■4

 身じろぎして瞼を開けたユッドは、そこが見慣れた兵舎の中ではないことに気づいた。
 (あれ…?)
岩を削って作られたなめらかな天井と壁とが見えている。窓から差し込むうっすらとした朝日の中で視線を巡らせているうちに、昨日の出来事が蘇ってくる。飛び起きた瞬間、一瞬で眠気が吹っ飛んだ。
 「うわっ」
起き上がった弾みで落っこちそうになりながら、彼はハンモックの網にしがみついた。自分でも恥ずかしくなるほどの狼狽振りだ。昨日の出来事が夢ではなかったと改めて確かめながら、おそるおそる、壁のはしごを伝って床に下りる。
 家の中は静かで、誰もいない。ただ、昨日は椅子の背にかけてあった繕いかけのマントが消えていて、机の上には鞘に入ったままの小型の剣が一振り、無造作に置かれていた。何の飾り気もない柄と、木の皮をなめして弦を使ってつなぎとめた鞘。妖精族が武器を手にするなどという話は一度も聞いたことが無い。少しばかり気がとがめながらも好奇心に負けて取り上げてみると、その剣は、想像していた重さからすると羽根のように軽く感じられた。
 (…何で出来てるんだろう、これ)
ただの鉄でないことは確かだが、材質は見当がつかなかった。他には特に眼を引くものはなく、ユッドは、剣を元の場所に戻して玄関から外に出た。
 目の前には、昨日は日が暮れていて見えていなかった色鮮やかな世界が広がっていた。
 朝の森の中には薄青い朝靄がかかり、鳥たちの声が頭上から響いてくる。木立の間から斜めに降りてくる光がまるでヴェールのように木々の間に漂っている。陽だまりに咲く白い花、それに見たことの無い色とりどりの苔やキノコ。
 (昨日も思ったけど、凄い森だよなぁ)
都の大きな聖堂の柱よりも太い木々が空を突くように真っ直ぐに伸び、一面に敷き詰められた苔は王宮の絨毯よりも分厚い。妖精族の住む"領界"といえば定番は森か泉だが、それにしても、これほど古く、広大な森が沢山あるとは思えなかった。
 こんな森があることとをユッドは、昨日まで知らなかった。
 ルナリアと周辺氏諸国の地図は何度も見ていた。けれど、妖精族の"領界"は人の領域では無く、地図には描かれることが無い。
 どうしようかと周囲を見回していたとき、家の前にかすかな踏み跡があることに気が付いた。どうやらそこが通り道になっているらしい。何気なくそこを辿り始めてしばらく行くと、やがてユッドは、太い木立の向こうに光の指す水面を見つけた。岩の間から染み出した水がそこへ流れ込んでいる。湖だ。
 透明な水をたたえた大きな湖の縁に立つと、明るい日差しが押し寄せてくる。
 眩しさに手を翳しながら、遠く、緑に切り取られた空を見上げていると、どこかから険しい声が降って来た。
 「そこの人間族<ヒューリット>!」
慌てて振り返ると、昨日の白い女が盛り上がった大樹の根の上に立って、こちらを睨みつけていた。身につけた薄い布きれが、風に舞うように膨らんで、まるで花弁が揺れているかのようだ。
 「勝手にウロつくな!」
 「え、いや…ごめん、けど誰もいなかったから…」
 「まったく」フィリメイアは鼻を鳴らし、ぶつぶつ言いながらそっぽを向く。「遠慮というものを知らない。これだから人間は…。」
昨日は死に掛けて姿が半透明になっていたというのに、今朝は、朝の光の中ではっきりと輪郭が見える。それに随分と威勢がいい。ユッドが笑うのを見て、フィリメイアはむっとした表情になる。
 「何だ」
 「いや。元気になったんだなぁ、と思って。」
 「な、…」
女が慌てて何か言おうとしたとき、別の声がユッドたちの後ろのほうから聞こえてきた。
 「目が覚めたんですね。」
二人は同時に振り返る。ちょうど、この森の主の少年が腰までの短いマントを翻しながら身軽に水の流れを飛び越えてくるところだった。小脇に籠を抱えている。
 「お腹が空いてるかと思って、朝食を採って来ました」
 「え、朝食?」
差し出された籠の中には、真っ赤に熟れた果実が十ばかり入っている。ユッドはきょとんとしたまま、その果実をしばし見つめていた。
 「これを…食えってこと?」
 「リコットの実。食べたこと無いですか? 美味しいですよ」
 「あぁ…ありが…とう」
果たして妖精族の食べ物など口に合うのだろうか。それに、まさか食べたら二度と外に出られないなどということは…。少し迷ったが、リュカの屈託ない笑顔を見ると断れなかった。それに、実際に腹が減ってもいた。見知らぬ赤い実を一つ摘み上げて、おそるおそる口に運ぶ。
 「!」
皮は少し固いが、噛み破ると、ぷちっと音がして口の中いっぱいに甘酸っぱい果汁が広がる。食べたことも無い味だ。それに、とても美味しい。いちど食べ始めると手が止まらない。昨日の夜から何も食べていなかったことを思い出したとたん、胃袋は猛然と食べ物を求め始めた。一つ、また一つと手が進むうち、かごの中身はあっという間に空になってしまう。
 「美味かった! けど、あんたらの分は? もう食ったのか」
 「お前たちのようにガツガツ食べる必要はない」フン、とフィリメイアがまた鼻を鳴らした。「汚れていない水があれば生きていける」
 「僕は食べるのは好きですよ。森の実りは美味しいから」
 「そこは、どっちでもいいのか?」
 「ええ。」
 「ふーん…。」
ユッドは、二人を見比べた。フィリメイアは想像通りの"妖精族"だが、それに比べてもう一人のほうは、ずいぶん変わっている。
 (面白いもんだなあ。妖精族<フィモータル>にこんな個性があるとは思ってもみなかった…)
 「さてと、そろそろ帰らないと。このままだと脱走兵扱いにされちまう。宿と飯、ありがとうな。」
 「真っ直ぐに帰るつもりですか?」
空になった籠を受け取りながら、リュカが訊ねる。
 「ああ。そのつもりだ」
 「じゃあ、少しだけ待っていてください。準備してきます。―― 一緒に行きますよ、まだ竜人族<ドラグニス>が近くにいるかもしれないですし」
 「え、いや…それは嬉しいんだけど」
言いかけた時にはもう、リュカは家の方に向かって歩き出している。側から、フィリメイアの指すような視線を感じた。
 「何だよ、その目…もう出て行くって言ってるだろ…。」
真っ白な肌の女は、そう言って鼻を鳴らしながら腕を組んだ。
 「リュカ殿は、なぜ人間族<ヒューリット>と協力など…」
 「協力?」
 「お前たちが竜人族<ドラグニス>とどのように戦っているのか知りたがっている。いつか我ら妖精族<フィモータル>も戦いに巻き込まれるかもしれないからと」
ユッドがきょとんとした顔をしているのを見て、フィリメイアは、ますます気に入らないという顔になった。
 「領界主<ファリア=エンダ>様は、お前に、人間の基地を見せてくれるよう願っている。」
 「…何だって?」
 「はあ、よりにもよってこんな、いかにも青臭そうな人間にそんなことを頼むつもりとは…。」
思ってもみなかった申し出に多くの思考が同時に駆け巡り、ユッドは思わずごくりとつばを飲み込んだ。妖精族が、前線の砦に興味を持っている? そのために自分の領界から外に出る? 一帯どんな気まぐれがそうさせるのか…それに、人間ならともかく、妖精族の入隊など誰にどう許可を取ればいいのか。
 「お待たせしました。」
リュカが戻って来た。腰には、テーブルの上に置かれていた剣を提げている。
 「行きましょうか」
 「ああ、それはいいんだけど…」ユッドは、憮然とした表情のフィリメイアのほうをちらりと見やる。「あんたたち、砦までついてくるつもりだって、本気なのか?」
 「駄目でしょうか?」
 「いや、俺はいいんだけど…。妖精族って、領界から離れないもんだって聞いてたから」
 「妖精族<フィモータル>だって旅はしますよ。花々が綿毛を飛ばすように」
木々の根の上を飛ぶように歩きながらリュカが言う。「領界は自分の家ですが、家からしばらく離れていたって問題ないでしょう? 清らかな水さえあれば生きていける。ユッドの来た場所、人間たちのすみかの側には川がありますよね」
 「けど…許可が取れるかどうか」
 「許可、とか?」
 「砦の司令官に掛け合ってみないと…。地位のある人たちが良いって言えば、大丈夫だと思う」
 「そうですか。」
リュカは涼しげな表情だ。「では、頼んでみてください。」
 「……。」
冗談とも思えなかった。断る理由も思いつかず、ユッドは、ただ頷くしかなかった。
 けれど、多分これはチャンスだ。
 (どういうつもりかは知らないけど、強いのは確かだ…)
厄介な敵である竜人を、この少年はたった一人で、しかも一瞬で二体も、軽々と倒して見せた。しかも妖精族には、竜人族の使う毒を中和する力もある。それがどんな意味を持つのであれ、味方についてくれることが悪いはずはなかった。



 草原をしばらく歩いていると、見覚えのある銀灰色の大河の流れが轟々と音を立てて流れる縁へと辿り着いた。はるか北から流れ来て、この辺りで幾つもの流れに分岐しながら海のほうへと向かうルーヴァ川の本流だ。昨日、斥候からの帰りに通るはずだった道。定期巡廻の馬に踏み均された夏草の間に、細く道が出来ている。ここまで来ればあとはもう、道なりに歩くだけだ。ほっとしたせいもあって、ユッドは、誰に聞かせるでもなく説明を始めた。
 「この流れの先をずっと行くと、海がある。流れの向こうは荒野だ。荒野の向こうにあるのが砂漠…行った事はないけど、海の国のすぐそばまで砂漠が続いてるって話だ」
それは自分の知識を自分で再確認するためでもあった。
 「この川が竜人族との戦いの前線になってるんだ。で、オレたちのいるリオネス砦っていうのが今の最前線になってるんだけど…昔は川向こうにも幾つか村があって、もっと先に大きな町があったって聴いてる。けど、竜人族が襲ってきてみんな無くなった。五年くらい前かな…、大きな戦いがあったって。今じゃ川のこっち側にしか、人は住んでない」
 「確かに、人間はほとんどいなかったな」
フィリメイアが呟く。「人間族<ヒューリット>のすみかは避けて来た。だから、この辺りに辿り着いたのか」
 「近くに竜人族の気配はありませんね。」
と、リュカ。黙っていたのは、風景の中に視線を巡らせ、気配を探っていたからのようだ。
 「昨日の残党は、川向こうのどこかへ引き上げたのかも…ただ、竜人は濡れるのを嫌うはず…。ユッド、近くに橋か浅瀬は? 濡れずに渡れるところはありますか」
 「リオネス砦のあたりが唯一の浅瀬。橋は、竜人族との戦いで荒野の集落が全滅したときに全部落としたらしい。他にはないはずだ」
川に沿って歩いていると、やがて行く手に小高い丘が姿を現した。火を炊く細い煙が立ち上っている。川は丘の麓を、少し離れてとりまくように流れている。竜人族が水を嫌うのを利用した天然の防壁だ。丘の上には見張り台が築かれ、建物が斜面に張り付くように立てられている。ほっとして、ユッドは表情を緩めた。そこを出てからまだ丸一日しか経っていないというのに、ずいぶん久し振りのような気がする。
 「見えてきたぞ。あそこがリオネス砦」
 「うわあー、最っ悪…」
後ろで、フィリメィアのぼやく声が聞こえる。「何だ、あの茶色の汚らしい塊は。人間族<ヒューリット>のすみかってのは、どうして揃いも揃ってああなんだ?! よくあんなところで生きていけるな!」
 「…酷い言われようだな。言っとくけど、あそこは前線基地だ。オレたち人間の基準でも快適なほうじゃないぞ」
 「あっ、誰かいますよ」
リュカが目ざとく指を指す。振り返ると確かに、砦の入り口の柵のあたりで誰かが大きく腕を振りながら、何か叫んでいる。
 「ユッドー!」
 「…お、カリム爺さん! おーい」
嬉しくなって、ユッドは手を振かえしながら駆け出した。昨日、ここから一緒に斥候任務に出た世話役の熟練兵。分かれた後どうなったのか心配していたが、無事、無傷で砦に戻れていたのだ。
 「生きとったか! 心配したんだぞ、夜になっても戻らんし、他の斥候の話じゃ川のこっち側に竜人がいたとかいうし」
 「なんだ、もう知ってるのか」
自分が一番のりの報告者ではなかったことに少しがっかりしたものの、すぐに気を取り直した。他の斥候とも出くわしているのなら、話が早い。
 「その竜人に襲われてたんだよ! 馬は毒矢にやられた。オレもやられかけてたんだけど、助けてもらったんだよ、この…」
ユッドが視線を巡らせるのに合わせて顔を上げた老人は、そこでようやく、ユッドの連れの二人に気づいてぽかんとした顔になった。
 「…なんじゃ? こいつらは」
 「妖精族のリュカと、フィリメイア。リュカはオレの命の恩人だ。ここまで送ってくれた」
老人の顎ががくんと落ちる。
 「よ、妖精族…?」
それから、厳しい表情になってユッドの頭にげんこつを振り下ろす真似をした。「あれほど、妖精族の森に近づくなと言ったのに!」
 「わああ、ふ、不可抗力! わざとじゃないって!」
 「彼は竜人族<ドラグニス>に追いかけられて逃げ込んできたんですよ」リュカが援護する。「もし反対側に逃げていたら今頃は、毒にやられてます。𠮟らないであげてください」
 「う、うむ…。そういうことなら…」
白髪の男は、居心地の悪そうな表情で引き下がる。「だが、砦まで連れてくることはないだろう」
 「それがさ、ちょっと頼みたいことがあって…。しばらくこの二人、砦に置いてやってほしいんだけど…司令とかに頼めない?」
 「はぁ?!」
それきり、カリムは言葉を無くしてしまった。普段は貫禄たっぷりの老兵が、珍しく心底うろたえているのが判った。これは先が思いやられるな、とユッドは額に手をやりながら思った。


 それからのやり取りは、ほとんどリュカが一人で説明した。カリムは腕組みをして黙ったまま、時々唸り声を上げるだけ。増設したばかりの武器庫の端に作られた薄暗い休憩室の中で、テーブルを挟んでカリムとユッドが向かい合い、リュカはユッドの隣に腰を下ろしている。フィリメイアはというと、狭い部屋に入るのを嫌がって、どこかに姿を消したきりだ。リュカが落ち着いているところをみると、そう遠くへは行っていないのだろう。妖精族同士は近くにいれば互いの気配が判るようだから、後で探しに行けばいい。
 「――というわけで、人間族<ヒューリット>がどうやって竜人族<ドラグニス>に対抗しているのか…それから、竜人族<ドラグニス>のことを知りたいんです。こちらからも、協力できることはあると思います」
 「ふうむ…。」
老兵は片手で顎の髭をしごきながら、椅子に腰を下ろしているリュカの姿を頭のてっぺんから下まで眺める。
 「けど、非戦闘員を抱え込む余裕は今はないぞ。お前さんは…いや、見た目で判断しちゃいかんのだろうが、その、戦うにしては…」
 「リュカは強いぞ」
これはユッドが答える。「一人であっというまに竜人を倒したんだ。目の前で見てた。」
 「一人で? しかしなあ…」
カリムは視線をリュカのほうに引き戻しながら頭をかく。「もし、わしらのところで何か学びたいと思っても…妖精族にゃ、人間と同じ戦い方は出来んだろ?」
 「判っています。すべて真似をすることは、無意味だと思います。ただ知りたい。それだけです。」倍ほども体格差のある老兵を見上げながら、少年は澱みなく言葉を続ける。「ただで置いてもらおうとは思いませんよ。竜人族の感知、彼らの使う毒の解毒。致命傷の治癒も、ある程度なら引き受けられます。邪魔はしません」
 「それは助かるが――。」
カリムは困ったように頭をかき、ユッドと視線を交わした。
 「ユッド、お前は、この申し出を受けるつもりで連れてきたのか?」
 「断る理由はないし。それに、リュカが言ったとおり、邪魔にはならないだろ。何か問題あるのか?」
 「いや、…ううん。どうだろうな、わし一人の判断ではなんとも」
白髪の頭をかいて、カリムは困った顔になった。
 「本来は、ロジェール司令に話を通してからじゃないとまずいんだが、ちょうど今は外出中でなあ…。他に判断できる者もおらんし」
 「責任者が不在、ということですか?」
 「そういうこった。ま、この件、しばらくはわしが預かることにしよう。その代わりユッド、お前が責任を持つんだ。砦に客が来た時と同じ対応だ。できるな?」
できるな、と言われても、この砦にはまだそれほど長くいるわけでもないので勝手が分からない。だが、客人のもてなし方くらいなら、実家で少しは学んでいる。
 「えっと…まあ、…わかりました」
曖昧に頷いて、ユッドは席を立つ。「じゃあ、フィリメイアを探しがてら砦を案内するよ。」
 「お願いします」
席を立ったはずみでリュカの腰に吊るした片手用の剣が揺れ、カリムはそれに眼を留めた
 「お前さん、男の子なんだよな?」
 「え?」
振り返って、彼は不思議そうな顔になった。「見てのとおり、男…ですが…何か?」
 「いや――サウィルの森の妖精は女だと昔、誰かに聞いた気がしてな。それに、妖精族というのは、大抵が女だという話だったから…。」
 「幾らなんでも、女しかいない種族なわけないだろ。」
苦笑いしながら、ユッドは武器庫の出口に向かう。「遠目に見りゃ区別つかないさ。妖精族はみんな――」
 と、入口の扉を開けたとたん、そこにたむろしていた仲間たちが一斉につめ寄って来た。
 「うわっ、何だよお前ら」
 「おい、新入り! 妖精族を連れ帰ったって、本当なのか? さっき川辺にすっごい美人が不機嫌そうに立ってたけど、あれがそうなのか?!」
 「竜人と戦ったって?」
 「おい、妖精って本当にいるのか?! 話を聞かせろ!」
 「うるせえ、今はそれどころじゃねえよ!」
四方から延びてくる同僚たちの腕と好奇の視線を振り払いながら、ユッドは逃げるようにして駆け出した。砦の、丘の下のほうに詰めているのは自分と同じような新参者か下っ端の兵士ばかりだ。丘の上の司令部には、この騒ぎはまだ伝わっていないに違いない。
 「ったく、こっちは竜人族に襲われて死に掛けたってのに! なんて危機感のない奴等だ」
毒づきながら人ごみを掻き分けていくユッドの後ろを、リュカも離れないようについていく。彼のほうは、あまり人目を引かなかった――誰も妖精族だとは気づいていないのだ。新入りの一人、くらいにしか思われていないのだろう。戦場に出るには若すぎると疑われることはあるにしろ。


 フィリメイアは、すぐに見つかった。砦を囲む柵の外側、丘のふもとを流れるルーヴァ川の早瀬の上に立って、何か考え込むように、じっと足元を見つめている。そうしていると申し分のない神秘的な美女なのだが――と思った瞬間、表情が崩れ、キっと睨みつけられた。
 「何か用か、人間」
 「あ、いや。」
代わりにリュカが話しかける。
 「話は終わりました。すぐに追い返されることはなさそうです。僕は、しばらくここにいることにします」
 「……。」
 「しばらく森を留守にすることになる。留守番をお願いしてもいいですか? あの辺りは、近くに竜人族<ドラグニス>が来ることがある。戦う必要はありません。ただ、何かあったら知らせて欲しいんです」
フィリメイアは、小さく溜息をついた。「判りました。」
 「知らせるって、どうやって?」
と、ユッド。
 「こうやるんです」
言いながら、リュカか片手を差し上げた。手の平の上に白い輝きが生まれ、その光が小さく羽ばたき始める。
 蝶だ。
 ふわりと飛び立った蝶は、音も無くひらひらと三人の周りを飛び回り、そして、リュカの目の前まで来て光の粒となって消えた。
 「これに言葉を乗せて、飛ばすんです。人間族<ヒューリット>でいう"速達"ですね」
 「へえ…、便利なもんだな。妖精族はいいな、色んな魔法が使えて」
 「だが魔力は無限ではない」
小さな声で、フィリメイアがぽつりと言った。「限界はある。リュカ殿、人間にあまり入れあげすぎるようなことは――」
 「勿論。領界主<ファリア=エンダ>としての使命を、忘れたりはしませんよ。あなたが来てくれたから、こうして領界<ファリア>を離れてみる決心がついたんです。少しの間、よろしくお願いします。フィリメイア」
 「……。」
不満がないわけではなさそうだったが、フィリメイアは、黙って軽く頭を下げると、水の流れの中に姿を消した。
 「え?! いや、今…え? 溶けた?!」
 「妖精族は水と同化できるんですよ」
リュカがくすくすと笑う。「川の流れに乗って森まで帰るつもりなんですよ。そのほうが歩くよりずっと速いから」
 「ええ…。なんだよそれ、まるで魚だなあ」
頭をかいて、ユッドは、一人残されたリュカのほうに向き直った。
 「じゃ、まあ、他のところを案内しようか。どこが見たい?」
 「どこでも…お勧めの場所は、ありますか?」
 「お勧め? お勧めかあ…そうだなあ、あんたが見て面白そうなものといえば…おっ」
ユッドの眼に、いたずらっぽい輝きが宿る。「あそこなんかどうかな。」
 「"あそこ"?」
 「見てのお楽しみだ。ついてきてくれ、こっちだ」
歩き出したユッドの向かう方角には、砦の中心にある小高い丘がそびえ立っていた。


<前へ表紙へ次へ>