■7


 厳しい現実が始まったのは、それから間もなくのことだった。
 司令官を失った砦の中は古参の兵士たちが取り仕切るようになり、物々しい出で立ちの伝令が何組も送り出されていった。首都や主要な都市に、確実に状況を伝えるためだった。それまでは数日に一度、二人一組で送り出されていた斥候部隊も、五人組で毎日四方に送り出されることになり、もし竜人族を見つけたら戦わずに逃げて確実に砦に情報を伝えるよう厳命された。残りの兵士たちは砦の強化と訓練――具体的には、川の水を引き込んだ新しい堀づくりと兵舎の増設、対竜人に特化した武器の使い方や布陣の仕方の練習だった。
 そして、かつて遠目に眺めているだけだったた憧れの"英雄"は、毎日容赦のないげんこつと罵声を浴びせてくる、鬼教官へと変貌していた。
 「ほらどうした。ヘバってる暇はねぇぞ。立て!」
教官役のラーメドの良く通る声が、訓練中の新兵たちの頭上から容赦なく降って来る。
 ユッドは、訓練に使われる重たい槍をなんとか持ち上げた。朝から地面を掘り続け、さらに午後には槍の訓練。軍学校時代も実技や体力づくりの授業は厳しかったが、ここはそれ以上だ。
 「竜人どもは動きはニブいが腕力はとんでもない。盾でも鎧でも一撃で壊す。人間なんざひとたまりもねぇ、まずは攻撃を避けることを考えろ。一発食らったら死ぬ、そう思ってかかれ! 会敵したら、連中の急所を攻撃するまでは絶対に立ち止まるな。走り続けろ。そうすりゃ生き残る確率が上がる!」
武器を抱えて打ち込みを続ける新兵たちの間を歩き回りながら、ラーメドは、敵との戦い方のコツ繰り返す。
 「狙うなら、腕の付け根! 首の内側! 鼻先も皮膚が柔らかいが位置が高すぎる! 狙うなら足場の悪い場所で転ばせてからだ。背中は狙うな! 皮膚が固いし長い尾で叩き落とされるぞ、睨まれても怖がるな、正面から立ち向かえ! それだけが、生き残る手段だ」
 「こんなんじゃ、斥候のほうがマシだよな」
 「竜人の襲撃を受けるかもしれないんだぜ? どっちもどっちだよ」
周囲からぶつぶつボヤく声が聞こえてくる。志願兵としてやってきた農家の息子や、出稼ぎの若い傭兵たちだ。どんなに体格のいい者でも、訓練を楽々とこなしている者はほとんどいない。ユッドはまだマシなほうで、体力の足りなかった者は早々にバテて救護室に担ぎ込まれている。厳しすぎる、とは思ったが、誰もそれを口にしなかった。
 ここが落ちれば終わりだということ。
 竜人族と戦わなければ後がないということ。
 この砦にいるからには、自分たちが戦わねばならないのだと、誰も口にはしないが判ってはいる。ただ、頭で判っていることと覚悟とは、全く別の問題だ。
 「止めたいと思うのは自由だが、ここが落ちたら竜人どもはすぐに街道近くまで入り込むぞ。近くに実家がある奴はよぉく考えとけよ」
 「はーあ。んなこと言ったって危なくなったらどうせ、都の軍隊が出てくるんだろ」
 「竜人なんかと戦って死にたくないよなあ」
溜息混じりにぼやきながら、隣の若者たちが腕を振り上げる。ユッドは、思わず口を挟んだ。
 「ルナリアに伝令が到着するまで三日。すぐに軍が出たとしても到着するまで五日はかかる。その間、竜人が大人しくしててくれるといいがな。」
 「どういう意味だよ」
若者たちがじろりと彼を睨む。
 「この近辺の町や村を焼いて人間を皆殺しにするだけなら、三日もあれば十分だ。都の軍がここに到着するまで持ちこたえられなければ死ぬだけだぞ。兵士長が言ってるのはそういうことだよ」
 「な、――何を偉そうに」
だが、若者たちの表情は、明らかに先ほどより強張っていた。「イザとなったら逃げりゃいいだろ? 何も、こんなに必死にやらなくたって…」
 「逃げてどうにかなるんなら、いいんじゃないか? 逃げる先があるうちはな。それが何時まで続くと思ってるんだ」
ユッドも、自然と熱くなっている。
 「この二十年で幾つのの国が滅ぼされたと思ってるんだよ。昔は、この砦より西側にだって町はあったんだぞ。それが今は一つも無い。意味判ってんのか」
 「何だよ、お前…お前だって何も知らないくせに!」
 「おいよせ。訓練中の私語は禁止だ。聞かれたらどうする」
食って掛かろうとした若者を、仲間が押しのける。チッ、と舌打ちする音が聞こえ、隣の若者たちは強張った表情のまま元の訓練に戻っていった。
 周囲から、言い合いを聞いていた同輩たちの戸惑ったような気配を感じる。
 まだ誰も、信じたくないのだ。この何年も戦線はこう着状態で、竜人族の襲撃は散発的なものに過ぎなかった。配属されてからほとんど実戦を経験しておらず、"大進攻"も経験していない若い兵士たちは、急激に悪化した戦況についていけないでいる。また、砦を仕切る上層部のメンバーも、混乱を防ぐためか下っ端の兵士たちには詳しい説明をしていなかった。
 たた、ユッドには判っていた。レグナス砦の陥落が些細な事件ではないことも、竜人族との戦局が、大きく動こうとしていることも。


 訓練から解放されたのは、昼過ぎのことだった。毎日の訓練は朝から始まって、そのくらいの時間に終わる。昼食をとり、少し休んだら、午後はめいめいの受け持ちの現場に散らばっての仕事。見張りか、斥候か、防御壁か建物を増設する土木作業か、…いずれにしても、夕方まで楽に過ごせる時間はない。
 「はああ、やっと終わった」
 「腹減った、飯だー」
重たい体を引きずって食堂に向かう者はまだ元気なほうで、死んだような表情でぐったりしている者も少なくない。訓練は明らかに厳しすぎた。だが、そうしなければ生き残れないことも、時間がないこともユッドには判っていた。腕組みをして新兵たちを眺めているラーメドの表情は読めなかったが、たぶん、予想は当たっているのだろう。この程度で音を上げるようなら――この先は、生き残れない。
 食堂で代わり映えのしない味気ないいつものスープとパンを流し込んでしまうと、ユッドは、少し散歩するつもりでぶらふらと厩のほうに向かった。午後は厩の当番だった。斥候に出るには馬が必須だ。レグナス砦から回収してきたものも含めて馬の数は以前の三倍に膨れ上がっている。新顔の馬たちは建て増しされた厩の中に収められていて、のんびりと、与えられた餌を食んでいた。
 「ん? あれは…」
厩の前まで来たとき、彼は、餌を食む馬をじっと見つめている人物に気がついた。
 「リュカ! こんなところで何してるんだ?」
ここ何日か、訓練と雑務に忙しくて、全く姿を見かけていなかったリュカだ。彼は客人という扱いのままだったから、訓練には参加せず、日中はとりでの中を自由に歩き回って見学していた。
 「しばらく見かけてなかった気がするけど、どこにいたんだ?」
 「いちど森に帰ってたんです。領界<ファリア>をずっと放っておくわけにもいきませんから。…でも、歩くのは時間がかかりますね。」
そう言ってから、彼は、馬の方に視線を向けた。「この動物を使えば、もっと早く行って帰って来られるかと思ったんです」
 「ああ、馬のこと? 貸してもらえるように話をつけようか?」
 「ありがとうございます。でも、…乗り方がわからなくて」
 「わからない?」
意外だと思ってしまってから、思い出した。彼は、このあたりの出身とはいっても人間ではない。広い平原に囲まれ町や村の間が空いているこの辺りでは、ほとんどの住人が足代わりに馬を使う。
 「なら、教えるよ。簡単だ、すぐに覚える」
 「でもユッド、お仕事は?」
 「午後はここの掃除だ。掃除してる間は馬を外に出すから、調度いい。」
柵をあけて馬を引っ張り出し、小柄で大人しい一頭を選んで鞍とハミをつける。その様子を、リュカは物珍しそうに眺めている。
 「この拘束具は…必要なんですか?」
 「馴れてる人は無くても乗れるけど、初心者にはあったほうがいいだろうな。ここに足をかけて、この手綱で馬を進めたり止めたりするんだ」
 「人間は皆、乗れるんですよね?」
 「まあ、大体は。けど、王都の方だと自分で馬に乗らなくても乗合馬車があるから、乗れない奴もけっこういる。その砦にいる奴らの中にもそんなのがいるぞ。武器の扱い方だって、ここに来てから初めて習った奴もいるくらいだ。オレは学校で習ったけど…」
言いながら、ふと、リュカの提げている剣に目が留まった。妖精族は、普通、武器など手にしない。というより領界の中にいる限り、戦う必要などない。彼は一体どうやって、それを手に入れ、使えるようになったのだろう。
 「その武器って、店で買ったとかじゃないよな」
 「これですか? ええ、自分で作りました。」
 「自分で?!」
少年は、当たり前だという顔で頷いた。「黒銀――妖精族<フィモータル>が住む水の底に長い年月をかけて沈殿する金属で出来ています。領界で使う金属器は、大抵、この金属で作ります」
 「へええ、そうなのか。どおりで鉄とは違う色だと思った。それじゃ剣の使い方は? 誰かに習ったのか」
 「いえ、強いて言えば…そうですね、使ってみて、なんとなく…でしょうか」
リュカは、自分の右手を見やる。「人間が使うところは、遠目に見たことがあったから…それを真似てみただけです」
 「それであんなに戦えるのか。すごいな」
 「凄くは無いですよ。叩きつけているだけだから。竜人のウロコの隙間を通してるんです。誰だって出来ますよ」
 「誰でも、ねぇ」
ユッドは苦笑しながら、準備の出来た馬の手綱をリュカに渡した。
 「じゃあ、こいつを自由に使ってくれ。あんたは身軽だし、おっこちてケガすることもないだろ。そのへんにいるから、何かあったら呼んでくれ」
 「判りました。」
リュカは、じっと馬の顔を見つめていたあと、自分の背よりも高い鞍にいとも簡単にひょいと飛び乗った。そうして手綱を手にすると、おっかなびっくり、それを引っ張ってみる。だが草を食んでいる馬は、びくともしない。
 (最初はまあ、そんなもんだよな)
にやにやしながら、ユッドはその場を離れた。生まれて初めて馬に乗った時のことはもう思い出せないが、とにかく歩かせるのが大変で、歩き出してからは、自分の望む方向に進めるのが大変だった。コツはあるが、自分で掴んで体で覚えるしかない。
 リュカをその場に残して、ユッドは持ち場の厩のほうに戻った。そろそろ昼休みも終わる時間で、他の当番もやって来るはずだ。
 戻ってみると、厩の入り口に三人の若い兵士たちがいて、めいめいに桶や掃除道具を手にしていた。そのうち一人は兵舎でユッドと同室の、砦の近くの町から志願兵で応募したというディーシュという名の若者だ。二段ベットのユッドの真上に寝ているのだが、すぐ向かいの仲間が物凄いイビキをかいていてもピクリともせず、朝まで悠々と眠っている。ある意味で羨ましい図太さの持ち主だ。ほかの二人もなんとなく見覚えがある。当番は兵舎の部屋ごとに割り当てられるから、多分、隣か向かいの部屋にいるのだろう。
 「お、いたのかエリート様」
ディーシュは、ユッドを見てにやりとした。「今、あんたの話してたとこなんだよ」
 「オレ?」
 「ども」
 「ちーっす」
額に傷のある赤毛の若者と、髪を短く刈り込んだそばかすの若者が、町育ちらしい砕けた挨拶をする。
 「あんた、あの妖精族とよくつるんでるだろ?」
とディーシュ。「どうなんだ」
 「どうって」
 「いや、だって妖精族だぞ? 滅多に見られるもんじゃねーじゃん。なんか色々あんだろ、人間とは違うとこが」
 「しかも男だからな」とディーシュ。「妖精族の男ってのは、相当少ないらしいぜ。うちの爺さん行商人であちこち行ってるけどさ、どこの領界も女の妖精が取り仕切ってるって」
 「だよなあ、妖精族っていやあ女だ。前に見かけた、ふわふわ浮いてた白い女のほうはまあ、わかるけどさ」
 「ああいうのが妖精だよな」
若者たちは頷きあう。「あんな人間みたいな見た目じゃ、全然わかんねえよ」
 「まあ、オレも最初はそう思ってたんだけどさ。妖精族にも色々いるらしい。まさか、本当は人間じゃないかなんて疑っちゃいないんだろ?」
 「まさか。こないだの襲撃んとき、傷治してもらったしさ」
言いながら、そばかすの若者が肌に白く跡の残る腕を見せた。
 「凄かったよなあ、あのバカでかい竜人族をすごい勢いでやっつけてったんだぜ」
 「ああ。妖精族すげえ、ってなった。"英雄"オウルとどっちが強いんだろうな」
 「あの鬼教官がちっこいのに負けたりしたら、ウケるよな〜」
若者たちは、気楽に思ったままを口にして笑い合う。きっと、口には出さないだけで同じことを考えている人間は少なくないのだろう。珍しい他種族のこと。その能力。
 「ていうかさ、そもそもあの妖精族って、なんでおれらに協力してくれんの?」
 「領界の近くに竜人族が出るようになって、竜人族のことを知りたいらしい。ついでに、竜人族と長年戦ってる人間のことも」
 「へえ、興味ってことか。んじゃ、飽きたら帰っていくんだろうなあ」
一人が溜息をついた。「このまま代わりに戦ってくれりゃ助かるのにー」
 「な、」
ユッドは驚いて、思わず声を上げた。「何言ってんだ?!」
 「そんな顔すんなよ。だってさあ、あいつ、おれらザコが頑張るよりずっと強ぇじゃん。妖精族なら竜人族と戦えるんだろ? しかも長生きだし」
 「はぁー、領界行きてぇー。端っこでいいから住まわしてくんねえかなあ」
言い返したかったが、何を言っても通じない気がして、やめた。誰もが当然に考えることだ。彼らを責めたところで何も変わらない。今までだってこの砦の防衛は、たった一人の"英雄"に大部分を頼ってきたのだから。
 「っと。そろそろ仕事しないとだな」
通りの向こうに目ざとく見回りの上級士官の姿を見つけたディーシュが、慌ててまぐさ桶のほうに向き直る。ほかの二人は、飼い葉桶と水桶を手に厩の向こうへ消えていく。ユッドも、掃除用のブラシを取り上げた。
 「――そういや、向かいの寝台の二人、今日は見かけないな。」
当番は部屋ごとのはずだから、ディーシュ以外にあと二人、同室にいたはずだ。
 「あれっ、知らなかったのか? あいつら、今朝で除隊したぜ」
 「えっ?」
思わず手が止まった。「除隊って…」
 「故郷に帰るんだとさ。こないだの襲撃とここんとこの訓練で心が折れたらしい。まっ、日雇い仕事の感覚で来てりゃそうなるわな」
若者はくくっと小さく笑う。「あいつらビビりでやんの。こないだまで竜人なんてデカくてノロいトカゲだとか言ってたくせにさ」
 「そんなことで? そんな簡単に、軍を抜けるのか」
 「誰だって命は惜しいもんさ、戦う覚悟なんてナシに何となくカッコいいからっつって来てる奴もいるんだよ。最近多いんだぜ? 気づいてなかったのかよ」
言われてみれば確かに、兵舎が以前より静かになった気がしていた。訓練に出てくる人数も日ごとに減っていて、けれどそれは、筋肉痛で倒れているか斥候任務に出されているからだとばかり。
 (軍人になりたくて、ここへ来たわけでもないから、…か)
けれど、嫌になって去ってしまう仲間たちを責めることは出来なかった。自分だって大した理由があって此処に居るわけではない。命の危険を感じるような状況で、それでも戦い続けようと思えるだろうか。都には、訓練された何千かの兵がいる。いくら人間より身体能力に優れる竜人族といえど、軍隊を相手にして勝ち目があるとも思えない。ならばこの砦をこうまでして守らなければならない理由はなんなのだろう。強い誰かに任せるのではなく「自分自身が」、命を懸ける理由はあるだろうか。
 黙って手を動かしながら、ユッドは思い出していた。
 砦に赴任することを報告したときの家族の反応。ことに兄の表情。まるで、無謀な負け戦に挑もうとする愚か者でも見るような目つきで呆れていた。兵士になる道を選んだときも、実家を遠く離れるためにも、それらしい理由は幾つも並べ立ててみたけれど、今となっては、その全てが本心ではなかったと判っている。
 (オレはただ、あそこから逃げたかっただけ。…ここへ逃げてきたから、ここから他の場所へ逃げられないだけ、なんだな…。)
空には薄く雲が張り、静かな雨の気配が近づいて来ていた。


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