■8


 翌朝、朝の訓練のために広場に向かおうとしていたユッドは、ちょうど斥候任務に出発しようとしている馬の群れとすれ違った。五人一組、厳しい表情で熟練兵に従えられて出て行くのは、竜人族と出くわす可能性の高い砦の西側地域へ荒野に向かう隊だろう。川沿いを回る隊はそれほどの緊張は無いが、既に竜人族が川を越えてきていることが明らかな以上、以前のような気楽な見回りは行えない。誰もが、いつ襲われるか分からない緊張感を漂よわせている。砦に残って訓練するのも大変だが、斥候任務で外に出るのも楽では無い。
 人を乗せて駆け出していく馬の列をぼんやり眺めていた時、まだ出発していない斥候隊にいた男がこちらを振り返り、彼の名を呼んだ。
 「ユッド・クレストフォーレス!」
 「あ、はい」
慌てて返事をしたものの、ユッドには、呼ばれる用事が思い当たらなかった。呼んだのは、何度か丘の上の司令塔のあたりで見かけたことのある温和そうな雰囲気をもつ年長の兵士だ。こちらへ来い、というように手招きしている。
 「ちょうど良かった、誰かに君を呼びにやらせようとしていた」
年長の兵士が温和そうな笑顔をつくる。「私はウェイン・ラトー。これから副指令と任務に出るのだが、君にも一緒に来てもらえないかと思ってね」
 「は…はい? 何でまた」
 「君の連れて来た妖精族の彼が、この近辺の集落も見てみたいそうでね。君は彼と親しいのだろう? 一緒に来てくれると何かと助かる。」
言いながら、ウェインは側の、鞍も轡もすっかり取り付けられた馬の首に手をやった。
 「実を言うと、副指令が出かけるのに護衛をつけようと兵士長に頼みにいったのだが、訓練が忙しいからと断られたんだよ、で、妖精族の彼なら竜人族が近づくのが判るというから――」
 「確かに、…奇襲を受ける可能性は少なくなりますね」
これ以上、砦の指揮をとれる人物を失うわけにもいかない。だが、それが判っているはずのラーメドが護衛を断ったのなら、実際はリュカを勧めたのではないかとも思った。二人は、最初の出会いからしてどこか奇妙な距離感があった。明らかに互いを避けている。外に出かけるよう促すことは十分に考えられた。
 「けど、オレはまだ見習いみたいなものなので、足手まといにならないかと――」
 「君のことはカリムから報告を受けている。軍学校での成績は優秀だったと聞いているよ、士官候補生だろう? 今回の任務は、その下積みのようなものだ」
そこまで言われては、断ることも出来なかった。頷いて返事を返そうとしたとき、ちょうど、通りの向こうからやってくる少年の姿が見えた。
 「お待たせしました。」
軽い足取りで近づいてきたリュカは、ウェインの連れている馬を見上げて嬉しそうな顔をした。「馬で出かけられるんですね。初めてです」
 「おいリュカ、昨日練習を始めたばっかなのに大丈夫か?」
 「心配いりませんよ、落ちたりしませんから。」
少年は余裕の表情だ。
 「それで、今日はどちらへ向かうんでしたっけ?」
 「東の村と国境沿いの町の二箇所だ。どちらも日帰りできる範囲だよ」と、ウェイン。「今回の任務は――おっと、副指令だ」
いつもロジェール司令と一緒にいた初老の男が、地位を示すマントを翻しながら悠々と丘のほうから歩いてくる。ユッドは慌てて敬礼した。司令なき今、この砦の方針を決められる最上級の位にある人物だ。本来なら、新兵のユッドが行動を共にできる相手ではない。
 フレイザーは、慇懃に手を振って礼は無用だと示すと、ウェインの差し出した手綱を受け取った。
 「待たせたな。それでは出発しようか。」
 「あの、東の村と国境沿いの町と聞きましたが、街道沿いの町じゃないんですか?」
ユッドが訊ねると、すでに馬上にある男が彼を見下ろしながら答えた。
 「街道沿いには、君の同輩のサニエル・ウェリントンを向かわせた。今回の任務は中央との交渉や伝令とは違う。もう少し厄介なものだ」
そう言って、フレイザーは意味ありげな表情を浮かべた。「続きの話は、ここを出てからにしよう。」
 ウェインが手綱をユッドとリュカにも渡した。リュカは、すぐさまひょいと鞍の上に飛び乗る。ユッドは苦笑した。もしかしたら、妖精族の乗馬には鞍やあぶみは不要なのかもしれない。
 ウェインが馬に拍車をあて、先導を買って出る。続いてフレイザー、最後にリュカとユッドの馬。四頭は、ほぼ一列になって軽快に砦を走り出た。
 夜の間に雨が降り、草原には、まだ朝露が光っている。砦から続く細い道は、普段、斥候や物資の運搬役が使っている道だ。その先に、近隣に存在する幾つもの小さな町や村が繋がっている。今回向かう目的地も、道の先にある。
 走っているうちに、リュカの乗る馬は少しずつユッドの馬を追い越していく。乗せている荷物の重量の差なのか、それとも馬の扱いが上手いのか、拍車を当てなくても軽快に走り続けている。向かい風に舞う髪をかきあげながら、少年は、乗馬と朝の散歩を心から楽しんでいるようだった。
 「馬からだと、遠くまで見えるんですね。それにとても速い。」
 「気に入ったか?」
 「ええ。でも、人間の住処が見えないですね」
 「最初の村はもう少し先だよ。この辺りはもともと、国境の僻地だからさ。国境――って判るか?」
 「"国"と言う概念は何となくわかりますが、それ以上は。」
 「オレたちが今いるこの国は、ルナリアっていうんだ。ルーヴァ川の支流を渡って、ここから北に行くとグロッサリアって国。西の方には、昔はソルナレイクって国があったんだけど…竜人族に滅ぼされた」
話しながら、ユッドはちらりと、先をゆく男のひらめく上級士官用の上質な外套を見やった。特に咎められるわけでもないのだが、任務中に上司のすぐ後ろで雑談をするのは、何となく気が引ける。
 「どうして人間族<ヒューリット>の住処は国に別れているんですか?」
リュカは、気にした様子もなく訊ねてくる。
 「どうしてって…うーん…、そっちだって領界ごとに別れてるじゃないか。多分それと同じだよ。ナワバリみたいなものだ」
 「僕らは領界<ファリア>の中で生きるために必要なものを得ているんです。人間族<ヒューリット>は? どこででも生きられる種族だと思っていました。国でないと生きられないものなんですか」
 「ええ? えーっと…うーん、どうだろうな」
突然、目の前を走る男の背中が笑い出した。
 声をたてて笑いながら、フレイザーは、ちらと後続の二人のほうを振り返った。
 「その答えはきっと、今から行く先にある。見えるかな? あそこが、今日の目的地の一つだ。」
四頭の馬が向かっている先に、小さな村が見えてきていた。
 村はぐんぐん近づいてきて、やがて視界に、収穫期前の青々とした麦畑が広がった。あと数ヶ月すれば立派に小麦色に頭を垂れるはずの、今はまだぴんと立った穂が初々しい。
 「あれは畑というものだ。人間が毎日食べているパンの原料となる麦は、あの畑からしか獲ることが出来ない。」
 「麦というのは植物ですよね。パン、とは?」
 「人間の主要な食べ物だ。麦の実を粉にして焼いたもので、毎日、毎食のように食べる。この辺りは穀倉地帯、この国の要だ。住人は少ないが、この一帯でとれる麦がこの国全体の人間を食べさせるパンの元となる。君たち妖精族の領界と同じだ。我々人間の"国"もまた、我々が生きるために必要なものを得るための場所なのだ」
先頭を走るウェインの馬が速度を落とし始めた。柵に囲まれた畑の向こうに村人たちの家が十軒ほど固まって立っている。そのうちの一軒の前で、馬は停止した。やぐらのようなものを組み上げていた村人たちが、やってきた客人に気づいて手を止め、軽くお辞儀をする。
 「やぐら…あれは、見張り台ですか?」
ユッドが訊ねると、フレイザーが頷いた。
 「万が一にそなえて、この辺りの集落すべてに作らせている。竜人族を見かけた場合はのろしを上げるように、と伝えてある。今日はその準備の確認も兼ねての見回りだ。」
 「わざわざそのためだけに?」
 「まさか。例の武器商人の件が本題だ」
 「武器商人?」
 「砦に投石器を売りに来た、という例の商人だ。見破ったのは、君だろう?」
 「あ!」
言われて思い出した。竜人族の襲撃の直前に砦を訪れていたという武器商人――陥落直前のレグナス砦にも現われたという例の内通者だ。竜人族が投石器を使っていたのなら、その武器商人が使い方を教えた可能性もある。
 「人間である以上、宿や食料の確保のために砦近くの集落を訪れている可能性が高い。今回は、その聞き込みも兼ねている。微妙な問題だけに慎重にやらねばならない」
 「そうか…。街道沿いの町は人の出入りが激しいけど、この辺りの小さな村なら、よそ者が来れば覚えているはずですよね」
 「そのはずだ」
 「副指令」
村人と何やら話していたウェインが近づいて来る。「村長は在宅のようです。話が出来ますよ」
 「そうか、判った。…君たちは、しばらく自由にしていてもらって構わない。小一時間ほどで戻る」
言い残して、フレイザーはウェインとともに村の奥へと消えていく。あとには四頭の馬と、ユッドとリュカの二人だけが残った。
 ここのところ緊張した雰囲気の中にあるリオネス砦とは違って、ここは、嘘のように長閑だ。放し飼いの鶏が餌をついばみながら辺りをうろつき、腰の曲がった老人がのんびりと畑の手入れをしている。やぐらづくりをしていた村人たちも、最初はユッドたちに興味を示していたようだが、やがて飽きたのか、元の作業に意識を戻していく。
 「畑って、こういうものなんですね」
リュカは、風にざわめく緑の麦畑を興味深そうに眺めている。「同じ植物がいっぱいに生えている。…これが麦なんですよね。実を食べてるんですか?」
 「ああ、いまは青いけど、もう少ししたら黄金色になって収穫時期になる。人間は自分で食いもんを作らなきゃ生きていけないんだ」
 「なるほど。ここは…人間にとっての"領界"、なんですね」
少年は納得した様子だった。「人間<ヒューリット>も、妖精族<フィモータル>も同じ…自分の住む領界を守るために戦わなければならない…。」
 「……。」
でも決定的に違うことがある、と、ユッドは心の中で呟いた。人間は妖精族のように特別な力を持っておらず、すべての者が自分たちの生きる場所を守るために戦えるわけではない。


 小一時間ほどで戻る、とフレイザーは言っていた。
 それを待つ間、ユッドは馬の番をしながらぼんやり村の風景を眺めていた。馬たちは、柵に手綱を繋がれたまま夏草をうまそうに食み続けている。リュカのほうはというと、物珍しそうに鶏や牛に近づいては眺め回している。
 そうして過ごしていると、村の方から恰幅の良い女性が籠を手に近づいて来た。
 「あんたたち。砦の兵隊さんだろう?」
 「え? あ、はい。そうですけど」
頬杖をついてぼんやりしていたユッドは、あわてて立ち上がった。
 「お腹がすいてるんじゃないかと思ってね、ちょうど焼けたとこだから、一つずつ持ってお行き」
言いながら、籠の中から茶色い大きなパンの塊を二つ取り出して、布にくるんだまま差し出した。焼きたてのパンはまだ暖かく、こんがりと焼けたこうばしい香りが辺りに漂う。
 「ありがとうございます」
 「お仕事頑張んなさいよ」
笑いながら、肉付きのよい女性は体をゆすりながら、やぐらを作っている男たちのほうに歩いていく。働いている男たちにもパンを配るのだ。少し早いが、そろそろ昼食時なのかもしれない。
 「それ、何ですか?」
気がつくと、リュカが側に戻ってきていた。
 「さっき言ってた"パン"だよ。お前の分もあるから、ほら。食べてみろ」
 「いい匂いですね」
こんがりした色のパンを良く眺めてから、一口。ユッドは、少年の反応を見守った。
 「どうだ?」
 「…すごく美味しい」
 「お、それは良かった。」
塊は見る見る間に口の中に消えていく。あまり意識していなかっだか、二人とも、それなりに腹が減っていたのだ。
 全部平らげてしまうと、胃袋のあたりに満ち足りた幸福感が漂う。リュカのほうは、食べ終えたあとのパンくずを眺めながら、それを畑に生えているものと見比べていた。
 「あそこにある実が、どうやってこうなるんでしょう」
 「あー…実はオレも詳しく知ってるわけじゃないんだけどさ」ユッドは苦笑する。「麦の実を粉にして、水でこねて発酵させて焼くんだ。砦にもパン焼き場はあるよ。戻ったら見学に行ってみるか?」
 「はい、是非」
 「ほんと、あんたは色んなもんに興味抱くよなあ。妖精族にしちゃ珍しいんじゃないのか」
少年は照れたように顔を背け、口をつぐんだ。ユッドが知る妖精族は二人だけだが、少なくとも、その二人を見ている限り全く違うのははっきりしている。フィリメイアなら、まず麦畑に興味も抱かないだろう。リュカのほうは多分、普通の妖精族よりもずっと人間に好意的で、興味を持っている。それに、外見もずっと人間に近い。畑で働く人間たちを眺めている横顔からは、彼が妖精族だということは分からない。さっきパンをくれた主婦だって、人間の若い兵士だとしか思っていないだろう。
 だが同時に、領界の持ち主であり、フィリメイアよりずっと妖精族"らしい"妖精族なのも間違いなかった。


 やがて、村のほうからウェインとフレイザーが戻って来た。
 「待たせたな。ここでは何も無かった。次の目的地へ向かおう」
 「というと――武器商人は来ていなかった、ってことですか」
 「そうなる」
ユッドから手綱を受け取ると、フレイザーは馬に飛び乗った。「ここでないとすれば、本命は国境沿いの町のほうだな。…リオネス砦へ来るのなら、必ずどちらかに立ち寄るはずだ。」
 「あそこは、レグナス砦との中間でもあります」
と、ウェイン。「ただ…川一本挟んですぐ向こうは隣国、グロッサリアです。位置的にはかなり微妙かと」
 「そうだな」
男の表情は険しかった。すぐに国境ということは、いつでも逃げられる場所という意味でもある。問題の武器商人の足取りが掴めたとして、果たして、身柄を拘束することまで出来るのかどうか。
 馬が走り出す。
 平坦な草原の向こうには、澄んだ空の下に霞むように、次の目的地へと続く道が見えていた。


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