精族についての質問をされた」
 その言葉を、待っていたのだろう。
 女性のような風貌をした長い髪の男はにっこりと肯定の笑みを浮かべ、意味深に廊下の奥に眼をやった。
 「随分とお急ぎのようだが、オレイアス殿なら向こうの廊下で宰相殿に捕まって立ち話をされていましたよ。」
 「それは…ご親切にどうも…。」
わざわざ、そんなことを告げるために待っていたのだろうか? ユッドは、無表情で口を閉ざしたまま、油断無く周囲に視線を配っている、のっぽの従者のほうにちらりと眼をやった。そこにいるのに気配は殆ど無く、目立たぬよう影に徹しているかのようだ。確か、ハールトマンとかいう名だったはずだ。噂では、代々ロウ家に仕える剣豪の家系に属していて、この男自身も相当な剣術の腕前だという話だった。
 (大貴族ロウ家の御曹司が、何だってまた、オレに話しかけてくるんだろう)
微かな違和感。そんな違和感について深く考える間も与えずに、男は言葉を継いだ。。
 「今回も大活躍だったそうですね。エテルの難攻不落の堅物を口説き落として無血開城させたとか、峠道の待ち伏せを見事見破って兵の損害を最小限にとどめたとか。あなたの武勇談はいつも楽しい。詳しく聞けるのを楽しみにしていますよ」
 「はあ…でも、そんなに面白い話じゃないですよ。大したことは、していないし…」
回廊の奥のほうが気になっている。ユッドは、失礼かと思いつつも切り出した。「あの、まだ仕事中なので、これで。」
 軽く頭を下げて通り過ぎようとする時、ツァディは、うっすらと口元に笑みを浮かべていた。
 数歩、離れた時、後ろから声が聞こえた。
 「西の方へ行く任務があったので、サウィルの森へ行ってみたんです。」
思わず、足が止まる。背を向けてはいても、同様は空気を伝わる。ユッドの気配が予想通りだったのだろう、その声はひどく嬉しそうだった。
 「以前教えていただいた、貴殿の知己の妖精族――なんという名でしたっけね? 彼にも会うことが出来ました。実に興味深い存在でしたよ」
弾かれたように振り返った時、伊達男は、既に従者とともに反対側に向かって歩き出した後だった。
 「では」
意味深な笑みと余裕を漂わせながら、ツァディは、回廊の向こうへと姿を消した。ユッドのもとに残されたのは、かすかな不安と、不快感。
 (…会った? リュカに? どうやって)
あの森は、そう簡単に近づける場所ではない。それに、なぜ、会いに行ったりしたのだろう。確かに、以前会った時もずいぶんしつこく妖精族の話を聞きたがっていたが――。
 気にはなったが、詳しく問いかけるために相手を追いかけるのは癪だった。それに、そんなことをすれば、ツァディの思うつぼだ。それに、先に済ませなければならない用もある。
 気持ちを無理やり切り替えるように、ユッドは、靴音を高く鳴らしながら回廊の奥へ向かって、やや早足に歩き出した。



 報告は、型どおりで終わった。
 事前に早馬で知らせが届いていたとおりの内容であり、戦争の勝敗でいえば「大」をつけてもよい勝利だったからだ。詰問されることなく、無難に褒め称えられるだけの軍事会議は楽でいい。説明はほとんどオレイアスが行って、ユッドは、わずかに補足をするだけだった。もっとも彼のそんな控えめな態度は、手柄にはやる同僚たちからすれば、逆に控えめすぎて腹立たしく映るかもしれないが。
 とはいえ、城に入ってから時間はかなり経過していた。既に日は暮れ、大回廊には灯りがともりはじめている。
 「ああ、やれやれ。毎度のことながら、この面倒な儀式が一番の戦場だわい」
音をたてて肩を回しながら、オレイアスが溜息混じりに言う。
 「夕食はどうする? 今日は晩餐会に呼ばれておるのだが」
 「遠慮させてください。妻に、夕食は家でとると約束して出てきたものですから」
 「そうか。」
やもめになって長いオレイアスは、目尻に皺を寄せて微笑んだ。若かりし新婚の頃のことを、かすかに思い出したのかもしれなかった。
 だが、別れる前に、老指揮官は気になることを告げた。
 「そういえばユッド、ツァディ・ロウという男を知っているか?」
 「あ、はい」
思わずどきりとした。ちょうど今日、声をかけられたばかりだ。「ここへ来る途中ですれ違いましたよ。どうかしましたか」
 「いや…、どうも西のほうで、妖精族が勢力を増しているとかで、気にしている一派がおるらしいのだ。貴官がかつて在籍していた、リオネス砦のあたりを中心としてな。妖精族に、土地を占領されたという訴えが複数上がっているという」
 「勢力って。」ユッドは眉を寄せる。「妖精族は人間よりずっと数が少ないんですよ。それに、人間のように国を作ることもない。…土地を奪われたっていうのは、まさか、彼らの住処となる領域?」
 「そうだろうな。西のほうに土地を持つ貴族たちからすると、自分たちの土地に勝手に壁を作って住み着かれたような気がするのだろう。」
 「判らなくはないですが…。最近住み着いたのなら、大した広さでもないでしょう? せいぜい、小さな森とか、丘ひとつとか。」
 「僅かな土地でも嫌な者は嫌なのだ。人間の欲というのは、そういうものだ。」
苦い口調で言い、オレステスは視線を隣の若い部下に向けた。
 「だが、どうもそれだけではなさそうだな。最近、この王宮内で妖精族に呪われた者がいるらしい。それも、陛下のお気に入りの侍従だとか」
 「"呪われた"? ――妖精族が人間を呪うことなんて、あるんですか」
 「知らんよ。そう聞いた。宰相殿が気にしておられる。…ということは、冗談や何かではなく、本当にそうだと信じられておるのだろう」
ユッドは、思わず唇を噛んだ。オレステスが宰相と立ち話をしていた、というのは、そのことなのか。ツァディ・ロウは、その話の内容まで知っていて、あの時、わざわざ声をかけてきたのか…。だとしたら…。
 「オレなら何とかできるかもしれない、と思われてるってことですね」
 「相変わらず察しがいいな」
上官は、困ったような顔で微笑んだ。「そういうことなのだ。実際はどうであれ」
 「いえ。多分、何とか出来るのは確かですよ。」ここ何年も会っていない、かつての戦友のことを思い出しながら、彼は腰の剣に手をやった。「確かめてみます。その、呪われたという人の名前を教えてください。」
 「メリアスだ。メリアス・グロー。城内のまかない小路に住んでいるから、場所はすぐ判るだろう。」
 「明日、訪ねてみます」
オレステスとは、そこで別れた。去って行く背中に、何か、胸騒ぎのする視線を感じながら。
 むろん、今の上官に不満はなく、よくしてくれているとは思っている。
 けれど、何となく居心地の悪い感じはあった。彼もまた、ツァディ・ロウと同じ大貴族の出で、下級貴族出身のユッドなどとは比べ物にならない人脈と財力を持つ。今回のような、「偉い人」からの内密の依頼話を持ってくるのも初めてではない。何もユッドを巧く使おうというつもりなどは無く、単に人の良さからであると信じたい、とは思っている。けれどどこかしら、誰かに動かされているような、計算づくの意図を感じることがある。とはいえ、今までの戦功のほとんど全ては上司の名目で報告が上がっているはずだし、今回の一件も、"都合の良い部下を持っているオレステス"の覚えめでたくするものではある。
 回廊を抜けて、城門の脇の厩で馬を受け取る。
 (妖精族の呪い、か…)
けれどユッドには、地位に対するこだわりは、あまり無い。むしろ昇進は面倒だとさえ思っているから、オレステスが代わりに名誉を受けてくれるのなら、不満はないのだ。
 馬に跨りながら、彼はぼんやりと、さっき聞いた話を考えていた。
 (そういえば、どんな風に呪われたのか聞くのを忘れたなあ。出来物ができたとか、幻を見るとか、そういう呪いなんだろうか)
妖精族には、人間には使えない魔法という力がある。傷を癒したり、霧を生み出したり、自分の一部を蝶に変えてはるか遠くへと伝言を届けたり――と多岐にわたる使い方ができる。そのうちのどれかが、人間にとっては呪いのように見えるのかもしれない。
 月あかりが町の家々の屋根を照らしている。町はいつもより少し賑やかで、まだ早い時間なのに酔っ払って騒いでいる若い連中も見える。帰還してきたばかりの兵かもしれない。それなら、半年振りの休暇なのだから、少しは大目に見てやろう。
 ゆっくりと馬を進め、自宅へと通じる小道に入ったとき、ユッドは、道の傍らに影のように立っている人物に気が付いた。目深にフードを被り、目立たないようにしている。
 どこかで会ったことがある、と瞬間的に思った。近所に住む誰かだっただろうか。…記憶を手繰り寄せながら近づいたとき、心臓がどきんと大きな音をたてた。
 (……!)
それと同時に、相手がゆっくりと、片手でフードを上げた。
 暗い夜道に溶け込むような、影の色の髪。
 それとは対照的な、明るい緑の眼差し。かつてはどこか子供っぽい未熟さを残していた顔立ちは、今では思わず足を止めて見入ってしまうほどに完成され、見慣れているはずのユッドでさえも一瞬、息を呑む。
 「何で、ここに…!」
小さく叫びながら、彼は馬から飛び降りた。そして考えるより早く、まるで逃げられては困るとでもいうように、両腕で相手をつかんだ。「リュカ! 本物だよな?」
 「良かった。探し出せなかったらどうしようかと思っていたんです」
ほっとしたような声色は、それ以上でもそれ以下でもなかった。「少し困っていて…手を借りられたらと…」
 「話はあとだ。うちはすぐそこなんだ。ここじゃ話も出来ない、来てくれ」
相手が返事するより早く、ユッドは、リュカの腕をつかんだまま辺りを見回した。今日は既に、意味深な言葉を何人もにかけられている。そこへ、考えていた人物がちょうど現われたのだ。誰かに見られてはいないかと思ったのだ。
 「こっちだ」
人目を気にするように急ぐユッドの後ろに、影が続く。兵士たちの帰還に浮き立つルナリアの町は、雑踏の中に紛れ込んだ存在に、気づいた様子もない。
 家の玄関には、主人の帰りを待つランタンの灯りが吊るされ、玄関を明るく照らし出している。
 馬丁を呼ぼうと厩の入り口に吊るした鐘に手を伸ばしかけたとき、それを止めるように、リュカが口を開いた。
 「…ユッド」
低く押し殺した声は、誰にも聞かれたくないという意味だ。「あまり、時間が無いんです…この町に連れ去られた仲間を、探していて」
 「仲間?」
振り返ったユッドは、フードの下から覗いている何処か切羽つまったような表情に気が付いた。
 あの頃は、まだ、どこか危うさを残した少年で、恐れも何も知らなかった――けれど、今は違う。今のリュカは自分の持つものを理解して、自分以外の誰かの責任を背負って、ここにいる。
 五年。
 それは人間の少年だったとしても、一人前になるには十分な歳月だった。
 「…聞かせてくれ。実はおれも、お前に聞きたいことがあった。もしかしたら、同じ話かもしれない。」
頷いて、リュカは小さく息を吸い込んで一気に話し出した。
 「シルフィールという名の妖精族が人間に攫われてしまったんです。いえ、正確には…人間に惚れこんで、ついていってしまった…ようなのですが」
 「惚れこんだ? 恋をしたってことか」
 「若い妖精族にはよくある話です」
リュカは苦笑したあと、すぐに真面目な顔に戻った。「――ただ、ユッドも知ってのとおり、妖精族は…清らかな水を長く離れて生きることが出来ない。」
 「いつなんだ? その妖精族が姿を消したのは」
 「二週間前です。シルフィールの母親である領界主から相談されたのが十日前。彼女たちの住処は北の湖です。もう、薄氷が張っていて…冬の間は、そこの妖精族はみな、氷の下で眠るんです。そこから気配を辿ってきたのですが…、この町に入るところまでしか辿れませんでした。気配が弱まっているということは、命の危険があるということでもあります」
 「それで時間がない、っていうんだな」
 「無茶なお願いなのは判っています。でも…何か手がかりだけでもないかと。ユッドなら、この町のことに詳しいし、知り合いも多いはずだから…」
リュカは、小さく頷いた。ユッドは腕を組んで、小さく唸り声を上げた。
 「まったく、これだから"仕組まれた"感があるんだ」
 「仕組まれた?」
 「その話だよ。オレがお前のことを思い出してたのは。ちょうど今日、妖精族に呪われた奴がいるって話を聞いたばかりでさ。」
 「呪い…?」
 「詳しい話は分からない。ちょうど明日、話を聞きにいくところだったんだ。もし、一緒に来てくれるなら…」
 「おや」
話し声に気づいたのか、馬丁が前庭にやってきた。
 「旦那様、お帰りだったんですか?」
 「ああ。馬を頼む。」言いながら、リュカのほうに向き直る。「それから――」
言いかけて、はっとした。
 「どうか、しましたか?」
馬丁が不思議そうな顔で首を傾げている。
 後ろには、誰もいなくなっていた。
 ほんの一瞬の間に、音も立てず、無配もなく、…リュカは姿を消していた。



 それは、ユッド以外の誰にも、この町に来たことを知られたくないという意思表示なのだと思った。
 出迎えに現われた小間使いの少女に上着と腰から外した剣とを手渡すと、ユッドは、ようやく落ち着いて我が家に腰を落ち着けた。すぐにエリンが水差しと杯を差し出して、家の主人をねぎらおうとする。
 「大丈夫か? もうじきなんだから、無理するなよ」
 「じっと座ってるほうが体に悪いわよ」
笑いながら、彼女は隣の椅子に腰を下ろした。小間使いの少女はてきぱきと、身重な女主人にかわって食事の準備を整え
 「クレアはよく働いてくれてるみたいだな」
 「ええ。おかげさまで、楽させてもらってるわ。お義母様も、しょっちゅう来てくださるし――」言いかけて、何か思い出したらしく可笑しそうに笑う。「そういえば、お義兄様のこと言ってた。弟に先を越されて、もう孫も生まれるっていうのに兄のほうはさっぱりだ、見合いもぜんぶ蹴るし、って」
 「贅沢な悩みだなあ。兄貴のほうがずっと稼ぎもいいし、出世頭だってのに。今は仕事で頭が一杯なんじゃないか」
 「仕事熱心なのはあなたも同じでしょ。」
 「そうか? オレはわりと適当にやってるけど」
 「それに最近、町の噂じゃあなたの名前、よく聞くわよ」
椅子のてすりに身をみたせかけながら、エリンは意味深な笑みを口元に浮かべた。「…どうせあなたのことだから、気がついてないでしょうけれど。」
 「? オレ、何か失敗したっけ」
 「そうじゃないわよ。まったく、そういう鈍いところ、変わらないんだから…」
膨らんだおなかを撫でながら苦笑しているエリンを、ユッドは、不思議そうな顔で眺めている。
 そうしているうちに、テーブルの上には晩餐が整えられていた。
 半年振りの我が家の食卓だ。高価な食材を使うかわりに、ユッドの好物が並べられている。
 料理に舌鼓をうち、楽しく会話しながら、しかし彼の頭の片隅には、オレイアスからの依頼と、幻のように消えてしまったリュカのことが、ずっと留まり続けていた。


<前へ│表紙へ│次へ>