■6


 最後の竜人が倒され、静寂が訪れたのは、月が地平線に沈もうとする夜明け前のことだった。
 砦は辛うじて持ちこたえはしたものの、被害は甚大だった。黎明の空の下、けれどそこに勝利の高揚感はない。報告があっただけでも死者六名、怪我人数十名。厩舎が壊されたことにより軍馬の大半が脱走した。食料庫や武器庫は無事だったものの、兵舎を含む幾つかの建物が半壊。火災による被害も出ている。朝日の中、疲れきった人々が立ち尽くす砦の中には、何ともいえない喪失感が漂っていた。


 ユッドは、休む暇無く砦の外へ出ていた。カリムの許可は得ている。竜人族の侵入経路を調べるには、今しかないからと説得したのだ。目指していたのは、昨夜、丘の上の見張り台から光を見たあたり。リュカも一緒だ。まだ近くに、竜人族がいるかもしれない。たった二人、周囲を見回しながら進んでいくる
 「敵の気配はありません、今のところは」
リュカが言う。振り返ると砦のある丘はもう、かなり後ろの方に小さくなっている。
 「こんなに砦から離れて、本当に何か手がかりがあるんですか?」
少年は疑わしげだ。
 「ある。…というか、多分見つけた」
 「え?」
ユッドのほうは、しゃがみこんで草の上に残った痕跡を確かめていた。ほどよく茂った夏草の一部が一定方向に向かって倒れ、踏み潰されている。青臭い匂いは、ここに何か重たいものが置かれていたのがほんとの少し前だったことを意味している。
 「間違いない、ここだ。そっちと…」顔を挙げ、視線を巡らせる。「そっちとそっち。四隅の跡が揃ってる。それから、撤収した時に引きずった跡も」
 「どういうことですか?」
 「投石器だよ。」ユッドは、肩越しに少年を振り返った。「昨日、砦で見たやつさ。あの投石器で、石の代わりに竜人を投げたんだ、ここからね。頭上から降って来たのはそういうことだ。」
 「投げた、って…。いくら竜人族が頑丈でも、そんな無茶を?」
リュカは呆れ顔だ。「でも確かに、こんなところにいたのなら、気配を完全に感知することは難しい。でも――」
 「でも?」
 「竜人族が人間と同じ道具を使うとは知りませんでした。」
ユッドは、唇の端を噛んだ。そして、膝を払いながら立ち上がる。「…そこが問題だな。こんなの初めてだ。けど、実際に目の前で起きた」
 「よく気がつきましたね。ユッド」
 「まあ、な。けど…」
彼は渋い顔になっていた。こんな方法で夜襲をかけられたのではひとたまりもない。レグナス砦が落とされた理由も、なんとなく見えた。だが、竜人族の襲撃方法を見破ったところでやり遂げた感もなければ、嬉しいとも思えなかった。昨夜の襲撃で、戦功をたてられなかったのは事実だからだ。
 役に立ったのは、むしろリュカのほう。侵入した竜人十数体。そのうち、ほぼ十体を一人で倒したのだ。大きな被害を出しながら、砦が陥落せずに済んだのは、彼のお陰と言ってもいい。
 「なんか…また、あんたに命を救われちまったな。リュカが居てくれなかったら、オレたちみんな、どうなってたことか」
 「いえ。僕も、勉強になりましたから。」
リュカは固い表情だ。「それにしても、まさか…砦の人たちが、あんな戦い方をするとは思いませんでした」
 「悪いな、今いるのはほとんどが新兵なんだ。無様な戦い方だっただろ?」
 「そう…いうわけでもないん…ですが」彼は歯切れが悪い。人間の言葉で、どう表現すべきかを迷っているようだった。「戦いとは一対一に限らない、ということを学びました。力のない者でも沢山集まれば強い、ということ。人間の戦い方は…、一人ではなく皆で、一つの敵と向き合うものなんですね」
 「まあ、そう。そうだな」
ユッドは小さくうなづいた。
 「一人じゃ勝てない。"英雄"オウルでもない限り、一対一で竜人と戦える人間なんて、そうそういない。オレたちは、あんたほど良く切れる剣も、勇気も、身軽さも持ち合わせてないからさ」
 「……。」
腰の剣に手をやって、リュカは、小さく何かを呟いた。そして、振り返って元来た道の方を見た。少年の表情からは、何を考えているのかは分からない。けれどユッドには、彼が失望していると感じられた。竜人族と二十年近くも戦ってきた人間の、それも最前線にある砦の兵士たちでさえ、彼一人よりもずっと劣るのだと知られてしまったのだから。


 砦に戻ってみると、入り口のあたりがやけに騒がしい。カリムのところへ報告にいくつもりだったユッドは人垣に阻まれて足を止めた。
 「何かあったのか?」
人ごみの向こうに、背の高い金髪の男の強張った表情が見えた。
 「サニエルか。もう戻りとは、ずいぶん早かったな」
司令と一緒に戻ってきて、襲撃の報せを受けたところか。だが、それにしてはずいぶん青ざめた表情だし、近くにロジェール司令の姿がない。ユッドは、兵舎で同室の顔見知りの新兵を見つけて、肩に手をかけた。
 「おい。何があったんだ?」
振り返った若い兵士は、強張った表情をしていた。
 「…ロジェール司令が亡くなられたそうだ」
あまりに唐突でしかも単刀直入だったので、ユッドは反応出来なかった。唯一、その言葉だけで状況を理解したのはリュカだった。
 「竜人族が?」
青ざめた表情を少年のほうに向けると、兵士は、小さく頷いた。
 「待て待て。一体どこで? 街道沿いの駐屯地へ行ったんじゃなかったのか?」
 「ああ。その向かってる最中に殺されたらしい――護衛ごと。待ち伏せに遭ったんだ。あいつが見つけたのは、腐りかけた遺体だけだ、って…。」
 「……。」
ユッドは言葉を失っていた。斥候が出くわした竜人族。司令がここを発った数日前には、まだ、竜人族がルーヴァ川を越えてきているなどと誰一人、思いもよらなかった。油断していたとしても不思議はない。
 たった一晩のうちに、あまりにも多くのことが起きすぎた。ざわめきが、不安が広がっていく。
 「これからどうすれば…」
 「出来る限り防御を固めて、今まで以上に斥候を増やすしかない。」
 「けど、昨夜みたいなことがあったらどうすればいい。防ぎようがないぞ」
口々に話し合う声を聞きながら、ユッドは、拳を握り締めていた。ここで、竜人が人間の道具を使うなどという事実を告げれば、さらに恐怖と混乱を煽ることになる。
 「こんなことは今までに起きなかったのにな」
ぽつりと呟いた古参兵の言葉が、空しく風に溶けていく。
 平原を渡る風とともに波のように草が揺れ、さざめきを散らしてゆく。
 人ごみを離れ、ユッドは、リュカとともにカリムの姿を探した。白髪の老兵の姿は厩舎の側に見つかった。こんな時でも、いつもと同じ表情で壊れた厩舎を修理しているカリムの姿を見つけた時は、心底ほっとしたものだ。
 「カリム、報告がある」
 「おう、戻っていたのか。何か見つけたのか?」
ユッドはカリムに近づくと、調査で見つけたものと考えられる可能性を、あらいざらいカリムに説明した。竜人族が投石器を使っていること。それを使って、丘ごしに砦に直接攻撃を仕掛けてきたこと。投石器を使えば、濡れることなく川を越えられるという可能性も。
 最初は半信半疑だったカリムも、ユッドが見つけた痕跡とリュカの話を聞いて、信用する気になったようだった。
 「ふむ、成程。妖精族の感知できる範囲の外から来た…、空から降ってきた。投石器、か。だが…一体どこから手に入れて、どうやって使い方を知った?」
 「あいつらだってバカじゃないってことなんだろ。二十年も人間と戦ってきたんだ。少しくらい、こっちの手の内に詳しくなってもおかしくない。」
 「それにしても、使い方が随分独創的だな。人間でも思いつかんぞ」
 「ユッドは直ぐに思いつきましたよ」
と、リュカ。
 「ま、こいつは頭はいいからな。何しろ軍学校卒のエリート様だ」
 「またそれかよカリム、勘弁してくれって…」
ユッドは頭をかいて溜息をついた。「それ、頭でっかちで実戦はてんでダメってことだろ?」
 「何を言っとる。実戦なんぞ経験だ。まずは、生き残ることに専念しろ。前線に出るのは生き残り方を覚えてからでいい」
老兵は、いかにも経験豊かな年長者の顔で太い腕を組んだ。「いいか、一番大事なのは自分が生きることだ。自分の命が守れん者に仲間の命は守れん。仲間の命が守れん者に、仲間以外のその他大勢の人間の命は守れんのだぞ。死んだら終わりだ、何もかもな。生きろ。どんなことがあっても、それが一番最初だ」
 言ってから、側に立てかけてあっ道具箱を取り上げて、無造作にユッドのほうに差し出す。
 「とにかくだ。今はやれることをやるしかない。ほれ、ここを直すのを手伝え」
 「…僕は、怪我人の手当てを手伝いに行ってきます」
リュカが言い、踵を返して広場の方へ去って行く。広場に面した救護棟には、昨夜の怪我人が収容されているはずだ。リュカなら、重傷者でも治癒することができる。
 去って行く少年の後ろ姿を見送りながら、ユッドは呟いた。
 「あいつが人間じゃないって、そろそろ気づかれるな」
 「まあな、だが悪いほうには思われんだろうよ。昨夜の活躍ぶりは皆見ていた。命拾いしたのは、あの子のお陰だ。お前の言うとおりだったな」
 「……。」
けれどそれは、果たしてリュカにとっては、良いことなのか悪いことなのか。
 「ここが落ちれば、次はもうないからな」
ぼそりとカリムが呟いたとき、ユッドは、はっとした。
 (そうか、…ここが落ちれば、もう後がない)
ここから東には、大きな商業都市といくつかの農村があるくらい。ルナリアの心臓部までは街道を飛ばせば馬でほんの数日の距離。
 この砦は、絶対に落としてはならない最後の防衛線なのだと。


 やるべきことは、山ほどあった。
 倒した竜人族の躯を片付け、戦死者をしかるべき手続きで弔うこと。壊された建物の修理と、逃げた馬の回収。焼失したり損壊したりした建物を直し、不足した物資を調べ上げて補給リストを作る。急ごしらえの斥候部隊が送り出され、サニエルが先導する部隊がロジェール司令と護衛たちの遺体を回収に出て行く。その間にも、見張りは絶えず交替し、今まで以上の緊張感をもって任務に当たっている。
 次の襲撃がいつ起こるか。誰もが不安にかられていた。それが限界に達しようとしていた頃、待ち望んでいた先触れが砦に届いた。
 「兵士長たちが帰ってきたぞ!」
誰かの叫び声で人々が走り出す。ちょうど厩に運ぶまぐさを運んでいたユッドは、両手のものを下ろす間ぶん、出遅れた。そのお陰で、同じように遅れて姿を現したリュカを見つけて合流することが出来たのだが。
 「すごい騒ぎですね。一体、なにが起きたんですか?」
少年は不思議そうな顔で、我先にと砦の入り口の方に駆け寄っていく人々の流れを見やる。
 「兵士長が帰ってきたんだよ。ほら、前に話した"英雄"オウル。」
 「…この砦で、一番強い人、ですか?」
 「まあ、そう。あの人がいれば取り合えずは大丈夫っていう安心感があるからな」
腰に手をやりながら、ユッドは遠巻きに人だかりの背を見回した。"英雄"の出陣や凱旋の時はいつだって見物人でごった返すから、それもあって、ここへ来てからまともに姿をみたことも殆ど無いのだった。
 「こら、お前たち! 邪魔だ邪魔だ、そこを退け」
カリムの大声が、野次馬根性の若い兵士たちを叱り飛ばす。それとともに人垣が大きく裂けて、帰還した部隊がぞろぞろと広場のほうに向かって隊列を組んで進み始めた。それを見れば、帰還した部隊は出発したときの何十倍にも膨れ上がり、レグナス砦の生存者も連れ帰ったらしいことが判った。馬と馬車、それに百人近い人間。それに加えて、砦に入りきれなかった人々が、川向こうの平原にまで溢れている。
 「すごい数だな…」ユッドが呟く。「兵士だけじゃない、町の人とか、非戦闘員もいる」
砦の近隣の町や村からも人を回収してきたのだ。防衛線である砦が陥落したのなら、その周辺の集落はこの先、竜人族の襲撃から身を守る術がなくなってしまう。レグナス砦の被害は、それほど深刻だったということか。
 「怪我人が多い」
リュカも暗い表情だ。「とても…全員治すことは出来そうにない」
 「無理はしなくていいさ。人間だって、薬や包帯があれば、時間はかかるけど自分で傷は治せるし――」
言いかけた言葉が立ち消えになった。視線を巡らせた時、その向こうに、列の先頭をつとめている大柄な男の姿が見えたからだ。馬上から身を乗り出し、古参のカリムと何か話し合っている。カリムが振り向くと同時に、男も顔を上げた。鋭い視線がこちらに向けられる。一瞬目が合い、ユッドは、心臓が止まりそうになった。
 だが、男が見ていたのはユッドでなかった。
 その隣――、リュカもまた、自分に向けられる視線を真っ直ぐに見つめ返している。少年が、体を強張らせているのがわかった。カリムが何か言うのと同時に、馬上の男の顔に、ありありとした驚きの色が浮かぶのが判った。馬を飛び降りると、大股に、こちらに向かってくる。ユッドは慌てたが、リュカは一歩も動かなかった。そうして、目の前に立った自分の二倍もある体躯の男を、何故か、挑みかかるような視線で見つめていた。
 たっぷり十秒は、沈黙があっただろうか。
 男が口を開いた。
 「…お前が、サウィルの森から来たという妖精族?」
リュカは答えない。男の口元には、困惑したような笑みが広がっている。
 「妖精族に男は珍しいな。それに、領界の外に出てくるのも」
 「……。」
リュカが何も答えないので、男は手から擦り切れた皮手袋を外し、ズボンの端で拭ってリュカに差し出した。
 「俺はここの兵士長をやってるラーメド・エヴァン・オウルだ。よろしくな」
 「握手だよ、手を握るっていう人間式の挨拶」
隣からユッドが囁くが、リュカは応じようとしない。彼の視線は、身長の差が二倍近くある男をじっと見つめたままだ。ラーメドは、どうしてよいのか分からないような顔で握手の手を引っ込める。
 「……。」
 「……。」
沈黙のまま、しばしの時が流れる。奇妙に張り詰めた沈黙を、ユッドならずとも、誰もがはらはらしながら見守っていた。
 が、それはすぐに終わった。先に視線を逸らしたのはリュカのほうだった。
 「あ、おい。」
何も言わず去って行こうとするリュカを、ユッドは、慌てて追いかける。振り返ると、男が手持ち無沙汰の手をぶらつかせながら、いくぶん落ち込んだ様子で立ち尽くしているのが見えた。リュカが、なぜ初対面のはずの男を拒絶したのか、ユッドには見当もつかなかった。


 追いかけはしたものの、あっという間に見失ってしまった。身軽さが違うのだから無理も無い。川べりにも丘の上にも見当たらず、諦めて引き上げようとしていたとき、ユッドは、きょろきょろと辺りを見回していたカリムの視線に留まった。
 「ここにいたのか。探しとったんだぞ」
 「リュカなら居ないよ」
 「いや、用があるのはお前だ。」
 「オレ?」
 「ラーメドがお前に話を聞きたいと言っとるんだ。昨日の、竜人族の襲撃の件でな」
一瞬、聞き間違えたかと思った。"英雄"オウルが――何も出来なかった新兵の自分に聞きたいことがある?
 カリムに促されるまま、彼は、丘の端にある上級士官用兵舎の裏口に案内されていた。ユッドにとっては、この砦に来てから初めて訪れる場所で、こんな場所があったのかと思うほど人が少ない。それというのも四方を建物に囲まれた隙間になっていて、道の方からは見えないからだ。
 その奥まった狭い広場で、男は、ちょうど武装を解こうとしているところだった。
 「おう、来たな」
男は、緊張した表情のユッドを見て、日焼けした顔に意外なほど人懐っこそうな笑みを浮かべた。黒々とした無精ひげが口元を覆っている。間近に見るのは初めてだった――無造作に上着をぽいと投げ捨て、腰から抜いた剣を鞘ごと側の樽に立てかける。
 「昨夜の襲撃の件を聞きたくてな。その上着――お前、王都の軍学校卒か」
ユッドは、慌てて踵をあわせ、敬礼した。
 「はい、ユッド・クレストフォーレスです。」
 「いい、いい。そういう面倒な儀式的なもんは嫌いなんでね。気楽にやってくれ。」
外した手甲もぽいと投げ捨ててしまうと、ぼさぼさの無精ひげの男は、そのまま樽の端に腰を下ろした。
 「竜人どもが投石器で飛んできた、ってのは本当なのか」
 「確かです」
ユッドは、はっきりとした口調で答える。「妖精族の感知できる範囲外から"降って"きたのをこの目で見ていました。それから、地面に残っていた重機の跡。襲撃のあった時間に、見張り台から灯の見えていた場所です」
 「となると、誰かが連中に使い方を教えた、か…。カリム、そういやこの砦にも投石器が一基、あったな?」
ラーメドは、今度はカリムのほうに向かって話しかける。
 「ああ、お前が発ってからすぐ、武器商人が売り込みにきて置いていった」
 「ということは四日前か」
 「そうだ」
 「ふうむ…。」ラーメドは、あごに手をやった。「実はな、レグナス砦のほうでも同じようなことがあったらしい。陥落する数日前、武器商人が武器を売りにやって来た、と。商談は成立しなかったらしいが、あれこれ売り込もうとして砦の中を歩き回っていったんだそうだ。その直後に竜人族の襲撃だ」
 「…まさか」
カリムは、小さく息を呑んだ。
 「そのまさか、だ。多分そいつは内通者だろう。武器の売りこみついでに戦力分析と情報収集に当たっていた。で、手薄な時を狙った。そういうことだ」
 「そういえば…確かにあの時、司令が留守だからすぐには大金は動かせんと言った…」
カリムはぴしゃりと額を叩く。「なんてこった、敵にロジェール司令のことまで教えちまったのか…!」
 「爺さんのせいじゃねぇよ、そんなもん俺でも同じことを言うさ。人間が竜人族と内通してるなんて気づくわけがねぇ。」
なぐさめるように言ってから、ラーメドは、小さく溜息をついた。
 「ただ、そうとなりゃこっからが難しいな。誰が敵で、誰が味方か区別がつかねぇんだから」
無精ひげを生やした口元を不敵にゆがめながら、男は、木箱の上にどさっと腰を下ろす。
 「どうする、ラーメド」
 「どうするも何も。人間はどうにもならねぇから竜人を倒すしかねぇだろ。昨日倒したのが十五だっけ? で、レグナス砦で倒されたのが十二、ここに戻る途中で倒したのが二。連中は多くても三十くらいでしか纏まらねえ。となると、今んとこ近くに潜んでる連中はほぼ全部やったと考えていい。次の三十と出くわすまでの時間で守りを固めるしかないな」
 「当面の問題は食料と宿舎だ。」
と、カリム。「お前がレグナス砦から回収してきた生き残りの連中を養うだけの食料は無いぞ。おまけに、宿舎はこのとおり、昨夜の襲撃でほとんど破壊されている。」
 「なに、向こうから運んできた分がある。宿はテントでも張ればいいさ。向こうの砦は、主要な設備は焼き払われちまったが、幸い物資はほとんど無傷でな」
 「それでも、向こう一ヶ月保てばいいほうだろう」
 「一ヶ月もありゃあ十分だ。逆にそれ以上の猶予は、敵側が与えちゃくれないだろうよ。次の襲撃まで最大に見てあと一ヶ月、そのくらいの覚悟でやるしかねぇ」
にやりと笑いながら、ラーメドは、傍らであっけにとられているユッドを見やった。
 「よう、お前は竜人と戦ったか?」
 「え、え…えっと」
彼が口ごもりながら俯くのを見て、ラーメドは豪快に笑った。
 「ははは、その顔から察するに剣も抜けなかったクチか。まぁ、最初は皆、そんなもんだ。臆病なのはいいことだぞ。やみくもに向かっていっても無駄死にするだけだからな。おう、カリム、各方面との連絡と物資の調達はそっちに任せる。俺は、新兵共の訓練を受け持つ。まずはこいつらを、まともに戦えるようにしなきゃならん」
 「判った。任せよう。」
カリムは頷くと、ぶつぶつ呟きながら踵を返した。「やれやれ、一ヶ月か。…たるみきった新兵どもの訓練が間に合うといいがな」
 何が起きているのか、まだ完全には理解出来ていない。
 だが、事態が急激に動き始めたことだけは判っていた。今までに無い規模での、竜人族との戦いが始まろうとしている。その実感が湧かないまま、ユッドは、どこか他人事のようにこれからのことを漠然と考えていた。
 カリムが去っていったのを見計らって、男は、ふいに話を再開した。
 「ところで、ひとつ聞くがな、ユッド」
名を呼ばれて、ユッドはあわてて我に返った。
 「何でしょうか」
 「お前、サウィルの森へ行ったんだろう。今日一緒にいた、あの子以外の妖精族には会ったか?」
 「えーっと…。フィリメイアっていう、オアシスから来た妖精族くらいです。竜人族に自分の領界をとられてしまったとかで。リュカが領界を出てきたのは、そのせいもあるんですよ。竜人族が妖精族の領界を、どうやって攻撃出来たのか分からないから、調べたいと…」
 「ほう、奴等は妖精族とも敵対するつもりなのか」
不敵な笑みを浮かべ、ラーメドは腕組みをした。抑え切れない気配が、足元から漂ってくる。「それであの子は、人間に近づいたのか。それから? 他に何か言っていたか」
 「いえ、特には…」
一体何を気にしているのか、男の考えていることはユッドには測りかねた。ただ言えることは、この男が、確かに"何か"を気にしている、ということだけだ。
 「あの…、リュカをここへ連れて来たのは拙かったでしょうか。」
 「いいや。カリムからも話を聞いたが、そのお陰で、昨日の襲撃でも被害が最小限に食い止められたんだろう? 感謝こそすれ、咎めるいわれはない」
 「じゃあ、ここに居てもいいんですね」
ほっとしとて、ユッドは胸を撫で下ろした。"英雄"オウルがいいというのなら、誰もその決定に反対するはずがないからだ。ラーメドは表情を綻ばせると、腰を浮かせ、すれ違いながらぽん、とユッドの肩を叩いた。
 「仲良くしてやってくれ。」
 「…?」
振り返ると、男は片手に剣を下げたまま、ぶらぶらと軽い足取りでどこかへ去ってゆこうとしていた。シャツ一枚の背中に、切るのを忘れたようなざんばらの黒髪が、ゆるくまとめられたまま流れ落ちていた。


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