■Epilogue 〜ルナリアの都


 帰路は負傷兵もいて比較的ゆっくりと進軍し、ルナリアの都に到着したのは、それから一ヶ月近く経ってからのことだった。
 冬が本格的に始まろうとしている。馬が踏みしめる草の上には露が降りている。お供をつけると言うフレイザーの提案を断って、ユッドは、エリンと二人きりの旅を選んだ。リオネス砦の司令官という任務の残るフレイザーとは、ルーヴァ川を渡るあたりで分かれた。そこから街道沿いのロンフェを通過する時に、借りてたロンフェ駐留軍の兵を解放して、それからの二人旅だ。
 春から駆け抜けた日々が、今となっては幻のようだ。一年前の自分に今の状況を説明しても、きっと信じてはもらえないだろう。
 「エリン、寒くないか?」
 「大丈夫だけど…」
振り返ると、後ろの馬に乗るエリンは、不安そうに行く手の城壁を見つめていた。古城を中心としたルナリアの都は、国王の座所としてはそれほど広くは無く、国の主力産業が穀物と放牧とあって町の周囲には畑や放牧地が広々と広がっている。
 「いきなりお邪魔して、大丈夫なんでしょうね?」 
 「手紙は先に送っといたし、大丈夫だろ。」
帰宅したら、エリンを両親と兄に紹介するつもりだった。次男で家を継ぐ予定もないし、とりあえず軍人としてお給金をもらえる目処もたった。独立したいと言っても文句は言われないだろうという目算があったのだ。
 「うちの両親は、兄貴の方には期待してるけどオレのほうはあんまり…。母さんは心配ばかりだ」
 「いい両親じゃない。うちのお父さんなんて、娘を捨てて行方をくらませちゃったんだから」
 「…やっぱり、一度、サウィルの森に寄ってみたほうが良かった?」
 「いい」
ふい、と彼女は顔を背けた。「いまさら言うことないし。それに…楽しくやってくれてるなら、それでいいもの」
 「じゃ、行こうか。」
馬が再び進み出す。ユッドにとっても、ほぼ一年ぶりの故郷だ。町の端に立つ古い塔も、城の尖った屋根も記憶にあるまま。生きて帰ってこられた、という実感が、ようやく湧いてくる。
 「ここだ」
町の中心にほど近い、古い屋敷の立ち並ぶ一画まで来て、ユッドは馬を降りた。門にからまる緑の蔦は引退した父が毎日こまめに手入れしているもの。二階の窓辺でさえずっている鮮やかな色の小鳥は、母の愛鳥だ。何も変わっていない。
 「ただいまー」
馬を門扉につないで無造作に玄関の扉を開いたとたん、中にいた人々が一斉に振り返った。両親のほかに、なぜか、兵士が二人いる。
 「ユッド!」
母が、普段見たことの無いような慌てぶりで、スカートをたくしあげながら駆けて来る。「あなた、いったい何をしたの?!」
 「え、え?」
 「国王様からのお召しだそうだが…」
後ろで、父も困惑している。良く見ると確かに、玄関にいる使いの兵士たちは、青と銀の裾の長いコートで正装している。以前ユッドの着ていた丈の短い上着が見習い用のものなら、こちらは上級職用。胸の辺りには、同じ紋章が縫いとられている。国王直属部隊の制服だ。
 「ユッド・クレストフォーレス殿ですね?」
 「ええ、まあ」
 「こちらをお預かりして参りました」
白い手袋を嵌めた手が、蜜蝋で封をされた紋章入りの封筒を差し出す。
 「話は聞いていると思いますが、国王陛下からの招待状です。疲れを癒されましたら、いつでもお越し下さいとのことです。では」
二人の兵士は、揃ってかかとをあわせ、軍隊式の敬礼をして玄関から出て行く。ユッドは、国王直筆のサインの入ったその封筒をひっくり返して眺めながら溜息をつく。
 「わざわざ、こんなもん寄越さなくてもいいのに」
 「こんなもんって、お前!」
母は卒倒しそうなくらい興奮している。後ろで、扱いに馴れた父が大きく咳払いした。
 「ところで、そちらの女性が、例の手紙に書いていた人かね」
 「あ、はい。紹介します」
 「はじめまして。エリン・ブルーネです」
エリンが丁寧にお辞儀をしたので、ようやく、母は落ち着きを取り戻し始めた。
 「まあまあ。そうなの、この方がね。素敵なお嬢さんじゃないの、お前にしてはよくやったわ」
 「うむ、よくやった。勿体無いくらいだ」
 「いや、よくやったって言われても…」
微妙な表情のユッドの隣では、エリンが無言に笑っている。
 その時、ユッドは二階から続く階段を、もう一人の家族が降りてくることに気が付いた。ユッドと同じ色の髪と瞳だが、肌は白く、雰囲気は全く違う。ひょろりとした長身。片手にはごく自然に分厚い本を手にして、ただ立っているだけなのに静かで知的な雰囲気を纏わせている。
 「あら、クォフ! ほら、お前も早くいらっしゃいな。弟が戻って来たわよ」
 「……。」
少し離れた場所で足を止め、じっと見つめてくる視線。家を出た日には反発しか覚えなかった、すべてを見透かされているような眼差しも、今は、ただ、懐かしい。
 「ただいま、兄貴」
 「ああ」
ユッドは、自分から一歩近づいてクォフの肩を抱いた。兄は、それに応じながら一言、ぽそりと囁いた。
 「お前は、絶対に無理だと思っていたが…間違いだったようだな。」
 「さあ、みんな居間に入って入って! あなたが帰ってくるのをずっと待ってたんですからね。たくさん、お話したいことがあるの。」
母が手を叩きながら家族全員を奥の部屋へと追い立てていく。ユッドは、エリンの手をとった。

新しい日々は、まだ始まったばかりなのだ。


- Fin.


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