■34


 明け方、白み始めた空の下、砂の上に点々と足跡を残して早駆けの馬が出発していく。エルム湖畔で報せを待つ後備部隊に送られる伝令だ。先行する伝令の報せが届けば、エルム湖から先へはルナリアとグロッサリアそれぞれに、さらに伝令が送られることになっている。
 それらとは別に、裏門からひっそりと出発しようとしている、わずか十人ほどの部隊がある。
 「選りすぐりの馬を準備した。気をつけてな」
見送りはカリム。それに、へとへとな様子のフィリメイアだけだ。
 「リュカ殿…本当なら案内を…」
 「大丈夫、フィリメイアは昨日、よく頑張ってくれた。今回は任せて」
手綱をとり、それぞれが馬に飛び乗る。ユッドは、さりげない様子で隣の馬に乗っているディーシュに視線をやった。最後までついてくるつもりらしい。
 今日の追撃の参加者に志願してきた、まだ元気の余っている者は、さすがにそう多くはなかった。
 その中から、本当に体力のありそうな者だけをカリムが選び出して編成したのが、今日の部隊だ。
 「時間がない。出発する」
挨拶もそこそこに、ユッドは馬に拍車を当てる。足元の浅い砂が動く。最初は馬が足を取られているような感覚があったが、次第にそれもなくなり、走るのになれてきた馬の速度が乗り始めた。
 風はほとんどない。
 太陽の光を背に、馬の列が砂だらけの不毛の台地をかけてゆく。リュカは、ひとつぶの砂も見逃さないような顔つきで地平線を睨みつけている。このだだっ広い場所では、彼の感覚が頼りだ。
 「! いた」
 「どっちだ」
 「やや南寄り、ついてきてください!」
小柄で体重の軽い乗り手を載せた馬が、軽快な足取りで先頭に躍りだした。
 「先走りすぎるなよ! こっちも身を隠す場所がない」
 「ええ! 接近すれば、すぐに気づかれます。」
馬の息が上がり始めている。距離が中々縮まらないのは、相手もこちらに気づいて死に物狂いで逃げようとしているからだ。ユッドは、後続の馬たちの様子を確かめた。それから、行く手の敵との距離を測る。先頭は、相変わらず輿だ。四体の竜人が抱えている。女王が載っているとすれば、あれしかない。
 「――馬が潰れてもいい、あの輿を狙え!」
リュカの馬は、もう二馬身も先にいる。ユッドも、前のめりに体を倒しながら馬の速度を上げさせた。護衛についている数人の竜人族が、あわてて弓を構えようとしている。だが、進みながら走る馬には当たらない。
 射程圏内。
 リュカが馬ごと輿に飛び掛った。輿を運んでいた竜人の首筋から赤いしぶきが噴出して、運んでいたものが大きく傾く。中から人の形をしたものが砂の上に転がり落ちた。後ろに付き従っていた竜人たちは慌てふためき、逃げようとしているものまでいる。転がり落ちたものを守ろうと立ちはだかる竜人をユッドが切り伏せる。そして、ヴェールのような布をひきはがした。
 その下から、編みこんだ白髪の束があらわれた。
 「な…」
顔を上げたのは、深い皺の刻まれた老女だった。額に銀の輪をはめ、大きな耳飾。聡明そうな青い眼の真ん中には、トカゲのような縦長の瞳孔が刻まれている。
 「人間…?!」
 「いいえ」
近づいて来たリュカが、否定する。老女の視線と、リュカの視線とが一瞬、交錯した。
 「竜人族――女王ギメル」
 「…そうかい。お前が、ザインの言っていた妖精族と人間の"雑り者"かい」
衣擦れの音とともに身を起こしたギメルは、威厳を保つように背筋を伸ばした。
 「ここへ来たということは、お前たちは、わたしの子供たちをみんな殺してしまったのだね。この五十年で、三十の卵を産んだ。けれど育ったのは五人だけ。それをみんな」
 「それ以上に人間を殺しておきながら、何を言ってる?!」
 「わたしは、人間のやり方に従ったつもりだよ。わたしの王国は、人間よりも酷いものだったかい? 人間のやる戦争は、もっとマシなのものなのかい?」
 「御託はいい」
剣を構えながら、ユッドは、どこか射竦められていた。人間との混血とは聞いていたが、まさかこれほど人間に近い容姿だとは思ってもいなかったのだ。ザインや、今まで見てきた他のどの人間に似た竜人族よりもずっと、人間のようで。…切り伏せる勇気が湧いてこない。
 「ピャア!」
その時、どこからともなく小さな泣き声がして、小さな竜人がちょこちょことギメルに駆け寄った。生まれたての子供のようだ。ひざにすがるその子供を抱き上げながら、ギメルは口調を変えた。
 「わたしの最後の子。ひとりの母親として、命乞いくらいはさせてくれるだろうね? この子には何の罪もない。わたしの命をとる代わりに、どうか、この子だけは――」
言いかけたとき、リュカが動いた。
 「あ」
剣の先がギメルの抱いた子供の喉を貫き、そのまま、心臓まで達する。老女の口から、一筋の血が噴出した。そして、…そのままゆっくりと、後ろにむかって倒れ落ちていく。一瞬のことだった。ユッドはあっけにとられたまま、動くことも出来ない。
 「…リュカ」
ようやく言葉を搾り出した時には、彼はもう、剣のしずくを払いながら、ゆっくりと歩き出していた。
 「罪ならばある。この母親のもとに生まれてきたこと自体が、罪だった」
剣を、腰の鞘に収める。
 「覚悟なんて、とっくに」
ユッドは目の前の、人間のような姿をした竜人族と、すれ違いながら馬の方に歩き去っていく人間のような姿をした妖精族のことを思った。"雑り者"とギメルは言った。そう、二人は同じ、「二つの種族」の「間」に生まれた存在だった。けれど、二人の歩んだ道は、全く異なっていた。 
 逃げた竜人を追撃していたディーシュたちが戻ってくる。
 「片付きましたよ! …って、どうしました?」
 「いや。」
胸に込み上げてきた感情を振り払うと、ユッドは、自分も剣を払って鞘に収めた。
 「これで全部終わりだ。帰るぞ。」
黒々とした竜人族の躯が、砂の上に転々と転がっている。弔いをする者はなく、敬意を払う者も誰もいない。かつて女王と名乗った女の、銀の額飾りが静かに太陽の光を反射している。数日も立てば、砂漠の砂がすべてを覆い隠すだろう。人間と、竜人族の間に撒かれた種は未来に繋がれることなく、すべて摘み取られた。そして人間は、失った領土を取り戻し、明日を生き延びる。


 白い霧に包まれた夢の中で、懐かしい声が彼の名を呼ぶ。顔を上げると、そこに、美しい笑顔がある。
 (セフィーラ…)
名を呼ぼうとするのに、声が出て来ない。手を伸ばそうとするのに、体が動かない。
 ぼんやりと目の前の顔を見つめているうちに、意識が次第にはっきりとしてきた。そこは、森の中ではなくどこかの部屋の中だった。覗き込んでいたリュカが、ほっとした息をついた。
 「気がつきました?」
窓から差し込む明るい光。外で聞こえる人の話し声や、走り回る足音。薬草のような匂い。
 起き上がろうとして顔を歪めるのを見て、あわててフレイザーが止めようとする。
 「おい、無理をするな」
男は視線を動かして、部屋の中にいるのがリュカだけではないことに気が付いた。フレイザーの隣にカリム、それとユッド。
 「…なんだよ、勢ぞろいして」
 「心配して来てやったというのに。死に掛けとったんだぞ、お前は」
言いながらも、カリムはどこかほっとした顔をしている。
 「ここは?」
 「ソルナレイクの宮殿の中。竜人族から取り戻したんですよ。」
ユッドが答える。
 「…俺は、生きてるのか」
 「当たり前です。リュカとフィルダーナが苦労して治してくれたんですよ。」
 「そうか…。」
天井を見上げて、ぽつりと呟く。
 「何があった?」
と、カリム。
 「ん、まあ…話すほどのこともない。人質みたいなもんだった。お前らのことを吐けと締め上げられたり…。…情けねぇ話だ」
 「……。」
リュカが小さく首を振った。あまり詳しいことは聞くな、という意味だ。助け出した直後の傷の酷さを知っている彼は、どんなことが起きたのか想像がついていた。
 「あのザインってやつは、死んだのか」
 「倒しました」
と、ユッド。
 「人間の女みてぇな奴もいただろ」
 「それもです」
 「人間の悪いところだけ真似たような奴らだったな。一番醜い部分を見せつけられているような気がして、ぞっとした。」
 「ええ、でも…」
 「…あいつらを育てたのは、人間だ。戦っていたのは竜人族じゃねぇ。俺らは、自分たちと戦ってたんだよ」
フレイザーとカリムが、顔を見合わせた。反応に困っている。ラーメドは、続けて口を開いた。
 「エリンはどうしてる?」
 「…元気です。ここにいますよ。あとで、会いに来るはず」
 「そうか」
しばしの沈黙。
 「――フレイザー」
 「何だ?」
 「俺は戻らない。戦死したことにしておいてくれ」
 「な、」
フレイザーの顔に、驚きが走った。「何をばかなことを。お前は――」
 「勲章も階級も要らねぇ。そんなもんには値しない。最後の戦いでこんな情けない姿さらして、おめおめ国に帰れるかよ。…遺族補償はエリンにやってくれ。」
 「どこへ行く気だ、ラーメド。ルナリア以外に、帰る場所があるのか? この二十年近く、お前は国のために戦ってきたんだろうが」
 「違う」
男は、きっぱりと否定した。
 「俺が戦ってきたのは、女のためだ。」
はっとしたようになって、フレイザーは、一歩下った場所でじっとラーメドを見つめている少年を見た。
 リュカが顔を上げ、フレイザーの方を見る。
 「…連れていくのか」
頷いた。
 「それが妖精族の加護を得る代償か?」
カリムが呟く。「高くついたな」
 「オレは、正当な報酬だと思う」
ユッドは言って、ドアのほうに向き直った。「エリンを呼んでくる」
 困惑した表情のまま顔を見合わせて、フレイザーとカリムも後に続く。あとには、リュカがだけ残っていた。その彼も遅れて出ていこうとしたとき、背後から、名前を呼ぶ声がした。
 「リュカ」
足を止め、背を向けたままで言う。
 「全部終わりました。約束は、果たしてもらいます」
 「…ああ。」
静かに扉の閉まる音。
 寝台の上で仰向けになったまま、男は思い出していた。
 最後に会った時、別れ際に、「贈り物がほしい」と言われた時のことを。
 生まれてくるだろう森の継承者のために、名前をつけてくれと。
 女の子の名前ばかり考えていた彼に、笑って、男の子の名前も考えてほしいと言った。思いついたのは一つだけ。その名前を実際に呼ぶ日がくるとは思っていなかった。
 今はもう、思い出しても胸が張り裂けそうな痛みに襲われることはない。微かな痛みが、ほんの少しの苦さとともに過ぎるだけだ。過去に戻れたとしても、別の道が見つけられたとは思えない。きっと何をしても、いつかは森に迷い込み、森の主と出会い、約束をして、…そして自分はまた、同じ痛みと喜びを繰り返す。


 竜人族の本拠地が陥落し、脅威が取り払われたことで、ソルナレイクに集まっていた兵たちが慌しく帰還準備を始めていた。フレイザーは、主だった関係者を集めておごそかに告げた。
 「これをもって、ルナリアとグロッサリアの軍事協定が失効する。グロッサリアの軍は、明日には発つそうだ。我々も撤退準備を始めなければならない。無人となったソルナレイクには、一定期間、住民を保護するための警備隊が在留する。残留部隊はサニエル・ウェリントンが引き受けてくれた」
 「え? いいのか?」
ユッドが隣を見ると、青年は、ふんと鼻を鳴らした。
 「貴様が勲章を受ける姿など意地でも見たくない」
 「なんだよ、それ…。」 
 「ユッド・クレストフォーレス」
 「あ、はいっ」
あわてて、ユッドは姿勢を正した。
 「全軍指揮の大役、ご苦労だった。帰還後、君には一度、ルナリアに戻ってもらう。国王陛下も君に逢うのを楽しみにおられるはずだ。直接、報告してさしあげるといい」
 「はあ…いや、指揮なんて全然…」
カリムが後ろから突く。
 「黙って栄誉を受けておけ。ラーメドの分までな」
 「……。」
結局、ラーメドは戦死扱いではなく、傷痍軍人として兵役から離脱したことになった。実際、竜人族の拷問で受けた傷は深く、表面上は治せても元通りにはならないかもしれないとリュカは言っていた。そうでなくとも、もう二十年近く戦い続けてきたのだ。褒賞金を受けとるには十分すぎる功績だ。
 「わしも、引退するよ」
カリムはぼそぼそと呟く。「孫たちの顔も長いこと見ていない。故郷の村に帰って、畑を作る」
 「……元気で」
 「ああ。お前さんもな」
戦いが終わると同時に、人々は再び、それぞれの道へ戻ってゆく。各地から参戦していた傭兵や、早く帰還する用のある者たちは三々五々、町を発っていく。
 集会の終わったあと、司令室代わりに使っていた部屋を出てきたユッドを、ベースが待っていた。
 「おお、ユッド。やっと終わったのか。最後に挨拶だけしておこうと待ってたんだぞ」
 「え、もう出発するんですか?」
男は、日焼けした顔で、これ以上ないくらいの笑顔を作って見せた。
 「竜人族がいなくなって、また街道が使えるようになる。これからが稼ぎ時よ! 早いとこ戻って、うちの商隊を編成しなおさにゃあ。」
 「な、なるほど」
 「お前たちに賭けて本当によかった。出費の甲斐があったぞ。また何かあったらよろしくな、新しい"英雄"殿」
 「いや、あの」
 「ははは!」
豪快に大笑いしながら、商売人の男はいかにも楽しげに去って行く。ベースならきっと、この先もうまく商売をやっていくのだろう。そして、今回協力してくれた物資の価値以上を取り戻して、意気揚々と砂の道を、西へ東へ駆けてゆくに違いない。


 滞在していたのはほんの数日の短い間だったが、その間に、ソルナレイクは再び人間に住む町にかわっていた。奴隷から解放された生き残りの住人たちが戻ってきて、変わり果てた町の再建をはじめようとしている。王宮の床から流れ出した水は、そのまま町の人々の生活用水になっていた。
 その新しく出来た泉の側に、妖精族の三人が立っていた。ユッドの姿を見つけると、リュカが手をふって彼を呼んだ。
 「フィリメイアが、これから戻るそうなんです。一言、お礼が言いたいそうですよ」
 「な、いや…わ、私は別に」
あわてて両手を振りながら、彼女はそっぽを向いた。
 「戻るって、オアシスに?」
 「そうだ。もしかしたら水が汚されててもう住めないかもしれないけど…一度、帰ってみたいんだ。私の領界…」
 「そっか。気をつけてな」
 「…ユッド。」一瞬だけ視線が合う。「お前は、人間族<ヒューリット>にしては、だいぶマシなほうだったぞ」
言うなり、照れくさそうに背を向けた。「そ、それじゃあ!」
 「またね」
フィルダーナが手を振りながら声をかける。
 半ば逃げるようにして、半分浮かびながら去って行く白い後姿は、すぐに城壁の向こうへと見えなくなった。ユッドの口元に笑みが広がっていく。
 「あいつ、ようやくオレの名前覚えたな。…最後の最後だけど。」
笑いながら、隣のリュカを見やった。「お前たちも、先に出るんだよな?」
 「ええ。夜になったら出ようと思います。ラーメドが、あまり目立ちたくないらしいので」
 「フィルダーナも?」
少女は、頷いてリュカの側にそっと寄り添う。
 「…はは、そうか。じゃ、これからは三人一緒だな。寂しくない」
 「いつかまた、サウィルの森に来てください。いつでも歓迎しますよ」
 「ああ、落ち着いたらな。」
寂しくはあったが、これで最後ではない。会いたくなったら、また会えるのだから。
 一人、また一人と、見知った顔が消えていく。
 竜人族に対する二十年に及ぶ戦いは終結した。荒廃した国々や町や村が完全に復興するには、まだ何年も時間がかかるだろうが、いつかは傷跡も癒え、人々の記憶からも薄れていくだろう。いつか――人間の人生の、何倍かの時間が過ぎる頃には。
 宮殿の階段のあたりに立って、城門を走り出ていく馬を見送っていたユッドは、背後に近づいて来る気配に気づいて振り返った。そこには栗色の髪をした若い女性が、不敵な笑みをたたえて立っている。
 「エリン」
 「待ってたわよ。さて」
腕組みしながら、彼女は大きな瞳でじっと、ユッドを見つめた。
 「いつかの、続きの話を聞きましょうか?」


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